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628

⑱贅沢ランチ・ミーティング

 ランチタイムでも予約でいっぱいだというイタリアンを、どうやって押えることができたのかわからないけれど。「浅野様、いつもありがとうございます」 と言うお店の黒服の人に迎えられて、少し奥まった落ち着いた席へ通される。 それぞれメニューを渡されるけど、慣れた様子でページを繰る三代目と違って、並木さんとあたしは緊張気味だ。「何にしますか?」 と訊ねる三代目に、ここはやはり任せるべきだろうと、あたしたちは...  ランチタイムでも予約でいっぱいだというイタリアンを、どうやって押えることができたのかわからないけれど。<br />「浅野様、いつもありがとうございます」<br /> と言うお店の黒服の人に迎えられて、少し奥まった落ち着いた席へ通される。<br /> それぞれメニューを渡されるけど、慣れた様子でページを繰る三代目と違って、並木さんとあたしは緊張気味だ。<br />「何にしますか?」<br /> と訊ねる三代目に、ここはやはり任せるべきだろうと、あたしたちは目配せし合った。<br />「このコースなんか、どうですか?」<br /> 三代目が示したコースは一番高くて、並木さんとあたしは揃ってあわあわする。<br />「お、お昼からそんなに食べたら、お腹いっぱいになって、午後眠くなりそうです」<br /> とあたしが言うと、並木さんも言う。<br />「ラ、ランチ・ミーティングですから、もっと…もっと」<br /> おそらくもっとリーズナブルな、と言いたい気持ちはあたしには伝わったが、三代目は「?」な表情をしている。<br /> お金持ちは怖いよ、一番安いコースでもランチで5000円ってありえない。ディナーならまだしも。<br />「ふーん、じゃあこれにしましょうか?コースと言っても、品のいい量で出てきますから大丈夫ですよ?」<br /> 三代目の立場から言っても、一番安いコースは逆にあり得ないのかもしれないと思い、並木さんとあたしは揃ってこくこく頷いた。<br /><br />「まあ、ランチ・ミーティングと言ってもざっくばらんな意見交換みたいなものですから」<br /> スモークサーモンや小さなキッシュが綺麗に盛りつけられた前菜が運ばれてくると、三代目がそう言う。<br /> うわ、お、おいしそう!<br /> 並木さんの眼がきらっきらになる。きっとあたしも同じ表情をしているに違いない。近くのワンコイン弁当を買う予定だったお昼が、こんなゴージャスなランチになったのだから当然だ。<br /> 嬉しさを1㎜も隠しきれないあたしたちを見て、三代目も楽しそうに微笑んでいる。<br />「く~、おいしい。何、この上品な味!」<br /> 並木さんが眼をつぶって味わいながら、震えている。<br />「はぁ、盛りつけも綺麗~。食べるのもったいないくらい」<br /> あたしもため息をつきながら、大事に大事に味わう。<br />「よかったです。こんなに喜んでもらえるなら、誘った甲斐があったと言うものです」<br /> パスタは三代目がボロネーゼ、並木さんがパンプキンクリーム、あたしはペスカトーレ。<br /> ランチ・ミーティングのはずが、並木さんもあたしも「おいしい」を連発して、食べるのに夢中だ。<br />「何か困ったことや、やりにくいことはありませんか?」<br /> パンを小皿のオリーブオイルにつけながら、三代目が訊いてくれる。<br /> 並木さんはともかく、あたしは自分の経験と力のなさに一番困っている。<br />「足りないところばかりで、何から相談していいかすらわからないくらいです」<br />「私が忙しいせいで、おふたりに負担をかけているのは申し訳なく思っています。メールでも何でもいいので、どんな小さなことでも言ってきてください」<br />「でも、専務は本当にお忙しいから」<br />「遠慮はいりません。忙しくなるのはわかっていて、立ち上げた新部署です。忙しいは、むしろ私の言い訳ですね」<br /> メインは3人とも肉料理を選んで、デザートとコーヒーが運ばれてくる頃には、あたしたちはだいぶ正直な意見が言えるようになっていた。<br /><br />「ところで専務、お休みはちゃんと取れるんですか?」<br /> 仕事の話がひと段落して、並木さんがそう訊く。<br />「なるべく、休みは取るようにしています」<br />「お休みの日って、何してるんですか?」<br /> 並木さんが、宝石みたいなプチガトーにフォークを入れながら訊く。<br />「そうですね。もっぱら家で音楽を訊くか、画集を見ていますね」<br /> へぇ、絵が好きなんだ。初めて訊く事実に、あたしはちょっと興味を持った。<br />「画集?どんな画家が好きなんですか?」<br /> 並木さんが、また訊く。<br />「海外の画家だとゴーギャン、クリムト、日本なら安藤広重の浮世絵、あと佐伯仁…」<br /> どき、とした。<br /> 佐伯仁、それは有さんのお父さんの名前だ。<br /> 有さんのご両親に起こった悲しい宿命と、有さんが抱えてきた空虚が瞬時に思い起こされて、あたしは胸が潰れそうになる。<br /> 波のように襲ってきたせつなさに血の気が引く感じがして、指先が冷たくなったのはよく効いた冷房のせいではだぶんない。<br />「どうかしましたか?」<br />「ん?ほんとだ、菜乃果。ちょっと顔青いよ」<br />「だ、大丈夫。ちょ、ちょっと食べ過ぎたかなぁ」<br /> あはは、と笑って誤魔化したけど。<br /> ふたりがまだ心配そうな顔をしているので、あたしは焦って言わなくてもいいことを言ってしまった。<br />「せ、専務、絵画がお好きなんですね。あ、あたし…そう言えば、画廊でバイトしてたことがって」<br />「ほぅ、どこの画廊ですか?」<br />「え、えぇ~と、銀座の…」<br /> あたしの説明に三代目が、興味を示してしまった。<br />「なるほど、美大の大学教授がオーナーですか。いい作品に出会えそうですね、今度行ってみましょう」<br /> <br /> それから3代目は海外のレストランみたいにテーブルで3人分のお会計をして、あたしたちは贅沢なランチを終えて店を出た。<br />「ご馳走さまでしたっ!」<br /> 並木さんと声を揃えて深々とお辞儀をすると、三代目がまた薄っすら微笑む。<br /> 3人で歩いていると、並木さんのスマホが鳴った。<br />「はい。あ、その件はですね…」<br /> どうやら仕事の話らしい。「先に行ってください」という様な身振りをした並木さんに頷くと、あたしは三代目と並んで歩き出す。<br />「沢口さん、今朝はすみませんでした」<br /> 突然、三代目がそう言う。<br />「え」<br />「失礼なことを言いました」<br />「い、いえ。そんなことは」<br />「いえ、あなたのプライベートに関することだ」<br /> はあ、と三代目の横顔をそっと窺う。<br />「でも、上司として」<br /> と三代目は前置きしてから言った。<br />「何かトラブルでもあったら、相談に乗るくらいはできると思います」<br /> まあ、りこさんに呼び出された後、泣いていたのをきっと見られただろうしなぁ。おまけに惺ときたら中身はIQ140超えでも、見た目からはそんなこと想像もつかないし…。<br />「大丈夫です、トラブルなんかありませんから」<br /> あたしは、三代目の眼を見て、きっぱりそう言った。だって、本当のことだ。<br />「そうですか」<br /> 並木さんが走ってきて、あたしたちに追いついた。<br />「ごめん、ごめん。ん?どうかした?」<br /> ちょっと不思議な雰囲気になっていたらしいあたしたちに、勘のいい並木さんはすぐに気づいた。<br />「いえ、なんでもありません」<br /> 即答と言っていい速さで三代目はそう言うと、「先に行きます」と歩調を速めた。<br /><br />「ねぇ、ホントはなんかあったでしょ?」<br /> 疑わしそうに訊く並木さん。<br />「な、なんにもないよ」<br />「うっそ!ねぇ、菜乃果、もしかしてコクられた?」<br /> ぎぇ、なんてことを言うんだ。<br />「ま、まさかっ!あり得ない」<br /> 慌てるあたしを、並木さんはさらに探るみたいな眼になって訊く。<br />「あり得なくないよ。だって、そもそも今日のランチだって、専務は菜乃果を誘いたかったんじゃないの?それをランチ・ミーティングだなんてカコつけて」<br />「な、なに言ってるの、並木さんっ」<br /> ふ~ん、とにやにやしながらさらにあたしを見つめた並木さんは、クスと笑った。<br />「ま、いいや。菜乃果の鈍さを観察するのも、それはそれで面白いからね」<br /> に、鈍いって、か、観察って。<br />「あのね、並木さん。きっともの凄い、誤解してると思うよ」<br />「ふ~ん、そうかなぁ。ま、いいや」 <br /> 両手を空に突き上げるようにして、並木さんは思いっきり伸びをした。<br />「あ~、それにしてもおいしかったぁ。でも、お腹いっぱい過ぎて午後眠くなりそう」<br />「あたしも~」<br /> そこは気が合ったあたしたちは、少し早足になって午後の業務のために会社へと急いだ。<br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-29 (Wed)
  • Category : アイス
627

⑰鳥籠みたいな部屋と三代目

 インド料理の店を出ると、惺は「送って行くよ」と言った。 働き出してから、あたしは学生時代のワンルームから、通勤に便利な1LDKに引っ越した。契約社員だからそんなに贅沢なところへは住めないけれど、新しいマンションはびっくりするほど好条件だった。 見つけてくれたのは、惺だ。「送ってくれて、ありがと」 マンションの前で、惺を見上げてそう言う。有さんほどじゃないけど、惺だってとても背が高い。「おう」「ごめ... <span style="font-size:large;"><br /> インド料理の店を出ると、惺は「送って行くよ」と言った。<br /> 働き出してから、あたしは学生時代のワンルームから、通勤に便利な1LDKに引っ越した。契約社員だからそんなに贅沢なところへは住めないけれど、新しいマンションはびっくりするほど好条件だった。<br /> 見つけてくれたのは、惺だ。<br /><br />「送ってくれて、ありがと」<br /> マンションの前で、惺を見上げてそう言う。有さんほどじゃないけど、惺だってとても背が高い。<br />「おう」<br />「ごめんね、上がってコーヒーでも飲んでく?って誘えなくて」<br />「いいさ、男子禁制のこのマンションを紹介したのは、他ならぬ俺だから」<br /> そう。<br /> このマンションは男子禁制、24時間コンシェルジュ常勤、駅からは徒歩8分で大通りを通るから遅くなっても怖くない。<br /> 条件の良さから、地方のお嬢様らしき女子大生が多く住んでいる。<br /> 惺からこの物件のことを訊いたとき、おそらくとても高そうだと思った。だけど家賃は、相場よりかなり安い。<br />「ねぇ、もしかして訳あり?」<br /> あたしは思わず、惺にそう訊いた。<br />「ばぁか。新築だぞ、ヘンな事件とか起こってないよ」<br />「じゃ、昔なんかあった土地だとか?」<br /> あまりに信じられなくて、そう訊くあたしに惺は言った。<br />「…実は、販売管理会社の社長が親父の知り合いでさ」<br />「え」<br />「菜っ葉のこと、姪だとかなんとか言っといてもらった」<br />「でも、それじゃあ…」<br /> 申し訳ないので辞退しようとしたあたしの肩を強くつかんで、惺は真剣な眼で言った。<br />「それくらい、させてやれよ。親父もお母さんも、菜っ葉には申し訳なくてどうしていいかわからないんだ」<br /> でも、その好意は受け取るべきじゃない。だって、それはお父さんやお母さんのせいじゃない。こうなったのは、有さんの意思だ。<br /> それを悲しんでも、あたしは責めたり決してしない。事実を、ちゃんと受け止めている。<br /> そう説明して、あたしはかなり強固に断った。<br />「まぁ、そう言わずに。一度、室内(なか)見てから決めてもいいんじゃない?」<br /> いつもは飄々としてる惺が、めずらしく粘った。<br /><br /> そして。<br /> その部屋に足を踏み入れた途端、あたしは自分の眼を疑った。<br /> 天井のライトは鳥籠がモチーフのアンティーク、壁にしつらえられたシェルフもライトと同じデザインのアイアン仕様。シェルフのある側だけが、1本の樹木の周りを小鳥が飛ぶデザインの壁紙にしてあった。モノクロのイラスト風で、まるで大きな絵画のようにも見える。いつか雑誌で見た、パリのアパルトマンの様だった。<br />「この部屋だけ、思いつきでこんなデザインにしてしまったんですよ。やっぱり、好き嫌いありますよね?」<br /> 部屋を案内してくれた管理会社の担当者の言葉を、半信半疑であたしは訊いた。<br /> ぽかんと、鳥籠のライトとシェルフのある壁を見つめるあたしに惺が言う。<br />「この部屋だけ、決まらないらしいんだ。だから助けると思って、借りてくれよ」<br />「そうです、そうです。それに氷川さんには非常にお世話になっているので、借りていただけるとこちらも恩返しができるんですよ」<br /> 本当だろうか…。<br /> まだ半信半疑のまま、それでもあたしは思わず頷いていた。<br /><br /> ここは、鳥籠。<br /> 有さんが用意してくれた鳥籠じゃないけど、でもでも、もしかしたら運命が用意してくれた鳥籠?<br /> 単純なあたしがかなりセンチメンタルにそう信じ込むには、その部屋はうってつけだった。<br /><br /> 此処に、この鳥籠に棲みたい。<br /> そして、あたしは自ら、その鳥籠の中へ入ることを選んだのだ。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 始業前のオフィスで机を拭いたりサボテンに水をやっていると、めずらしく三代目が入って来た。<br />「おはようございます」<br />「ああ、おはよう。沢口さん、早いですね」<br />「専務こそ」<br /> ええ、まあと言って、三代目は自分のデスクに座ると、早速パソコンを起動した。<br /> 見覚えのある、それはそうだ、かつてあたしがアルバイトしていたベーカリーショップの紙袋からコーヒーを出して飲みながら、画面をスクロールしている。<br /> 邪魔にならないように気配を極力消して、あたしは小型冷蔵庫からアイスコーヒーを出してコップに注ぐ。<br /> そうしてあたしもコンピュータを起動させたところで、三代目がいきなりこう言った。<br />「沢口さん、あなたの知り合いは一風変わった人が多いようですね」<br /> は?<br /> 意味が分からず、ぽかんとしたあたしを一瞥すると、三代目はこう続けた。<br />「会社の前で仁王立ちして呼び出す女性とか、ビジネス街に似つかわしくない金髪ミュージシャン風の男性とか」<br /> うわ、りこさんはともかく、見られていたんだ惺のこと。<br /> 焦りながらも、それはプライベートなことじゃないか、とちょっと不服に思う。<br /> だけど、上司だし。逆らうのは得策じゃない。<br />「申し訳ありませんでした」<br /> 素直にそう言ったのが意外だったのか、今度は三代目がバツの悪そうな表情になる。<br />「いや、謝る必要はありません」<br /> はい、それはあたしもそう思いますよ?<br />「ただ、気になっただけです」<br /> 言い訳めいたその一言がらしくないな、と思ったときドアがばん、と開いて並木さんが飛び込んできた。<br /> 必死の表情で、タイムカードを押す。<br />「よしっ!セーフ」<br /> そう言った彼女は、そこで初めて三代目がいることに気がついた。<br />「あわっ、うぇっ!せ、専務、おはようございます」<br /> 並木さんは上体を90度にがくっと折り曲げて、三代目にそう挨拶した。<br /> そんな並木さんをちら、と見た専務は「おはようございます」と低い声で答えた。<br /> 並木さんはあたしにだけ見えるようにぺろ、と舌を出すと、始業時間ぴったりの時間が刻印されたタイムカードをむしろ自慢げに見せてきた。<br /> おお、凄っ!とあたしは唇の動きだけで、彼女にそう伝える。<br /> 並木さんは片目を瞑って、ガッツポーズをして見せた。<br /> ぷぷ、と小さな笑いが漏れる。並木さんはいつもこんな調子だ。<br /><br />「会議に行ってきます。午後は15時にアポイントが入っていますが、それまでなら時間がありますので、なにかあれば報告してください」<br /> 三代目はそう言うと、部屋を出て行った。<br />「いってらっしゃいませ」<br /> 並木さんと、揃ってそう言った。<br />「ねえ、専務、今日機嫌悪くない?」<br /> 並木さんが、そう訊ねる。<br />「そう?」<br />「うん。なんかいつもより、眉間の皺が深かった」<br /><br /> お昼になって、お弁当でも買ってこようかと、並木さんと連れ立って部屋を出る。<br /> 同じフロアにある企画広報室の少し先から、三代目と広報室の溝口さんが歩いてくるのが見えた。<br /> ふたりに会釈して通り過ぎようとした並木さんとあたしを、三代目が呼び止める。<br />「お昼ですか?」<br />「はい」<br /> 並木さんが答えて、あたしが頷く。<br />「たまには一緒に行きましょうか」<br /> は? <br /> 三代目が言った言葉がまるで知らない外国語だったかのように、並木さんとあたしは揃ってぽか~んとした。<br /> えぇっと…いま、なんておっしゃいました?<br />「イタリアン、お好きですか?」<br /> まだ何か言っている三代目と、お互いの顔をあたしたちは交互に見る。<br />「ご馳走します」<br /> ご馳走します!? うぉっ、奢ってくれるってこと!? <br /> この界隈のお店は、昼時はどこも混んでいて、おまけに結構高い。だから、並木さんとあたしは思わず眼をキラキラさせてしまった。<br />「い、いいんですか?」<br /> 食い気味に言った並木さんとあたしを、三代目は可笑しそうに見て言った。<br />「ランチ・ミーティングです」<br />「はいっ!!」<br /> 元気に声を揃えてそう答えたけれど、ふと気がつくと、溝口さんがキツイ眼であたしたちを睨みつけていた。<br /> うっわぁ、ヤバかったかな?<br /> そんな溝口さんに、三代目は涼しい顔で言った。<br />「そういうことで、その件はまた」<br />「わかりました。行ってらっしゃいませ」<br /> 固い口調でそう言って頭を下げた溝口さんの表情を見ないようにして、並木さんとあたしは三代目の後に続いた。<br /> 背中に突き刺さるような視線を感じたのは、気のせいだと思いたいっ。<br /></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br /><br />
  • Date : 2017-03-26 (Sun)
  • Category : アイス
626

⑯惺と思い出の味

「菜っ葉~、見ぃっけ~!」 仕事帰りのビジネスマンやOLが通りに溢れているビジネス街に、まったくといっていいほど似合わない金髪、細身のダメージ・ジーンズ、ド派手なデザインのTシャツ姿の惺が立っていた。 あたしの姿を見つけて嬉々として近づいてきて、いきなりハグした背の高いパンク風の青年を、通りすがりの人達が何事かと胡散臭(うさんくさ)そうに見て行く。「もう、惺ったら。やめてよ、恥ずかしい」 頭一つ分も... <span style="font-size:large;">「菜っ葉~、見ぃっけ~!」<br /> 仕事帰りのビジネスマンやOLが通りに溢れているビジネス街に、まったくといっていいほど似合わない金髪、細身のダメージ・ジーンズ、ド派手なデザインのTシャツ姿の惺が立っていた。<br /> あたしの姿を見つけて嬉々として近づいてきて、いきなりハグした背の高いパンク風の青年を、通りすがりの人達が何事かと胡散臭(うさんくさ)そうに見て行く。<br />「もう、惺ったら。やめてよ、恥ずかしい」<br /> 頭一つ分も違う惺の背中を、あたしはぱしぱし叩いて、人目を引きすぎるハグを止めさせた。<br />「へぇ、菜っ葉。一応、OLらしい格好してるじゃん」<br /> そりゃそうだよ、しかもいまは契約社員とはいえファッション業界の一員だし。<br />「ふうん。ちゃんと化粧して、髪も巻いて、そんな可愛いスカートはいてると、菜っ葉も結構イケてんじゃん」<br />「もう、今頃気づいたのっ!」<br /> ぷぅ、と頬を膨らませて抗議するけど、すぐに可笑しくなってあたしたちはどちらからともなく笑った。<br /> 今日のあたしのファッションは、アイスブルーのとろみのあるブラウスに、真っ白な裾カットワーク・レースのふんわりスカート。靴は歩きやすいように5センチヒールのパンプスで、白とネイビーのコンビ、小さなリボンとビジューがアクセントになっている。バッグはベージュのモノグラム地で、バックルのゴールドとライトピンクの革が特徴的な可愛らしいデザイン。<br /> ピアスとプチ・ペンダントはお揃いで、腕には小振りの時計と細い2連チェーンのブレスレット。<br /> 洋服だけでなく、バッグや靴、アクセサリーにも気を遣うようになったのは並木さんのお蔭だ。コーディネートがワンランク、センスアップするコツを、毎日のファッションにアドバイスしてもらえるのだから、これはもう役得としか言いようがない。<br /> なにしろ、専属のプロのスタイリストがついているようなものだ。<br />「こういう大胆なプリントの洋服のときは、バッグと靴の色を同じにした方がいいよ」<br />とか<br />「Tシャツのコーデでも、アクセをゴージャスにして、遊び心のあるピンヒールを合わせると、こういう業界ならオフィスでも全然OKだよ」<br /> とか、眼から鱗のアドバイスの数々は、確実に役立っている。<br /> それに並木さんのお手本ファッションを、毎日見られるだけでも楽しいし勉強になる。<br /><br /> それはさておき、そんなビジネス街仕様、OLファッションのあたしと、相変わらず金髪パンク・ビジュアル系、派手だけど背が高くてよく見ればイケメンの惺が並んで歩いているのだから、眼を引くのは当たり前だ。<br /> 終業後でもう暗くなっているから良いものの、これが日中だったらどんだけ目立つことか。<br />「惺、何が食べたい?今日は、お姉さんが奢ってあげよう」<br />「お姉さんて…2か月早く生まれただけじゃん」<br />「2か月でも、お姉さんはお姉さんだよ。それに学生の惺と違って、もう働いてるし」<br /> 契約社員だけど、とつけ加えたのはさらっと聞き逃したふりをして、惺が言う。<br />「よぉし、じゃあ、今日は遠慮なく奢ってもらおっと」<br />「うんっ。そうだ、惺。インド・カレーとか、どう?」<br />「お、いいね。俺、ナン大好き」<br />「場所は、銀座だけど、いい?」<br />「いいよ、こっから数駅じゃん」<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 懐かしい店構え、そして数メートル先から漂うスパイシーな香り。<br /> この店に初めて有さんに連れられてきたとき、あたしはこんな意地悪で大人で不釣り合いなひととつき合うことになるなんて、考えもしていなかった。<br /> つきあってからも何度か一緒に訪れて、その度に有さんは初めての来たときのことを思い出させては、意地悪に笑った。<br /> そんな有さんに「意地悪」という言葉はいつだって恥ずかしさと甘えを含んでいて。<br />「そうさ、俺は俺の仔猫には特別に意地悪なんだよ」という答えには、いつだって満足そうな嬉しそうな気配が漂っていた。<br /> 有さん、また一緒に来たい。<br /><br />「いらっしゃいませぇ」<br /> インド出身とおぼしき人が、いつもと同じように、ちょっと不思議なイントネーションで出迎えてくれる。<br /> 席に案内されて、メニューを渡された。<br />「あのね、コースがお得だよ」<br /> お姉さんぶって、惺にそうアドバイスする。<br />「ふうん、カレーが2種類選べるのか」<br />「そ。あとサラダとタンドリーチキンと、ドリンクもつくんだよ」<br /> ちょっと慣れた風にそう説明するあたしを、惺が上目遣いで覗いてくる。<br />「?なに?」<br />「あのさ、菜っ葉。ビール、飲んじゃダメ?」<br /> へぇ、惺もお酒飲むようになったんだ。もっぱら、コーラだったのに。<br />「いいよ。コースのドリンクは、プラス200円で生ビールに変えてもらえるよ。他のお酒の場合は…」<br />「まじ?」<br />「うん、だっていつも有さんは…」<br /> そうしてお酒を頼んでたから、という言葉は飲み込んでしまった。<br /> ちょっと狼狽えてしまったあたしを、惺が優しい眼で見る。そんな優しい表情しないでよ、せつなくなるから。<br /> <br />「え、え~と、今日はあたしもビール、飲んじゃおっかなぁ」<br /> せつない気持ちを振り切るように、あたしは元気に言った。<br /> 惺はキーママサラ(挽肉のカレー)とチキンピヤザ(チキンと玉ねぎのカレー)の2種類をチョイスし、あたしは有さんが良く好んで食べていたサグチキン(ほうれん草とチキンのカレー)とジンガマサラ(えびのカレー)を選んだ。<br />「辛さはどうする?」<br /> そう訊く惺に<br />「おススメは3辛だよ」<br /> と元気に言って、それは有さんがいつも頼むからさだったと、また眉を寄せて遠い眼になってしまう。<br />「じゃ、3辛で」<br />「しょーちしましたぁ」<br /> インド人と思しきボーイさんが、いつもの軽ーい感じでそう言うと、メニューを下げて行った。<br />「なんかさ」<br /> 惺が言う。<br />「なに?」<br />「今日の菜っ葉は、百面相だな」<br />「百面相?」<br />「うん。淋しそうな顔になったり、急に元気に笑ったり、せつなさそうに不機嫌になったり、遠い眼になったりしてさ」<br /> げ、バレバレだ。あたしの心ん中。<br />「ご、ごめん」<br />「謝ることなんかないけどさ、面白いし」<br />「面白いって…」<br /> 酷いよ、惺。でも、マジに受け止めないで茶化してくれると救われる。<br />「あのね、惺」<br />「うん」<br />「この店、教えてくれたの有さんなの」<br />「そっか」<br />「うん」<br /> ビールが運ばれてきて、あたしたちは乾杯した。<br /> ふたりとも唇に泡をつけて、しばらく沈黙を炭酸と共に飲み込む。<br /> <br /> 先に口を開いたのは、惺だ。<br />「兄貴の絵、ほぼ完成してたぞ」<br />「行ったの?惺、別荘に」<br /> あたしは思わず、驚いたような声を上げた。<br />「うん。お母さんに、着替えとか食料とか持ってけって言われて」<br />「いつ?」<br />「先週末」<br /> 有さんと過ごした別荘とあの日々が、いまもありありと眼に浮かぶ。<br />木漏れ陽を金色のシャワーのように落とす樹々や、高い青空と優雅に浮かぶ白い雲、そしてその中に佇むクラシックな洋館と手入れの行き届いた庭。<br /> 殆ど出掛けることなく1日中、有さんおススメの映画のDVDを見たり、一緒にご飯をつくったり、ぴったり寄り添っておしゃべりしたり、抱き合ったり、無言で見つめ合ったりした。<br /> ただ傍にいるだけで満たされて、時間がゆったりと、それなのにとても速く過ぎて行ったっけ。<br /><br /> そしてあのリビングで最後に見た、白い布に覆われたキャンバス。なにが描いてあるか、確かめる勇気がどうしてもでなかった、有さんの絵。<br />「訊かないのか?」<br /> 黙ってしまったあたしに、惺がそう訊く。<br /> 何を? ううん、わかっている。 でも、知りたくないんだ。そして、とても知りたい。<br />「誰を描いていたか」<br /> 惺は、何をではなくて、誰を、と言った。<br /> それを、その事実を確かめろと言うの?<br /> あたしは無言で、そう惺に問いかけた。<br /><br /> コースが運ばれてきた。<br /> あたしたちは、しばらくまた無言でそれを食べた。<br />「なぁ、菜っ葉」<br /> 惺が、カレーをつけたナンを口に頬り込みながら訊く。<br />「兄貴のこと、まだ好きか?」<br /> うん、とあたしは頷く。<br />「当たり前のこと訊くな、って顔だな?」<br /> また、こく、と頷く。<br />「どこが、そんなに好きなんだ?」<br /> どこ…。<br /> 有さんの好きなところなら、たくさんある。<br /> ちょっと冷たい眼と、笑わないクールな横顔。だけど時々、淡い笑みを浮かべるから見惚れてしまう。滅多にないけど破顔する時だってあって、まるで陽だまりを見つけた猫みたいに、ごろごろと甘えてしまうんだ。<br /> それから背がとてもとても高くて、長身を折り曲げるようにキスしてくる瞬間。眼鏡の奥の、意外に長い睫毛。優しい吐息と、大人の男のひとなんだなって思う低くてセクシーな声。その声に「菜乃果」って呼ばれると、あたしの心はとろとろに溶け出す。<br /> いつだって意地悪を言うこと、そのときの眼が妖しく甘いこと。素肌で感じる細いのにしっかりした筋肉、そして肌と肌が触れ合っただけで痺れるような幸福感と快感に包まれることができる。<br /> 「俺の仔猫」「菜乃果はもう籠の鳥だ」っていうときの、薄い唇。どきどきして、きゅんとして、ぎゅってしがみつくと、長い指が髪を梳き、頭を撫でてくれる。<br /> こんな素敵で愛おしいひとは、世界中探したってほかにいない。だから…<br />「どこって言えないくらい、好き」<br /> 惺はちょっと眉根を寄せて、鼻の下を指で掻く。<br />「兄貴じゃなきゃ、ダメなのか?」<br />「うん」<br />「即答かよ」<br /> うん。だって、出逢ってしまったから。<br /> 有さんの代わりなんて、いないの。<br /><br /> 惺は突然、持っていた袋をゴソゴソし出すと、テーブルの上に包みをぽん、と置いた。<br />「菜っ葉に、土産」<br /> なに?と訊くまでもない、見覚えのある包装紙。<br />「これ…」<br />「うん」<br />「李人さんの?」<br />「うん。兄貴が持ってけって」<br />「あたしが貰っていいの?」<br />「当たり前だろ」<br />「でも、でも。有さんは氷川家の皆さんに、渡したつもりじゃないの?」<br />「さぁね。あの兄貴だよ?持ってけって、それだけだから。俺が好きに解釈したって、問題ないだろ?」<br /> 問題はあるかもしれないけど、正直、あたしはそれが欲しかった。<br /> 有さんと一緒にキッチンで、ボイルして並べた李人さんのソーセージ。思い出の味、忘れられない時間。<br /> 「李人にも籠の鳥がいる」と有さんは言った。それがなければ「僕は生きてはいない」そう李人さんは言った。<br /> 己の生きる価値だとさえ言う、李人さんの籠の鳥。それがどんなひとなのか、会うことはなかったけれど。<br /> 愛しいひとに、そこまで言わせるだけのひと。あのときは素敵だなって思うだけだったけれど、いまは羨ましくて眩暈がしそうだ。<br /> あたしは、有さんの生きる価値には、なれなかった…。<br /><br /> テーブルに置かれた包みに、おずおずと手を伸ばす。<br /> かさり、と紙の音がするそれを、あたしは胸に抱き締めた。<br />「…あ、ありがと。惺、う、嬉しい」<br />「泣くなよ、菜っ葉」<br /> だって、本当に嬉しいんだもの。<br /> いまは有さんに繋がる、有さんの思い出に繋がるすべてが愛おしい。<br /> 同時に苦しくてたまらないけど、それでも愛おしい。<br />「菜っ葉、もう一度訊いていいか?どうして、そんなに兄貴が好きなんだ?」<br /> その問いに、今度はあたしは真っ直ぐに惺の眼を見て答えることができた。<br />「出逢ってしまったから」<br /> そう。<br /> これは運命。たとえ悲恋に終わっても、これは運命なんだ。</span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-25 (Sat)
  • Category : アイス
625

⑮あなたが教えてくれたこと

「で、今度はこの7パターンをアンケートに協力してくれた人たちと、インスタグラムにあげて不特定多数の人達の、感触を探ろうと思うんです」 企画開発事業部では、いま会議が行われている。 目の前には、並木さんがスタイリストの経験を活かして借り集めてきた洋服が、小物までコーディネートされて並んでいる。「やっぱり、実際に眼にしてみないとファッションて、イメージが伝わりにくいと思うんです」 アンケートの集計結果... <span style="font-size:large;">「で、今度はこの7パターンをアンケートに協力してくれた人たちと、インスタグラムにあげて不特定多数の人達の、感触を探ろうと思うんです」<br /> 企画開発事業部では、いま会議が行われている。<br /> 目の前には、並木さんがスタイリストの経験を活かして借り集めてきた洋服が、小物までコーディネートされて並んでいる。<br />「やっぱり、実際に眼にしてみないとファッションて、イメージが伝わりにくいと思うんです」<br /> アンケートの集計結果にイマイチ曖昧なものを感じたあたしたちは、実際のファッションコーディネートで、今度はアンケートを取ろうとしていた。<br /> 並木さんが創ったコーディテート・パターンは、『オフィス・クール』『オフィス・エレガント』『休日カジュアル』『休日スウィート』『ボーイッシュ』『シンプル』『ロマンティック』の7つだ。<br />「ちなみに『オフィス・クール』と『シンプル』で使っているTブラウスは同じものです。あと『オフィス・エレガント』と『ボーイッシュ』で使っているジャケットも同じもので色違いです」<br /> 並木さんが具体的に見せたいのは、コーディネート次第で着こなしのイメージが変わるということだ。<br />「つまり?」<br /> 浅野さんが、わざと意地悪な表情で確認する。<br />「企画開発事業部の新ブランドが主流として打ち出すのは、着こなしの核となる定番アイテム、それをコーディネートと合わせて提案します」<br />「定番アイテムと言うのは、どこのブランドでも扱っていませんか?どう差別化しますか?」<br /> 専務が、当然と言えば当然の質問をしてきた。<br />「ファスト・ファッションのように廉価な素材や縫製ではなく、かと言って高級ブランドのように高品質の素材でも有名デザイナーのデザインでもない。価格設定的にも、ファスト・ファッションよりワンランク上を狙います」<br /> そう答えた並木さんに、今度は遠慮のない浅野さんがズバリと言う。<br />「それこそ、巷(ちまた)にごまんと溢れてねぇか?」<br />「それは…そうなんですけど。でも、ちょっと違うと言うか…」<br /> 並木さんが言葉を選びながら、一生懸命、説明しようとしている。<br />「上手く説明できないんですけど、流行に流されない流行服というのを狙いたいんです」<br /> 三代目と浅野さんが首を傾げている。上手く伝わらなかったようだ。<br />「つまり、人それぞれ好みはあっても、つい毎日のように手に取ってしまうお気に入りの一枚ってあると思うんです。そんなお気に入りだったり安心できるアイテムを毎年、少しずつ買い足してクローゼットを満たしていけるブランド…みたいな感じなんです」<br /> あたしもあたしなりに一生懸命、並木さんをサポートしようとする。並木さんとあたしの中では、共通認識ができていることなのだけれど、それをうまく説明できない。<br />「う~ん、もっとわかりやすいキーワードとか、キャッチフレーズにしないと、消費者には伝わりにくいですね。またその前にコンペに参加してくれるデザイナーに、ブランド・コンセプトが伝わりにくい」<br /> 三代目のもっともな指摘に、並木さんとあたしは思わず顔を見合わせる。<br /> そうなのだ、ふたりで何度も話し合いを重ねていて、どうしても言葉で表現できなかったのだ。一番痛い、そして不可欠なポイントを三代目に突かれた感じだ。<br />「すみません。あたしたちの思いを表現できる『その一言』が、なかなか思い浮かばなくて」<br />「ふ~ん。じゃあ、リオンと菜乃介の間では、わかっているってことか」<br /> そう言う浅野さんに、並木さんとあたしはこくこく何度も頷く。<br />「ところで、このコーディネートで何をリサーチしたいんです?」<br />「まず最初に同じ服を使っても『エレガント』や『ボーイッシュ』など全く違ったイメージにコーディネートできたり、ONとOFFの両方に活用できるアイテムへの評価を知りたいです。それともう一つは、好きなイメージの統計を取りたいです。それによって狙ったターゲットへ向けた、定番アイテムが見えてくるような気がするんです」<br /> 並木さんが冷房の効いた部屋にもかかわらず、額の汗をハンカチで拭った。それだけ、彼女は真剣だということだ。あたしもぎゅうと握り締めた両掌に、汗を感じている。<br />「なるほど。でもそれだったら、この各イメージのコーディネートは1パターンでは足りないですよね?」<br /> 三代目の表情と顔が、いつもよりビジネスライクになる。<br /> その言葉は、並木さんもあたしも予測していたことだ。<br />「はい。おっしゃる通りです。この方向性で間違いがないなら、各イメージにもう何パターンかコーディネートを加えて、リサーチしたいと思っています」<br /> 三代目が顎に手を当てたまま、並木さんの用意したコーディネートをもう一度じっくり見ている。<br />「それは構いませんが…。何度も言うように、ブランド・コンセプトを明確な言葉で伝えた方がアンケートに協力してくれる方々にもわかりやすいんですけどねぇ」<br /> やはり、そこか。<br />「あ、あの…。な、7年後も好きな服…とか、どうでしょう?」<br /> 今日の会議のために、さんざん悩んでいたフレーズを、あたしは思い切って言ってみた。<br />「7年後ですか…」<br /> ちょっと考えるように言った三代目。<br /> さすがに、7年は長いかな。でもそれくらい愛着を持てる服ってイメージを、伝えたいんだけどな…。<br /> う~んと考え込んだ三代目と、顔を赤くしてもじもじしはじめたあたしを横目で見ながら、浅野さんが訊く。<br />「リオン。女ってさ、買った服、何年ぐらい着るもんなの?」<br />「それは…人によって違うって言うか。ファスト・ファッションは安い分、毎年買ってほしいわけだから、何年も着られたら売上的に困るでしょうし」<br />「だから布地も縫製も質にこだわらず、安価に仕上げていますからね」<br /> 並木さんと三代目の言葉に、ふ~ん、と考え込んだ浅野さんが今度はあたしに訊く。<br />「菜乃介、お前は?一枚の服、どのくらい着てるの?」<br />「う~ん。高かったのに1年でなんとなく着なくなってしまう服もあれば、気がつくと5年も愛用してるシャツもあるんですよねぇ」<br /> その言葉に、並木さんの顔がぱっと輝く。<br />「そう、それだよ。せっかく高い服買っても着なくなるのって、それってなんか自分テイストじゃないってことじゃない?逆に何年も着ているのは、流行が変わっても対応しやすくて、自分らしいコーディネートができる服だったりしない?」<br />「あ、そう言えば、そうかも。今年も新しいシャツを買ったけど、やっぱり自分テイストって言えなくもない。今年流行りのボトムにも、バッチリ合わせやすかったよ」<br /> 並木さんとあたしのやり取りを訊いていた三代目が、うん、と一つ頷いた。<br />「少し、見えてきたようですね、方向性が」<br />「で、何年だよ」<br /> 浅野さんが言う。<br />「だからっ、それは人によっても、洋服によっても違うから。数字には表しにくいんですよ!」<br /> 並木さんが、ぷぅ、とふくれる。<br />「しかし、具体的に表した方が、説得力はありますね」<br /> と三代目。<br />「う~ん、3年?5年?…違うなぁ。あたし、このシャツは3年目だけど、7年も着てる服ってあったかなぁ?あ、あったわ。黒の何でもない形のパンツ」<br />「あとさ、女は体形とか、どのくらいで変わんの?太って着れなくなくなった服だって、あんだろ?」<br /> 浅野さんがあっけらかんと訊くが、こういう会議の場合、タテマエ抜きで本音を話す方が話しが早い。<br />「20代、30代のターゲット年代はダイエットに関心も高いし、体形キープには気を遣っていると思うんですよ。でも子供を産んだり、40代になると体形が変わるって訊きくよね?」<br /> 並木さんが、そう訊いてくる。<br />「うん、でもいまは40代でも年齢を感じさせない綺麗な人が多いし、サブ・ターゲットに充分になる年代だと思うし。やっぱり具体的に数字を出すと、それぞれの年代で違和感があるかも…」<br /> う~ん、とそこで会議は煮詰まってしまった。<br /> なにか、いいところまで行きかけているのに、あとちょっとでシッポが掴めそうなのにつかめない感じが悔しい。<br /><br /> 有さんなら、こんなときどんなアイデアを出すんだろうなぁ。<br /> 有さんに説明するつもりで、あたしは自分なりのイメージを頭の中に思い浮かべた。<br /> いつだってクローゼットの中にあると安心な服ってあるでしょ?<br /> 気がつくと、なんでだか出番が多い服。<br /> 女の子だから、今年流行のデザインや色のファッションは、そりゃあ欲しいよ。<br /> でもね、流行の服に着られるんじゃなくて、自分らしく着こなすために、必要な頼れる服。<br /> そんな服は、女の子にとって、どんな存在なんだろう。<br /> 「菜乃果…」有さんが笑いながら、そう呼んだ気がした。<br /><br />「あ」<br />「どうしました、沢口さん?」<br /> 続いていた沈黙を破ったあたしの間抜けな小声を、三代目が拾ってくれた。<br /> 並木さんと浅野さんの注目も集まって、ちょっと緊張する。<br />「あの、あのですね。来年も好きな服、ってどうでしょう?」<br />「来年も、好きな、服…」<br /> 噛みしめるように、並木さんが繰り返す。<br />「はっきりと年数を言っているわけではないけれど、具体的ではありますね」<br /> 三代目がそう言って、考え込む表情になった。<br />「来年も好きな服かぁ。その次の年も、またその次の年もそう思えたら、続いていくわけだ」<br /> そう言った浅野さんに、並木さんも言う。<br />「なんか、ちゃんと選んだ一着を、ちゃんと愛して着てる感じがする」<br />「そうですね。そう言う考えやライフ・スタイルを持った人に、受け入れられるブランド…。うん、いいじゃないですか」<br /> めずらしく、三代目の声が最後は弾んで聞えたのは気のせいだろうか。<br />「菜乃果、Good job!」<br /> 並木さんが嬉しそうな顔で、右手の親指を立てた。<br /><br /> 有さん、ありがと。<br /> 有さんのこと思い浮かべてたら、そんなフレーズが降りて来たよ。<br /> 来年も、再来年も、その次の年もずっとずっと好きでいること。それは、とても素敵なことだよね。<br /> 洋服でもインテリアでも、きっと出逢いなんだよ。コレだって思える、モノ?<br /> ましてや、それが‘ひと’だったら。<br /> そんな‘ひと’と出逢ってしまったら、もう、どうすることもできないんだ。<br /> そうでしょ? ねぇ、有さん…。<br /></span><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-22 (Wed)
  • Category : アイス
624

⑭浅野兄弟

 例の飲み会以来、浅野さんとあたしたちの間には仲間意識とか信頼感とかが一層強くなり、何でも話せるいい関係性が生まれた。たまぁ~に、お互い遠慮がなさ過ぎることがあるけど、それはまぁご愛嬌と言うことで。 ということで、今日も浅野さんは企画開発事業部の一角で文字通りお茶を濁しているわけだが。並木さんは訳あって、昔取った杵柄というか、スタイリスト時代のスキルを活かしてショップ巡り中だ。「なぁ、菜乃介」「な...  例の飲み会以来、浅野さんとあたしたちの間には仲間意識とか信頼感とかが一層強くなり、何でも話せるいい関係性が生まれた。たまぁ~に、お互い遠慮がなさ過ぎることがあるけど、それはまぁご愛嬌と言うことで。<br /> ということで、今日も浅野さんは企画開発事業部の一角で文字通りお茶を濁しているわけだが。<br />並木さんは訳あって、昔取った杵柄というか、スタイリスト時代のスキルを活かしてショップ巡り中だ。<br />「なぁ、菜乃介」<br />「なんですか、邪魔しないでください」<br /> あたしは、ネットや知り合い関係に取ったアンケートの集計中。<br />「やっぱ、女ってのは影のある男に惹かれる訳?」<br /> 邪魔しないでと言ったあたしの言葉をまるっと無視して、浅野さんが似合わないことを言った。<br />「は?どうしたんですか、いい年して恋煩いですか?」<br />「お前ねぇ、最近リオンに似てきたぞ。前はもう少し、俺に対して優しかったぞ」<br /> あは、それはスミマセンでした。<br /> あたしは心の中で謝って、ぺろ、と舌を出す。<br />「だって。似合わないこと訊くから」<br />「似合わないかなぁ。まぁ、そうだな」<br /> 浅野さんも、へら、と笑って認める。<br />「似合わないのは認めるけど、で、どうなんだよ?」<br />「影のある男、ですか?どうかな、人によるんじゃないですか?」<br />「お前は、どうなんだよ?菜乃介」<br /> え?あたし?あたしは…<br />「う~ん、影があるからって、そこだけに惹かれるとかはないかな」<br /> 正直に答えたその言葉に、浅野さんが驚く。え、なんで?<br />「ホントか!? お前は、影のあるタイプが好きそうだと思ったんだけどなぁ。じゃあ、じゃあさ、直樹の秘密を訊いても、クラ…とかこない?」<br /> はぁ、何言ってるんですか?浅野さん、単細胞ですか?<br /> 失礼な発言は心の中だけにとどめて、あたしは言った。<br />「別に…。そうか、専務もいろいろあったんだな、とは思いますけど。そもそも人って、誰でもいろいろ抱えてるものじゃないですか。ことさら他人に言わないだけで」<br /> まだびっくりしている浅野さんに、こっちの方がびっくりだ。<br />「あの…、女子はそんな単純じゃありませんよ?」<br />「そうなのか!?」<br /> うわぁ~、浅野さん。もしかして、恋愛スキル低すぎ? 人のことは言えないけど。<br /><br />「そうか、くそ、わかってたんだな、あの人。くっ、負けた、賭けに負けた…ぶつぶつ」<br /> 今度は訳のわからないことを言いはじめた浅野さんに、大丈夫か?と思いながら訊く。<br />「誰ですか?あの人って、賭けって、何の賭けですか?」<br />「いや、それはほら。ひ…あ、」<br />「ひ?」<br /> 浅野さんの眼が泳ぐ。<br />「えぇとっ。ひ、ひっ、ひっ…」<br /> ??? どうした、まさかヒキツケでも起こしたか?<br />「ひ、人でなしの、そう、人でなしのだな、先見の明がある…あ、」<br /> 浅野さんがさらに混乱して、今度はがば、と自分の口を両手で押さえつけた。<br /> 先見の明?<br />「ああ、もしかして、借金肩代わりしてくれた人、ですか?」<br /> 浅野さんがまだ両手で口を押えたまま、眼を白黒している。<br /> あの~、窒息する気ですか?<br />「な、なんで、わかった」<br /> いや、だって。わかるでしょ、そんな簡単なこと。<br />「う、ダメだ。バレたら殺すって言われてたんだ。マズイ、絶対マズイ。あ、俺帰るわ」<br /> 頭を抱えるようにして、いきなり立ち上がった浅野さんは、そのままふらふらと入口の方へ歩き出した。<br />「え?あ、浅野さんっ?どうしたんですか、帰るんですか?」<br /> 訳がわからない状態のあたしをそのまま放置して、浅野さんは部屋を出て行った。<br /> いったい、どうしたんだ?<br /> 一瞬ぽっかーんとして後ろ姿を見送ったけど、まぁいいや、とあたしは仕事に戻った。<br /> <br /> そこに今度は。<br />「お疲れさま」<br /> と言って三代目が入って来た。<br />「あ、おかえりなさい、専務。お疲れさまです」<br /> 3日ほど出張続きだったはずの三代目は、相変わらず忙しそうだ。眼の下に疲れの影を認めて、あたしは言った。<br />「あの。アイスコーヒー、いかがですか?」<br /> 梅雨の晴れ間の今日は気温も盛夏かと思うほど高く、額に汗をかいた三代目はほっとした笑顔を見せると言った。<br />「ああ、ありがとう」 <br /> 事業部に備えたばかりの小さな冷蔵庫からアイスコーヒーのパックを出し、氷を入れたコップに注ぐと、ミルクとガムシロップ、ストローを添えて三代目の前に置く。<br /> 三代目は相当疲れているのか、ミルクだけでなくめずらしくガムシロップも入れて、アイスコーヒーをおいしそうに飲んだ。<br />「ところで、兄さんが慌てた様に帰って行ったけど…?」<br /> ああ、会ったんですね。<br /> 最後は挙動不審みたいになった浅野さんを思い出して、あたしはく、と笑った。<br />「?」<br /> 三代目が怪訝そうな表情で、どうしたのと目顔で訊いてくる。<br />「専務。浅野さん、借金全額返済したって本当ですか?」<br /> ああ、と言う風に三代目はちょっと顔を曇らせた。<br />「まったく、兄さんは。ずっと返済が滞っていたかと思ったら、いきなり社長室にやってきて、現金で残額の80万円を置いていった。いきなりどうしたのかと問い詰めた私たちに、昔からの知り合いが都合してくれたって言うんです」<br /> 昔からの知り合い? へぇ、そんな奇特でお金に余裕がある人がいたんだ。なら、なんで最初からその人に借りなかったんだろう。<br />「そんな関係のない、言わば他人に迷惑をかけるくらいなら時間がかかってもいいから身内に返済しなさいと言った社長に、兄さんは返済が必要のない金だと言ったんです」<br />「返済が必要ない? それって、どういう…」<br />「詳しくはどうしても言わなかったけれど、契約金にみたいなものだとか…」<br /> ああ、そう言えばバイトはじめたとか言ってたっけ。でもバイトで、契約金?<br />「またおかしなことに関わっているのではと、社長は大変心配していたんですが、そうでもなさそうで…」<br />「そう、ですか」<br />「なにか、訊いていませんか?」<br /> と言われて、あたしはギクリとした。<br /> 三代目の質問が浅野さんのことだとわかっていても、あの秘密を知ってしまったことが、あたしの態度をどことなくぎこちないものにする。<br />「い、いえ。とくに何も!」<br /> 思わず声に力が入ってしまった。<br /> 三代目が、ちょっと怪訝そうな顔をした。<br /> マズい、あたしボーカーフェイス苦手なんだよぉ。<br /> そのとき事業部のドアが軽くノックされて、綺麗な女性がドアを開けた。<br />「失礼いたします」<br /> その女性はあたしには見向きもせず、三代目を見ると優雅な仕草と声でこう告げた。<br />「専務、社長がお待ちかねですが」<br />「ああ、悪かった。すぐ行く」<br /> そう言うと、三代目は立ち上がった。<br />「コーヒー、ご馳走さま。なかなか君たちと打ち合わせができなくて、申し訳ない」<br /> そう気遣ってくれる三代目に、あたしは言った。<br />「お忙しいのはわかっています。それより、社長がお待ちですから」<br /> ああ、と頷いて、三代目は急ぐように事業部を出て行った。<br /><br /><br /> 浅野さんには、ああ言ったけど。<br /> 人の抱えている影や宿命は、似ているようで根本的に大きく違うのだと思う。<br /> たとえば有さんと、三代目。<br /> 実の両親ではない人達に育てられたという意味では、その境遇は似通っていなくもない。<br /> でも三代目は、知らない人達にいきなり引き取られたわけではない。しかも母親は不幸にも亡くなってはいるけれど、存命な実の父親とともにそれが誰なのか、ちゃんとわかっている。<br /> そして三代目は、待っていてくれる人がいる。幼い頃はきっと母親が、そしていまは愛情を注いで育ててくれた母親兼社長が。三代目は、亡くなってしまった母親を待つ人ではない。母の面影を持つ新しい母に、幼い頃もいまも待たれている人なのだ。<br /> 有さんとは、そこが決定的に違う。<br /><br /> 有さんは、実の両親を知らずに育った。しかもその両親が生きているかも死んでいるかもわからないまま、たった独りで“ 待って”いたのだ。<br /> いつ迎えに来てくれるのか、永遠に迎えになど来てくれないのか、それすらもわからないまま。<br /> でも、有さんはきっと心のどこかで待っていたのだと思う。確たる望みのない状況で幼い子供がひたすら待ち続ける、それはどんなにか切なく空しく狂おしい時間だっただろう。<br /> ただ、ひたすら絵を描きながら。優しいけれど他人のシスターたち、そして同じように孤独を心の奥深くに抱え込んだ子供たちの中で。<br /> やがて迎えに来てくれたのは、実の両親ではなくて、新しい両親になる人達。その家庭に迎え入れられて、有さんは待つことを止めただろうか?<br /> その答えは、あの絵の中にあるような気がした。<br /> 有さんが描いた、後ろ姿の母親の絵。<br /> それが氷川家のお母さんなのか、実の母親なのか、あのとき有さんにもわからなかったのではないだろうか。<br /> 自分が心待ちにしているのは、いまのお母さんの笑顔なのか、本当のお母さんの笑顔なのか。振り向いてほしいのに、振り向いてほしくない、なぜならどちらでも苦しいから。もしいまのお母さんの顔でなければ、自分を引き取って育ててくれた人への義理が立たない。だけど本当のお母さんだとしても、自分はその顔すら知らないのだ。振り向いたその顔が思い描いていた母とは全く別の顔だったら、いや顔のないのっぺらぼうだったら…。<br /> 有さんの葛藤が、いまなら少しはわかる。ううん、実のところはわかったなんておこがましいだけかもしれないけど。<br /><br /> そんなとき、待ち人が現れたら…。<br /> その人との時間を取り戻そうとするのは、当然だ。知りたかったこと、訊きたかったこと、確かめたかったこと、過去と現在を整理しなければ、有さんみたいに頭のいい人だって前には進めない。<br /> 時間が必要なのだ、待った時間と同じくらい、いやそれ以上の密度が濃い時間が。<br /><br /> ねぇ、有さん。<br /> だからあたしも、待とうと思うの。<br /> 待っていることを告げることもできなかった有さんと同じように、ひっそりと誰に告げるのでもなく。<br /> ただ待って、待って、待って、待って。<br /> 逢えない時間を、想いの時間に変えていく。<br /> 答えがない、終わりが見えないからこそ、あたしはそこに期待なんかしない。<br /> ただ、待つだけ。あの日の幼い有さんのように。<br /> 迷子の仔猫のままで。開け放たれた鳥籠から出ることもできずに、隅っこに縮こまる盲目な鳥のように。<br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-19 (Sun)
  • Category : アイス
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⑬専務の秘密

 浅野直樹の名前は、この世に生を受けたときは『片山直樹』だった。 片山直樹の母、彩華(あやか)は直樹が2歳のときに病死した。 直樹の父、片山友利(かたやまゆうり)は浅野興産の社員で、彩華は浅野グループの直系の次女、つまり浅野麗華(あさのれいか)の妹だった。 妻の死後、男手一つで直樹を育てると言った片山友利に、麗華と彩華の父は反対した。片山友利は将来を嘱望された男で(だからこそ浅野家の令嬢である彩華... <span style="font-size:large;"> 浅野直樹の名前は、この世に生を受けたときは『片山直樹』だった。<br /> 片山直樹の母、彩華(あやか)は直樹が2歳のときに病死した。<br /> 直樹の父、片山友利(かたやまゆうり)は浅野興産の社員で、彩華は浅野グループの直系の次女、つまり浅野麗華(あさのれいか)の妹だった。<br /> 妻の死後、男手一つで直樹を育てると言った片山友利に、麗華と彩華の父は反対した。片山友利は将来を嘱望された男で(だからこそ浅野家の令嬢である彩華との結婚に何の障害もなかったのだが)、仕事と育児の両立で持てる能力を疲弊させるにはあまりにも惜しい逸材だった。<br /> それに、まだ2歳と言う幼い子供には、母の愛情と温もりが不可欠だと浅野家の誰もが考えた。<br />「ねぇ、お父様。あたしが直樹の面倒も見るわ」<br /> 5歳の長男がいる麗華が、そう申し出た。<br />「しかし、お前はレイカ・インターナショナルを立ち上げたばかりだろう?」<br />「大丈夫、これまでだって経営に関することは真也(しんや)さんがやってくれたし。あたしの仕事はデザイン部門の管理をすることだから、お手伝いさんやベビーシッターの手を借りれば十分可能よ」<br /> 麗華の夫、浅野真也は婿養子だった。麗華とは大恋愛の末に結婚し、他の浅野家の人材から見れば凡庸の部類に入るが、情と懐の深さは経営面だけでなく相談役としても存在感を示しはじめていた。<br />「直樹、麗華おばちゃん好きでしょ?」<br /> まだあどけない2歳の男の子は、母と仲が良く、似た容姿を持ち、母が亡くなってからいっそう可愛がってくれる麗華が大好きだった。<br />「うん、大好き」<br />「直坊、おじちゃんは好きか?」<br /> 浅野真也が、子供や動物になぜか好かれる温厚な表情をさらに優しく崩して、直樹に訊ねた。<br /> ちょっと小首を傾げて可愛らしく考えた直樹が、やがて言った。<br />「うん、一真お兄ちゃんの次に好き」<br /> それを訊いて、浅野真也は傍らに立っていた、自分の息子に訊いた。<br />「一真。お前、弟を欲しがっていただろう。直樹がなってくれるぞ」<br />「お父さん、違うよ、僕が欲しかったのは子分だよ」<br /> つんと鼻を上げてそう言った一真の手を、小さな手がそっと握った。<br />「一真お兄ちゃん…」<br /> やっと歩きはじめた直樹を可愛がり過ぎて、いつも最後は泣かしてしまう不器用な一真が、きゅっと眉根を寄せた。<br />「なんだよ、直樹。心配するなよ。よし、今日から直樹を僕の子分にしてやるっ!」<br /> それを見た浅野麗華は、片山友利に言った。<br />「友利さん、あなたは浅野グループのために欠かせない人よ。思う存分、その力を発揮して頂戴。直樹は、大事な妹の忘れ形見は、あたしが責任持って育てるわ」<br /> こうして幼い直樹は浅野真也と麗華の養子となり、一真と共に2人の子供として育てられることとなった。<br /> そして現在、片山友利は浅野興産の取締役として、期待以上の仕事をしている。彼はこの5年後に再婚し、2児の父となった。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 浅野さんの話を聞き終えた並木さんとあたしは、三代目の秘密の予想もしなかったシリアスさに、ぽかんとした。<br />「え、いや、これどうリアクションしたら…」<br /> やっと我に返った並木さんが、いまだ戸惑ったままで浅野さんに問う。<br />「は?どういうことだよ、好きにリアクションすればいいだろ?」<br /> 訊いてはいけない秘密を訊いてしまった感ありありのあたしたちと対照的に、浅野さんはいたってフツーだ、むしろ気にしなさすぎる。<br />「あ、あの…ですね。話しの内容が予想以上に重いのと、そんな重大な秘密をあたしたちごときに話しちゃっていいんですか?」<br /> あたしの意見に並木さんも、激しく同意する。<br />「そうですよ。これ、マジ重大な秘密っていうか…。あ、あれ?このこと、レイカ・インターナショナルの正社員の人達は、どのくらい知ってるんですか?」<br /> 並木さんが、大事なことに気づいた。<br />「あ?たぶん俺んちの家族以外、知らないんじゃねぇか?もし知ってたら、直樹に秋波送ってくる女子社員は多少なりとも減るだろうし、それ以前に女は一般的には口軽いから会社中に広まってるだろ」<br /> な、な、な、なんですとぉ~? 浅野さん、なんて秘密を暴露してくれちゃったんですかっ!<br /> 並木さんとあたしは、恐らく同じ考えが浮かんで、思わず顔を見合わせた。<br /> じゃ、じゃあ、この秘密がもしバレたとしたら、漏らした犯人は…。<br />「あ、あたしたちが、まず疑われるってこと?」<br /> ひえ~となって互いの手を握り合ったあたしたちを、浅野さんは涼しい顔で、しかも若干うすら笑いを浮かべて見ている。<br />「うわぁ、訊かなきゃよかったぁ~。なんで話したんですかっ、浅野さんっ!」<br /> 今度は頭を抱えた並木さんに、浅野さんがしれっと言う。<br />「何言ってんだよ、野次馬根性丸出しで訊きたがったのは、お前らだろ」<br /> そ、そうですけど…。<br /> どうしていいかわからない並木さんとあたしは、気を落ち着かせようと、すっかり泡が消えた生ビールを口に運ぶ。<br />「あ、おかわりする?それ、もうマズいだろ」<br /> はい、じゃあ…じゃなくって。<br /> もう、浅野さんてば、なんでそんなに呑気で平然としてられるんですか。<br /><br /> 新しい生ビールが運ばれてきたところで、浅野さんが言った。<br />「大丈夫だよ。だってお前ら、チームだろ?しかも直樹本人が選んだチームだ」<br />「浅野さんだって、そのチームの一員ですよ?」<br /> お酒が弱いはずなのに、2杯目の生ビールを飲んでも全然酔わないことに気づきながら、あたしは言った。<br />「うん、だからさ。直樹が抱えてるいろんなことを理解した上で、チームでいてくれよ」<br />「でも、もし社内にバレたら?」<br /> 並木さんが訊く。<br />「あのさぁ、リオン。秘密ってのは、バレるときはバレるんだ。それに俺たちは、こんなの秘密でも何でもないと思ってる。ただ、こっちからあえて言うまでもないことだって思うから、言わないだけで」<br />「バ、バレてもいいって、専務も社長も思ってるってことですか?」<br /> そう言って、あたしと並木さんは再び顔を見合わせる。<br />「俺らにとって、それはあんまし重要なことじゃないからな。むしろ問題なのは、直樹がいままでいい子過ぎたことだよ」<br />「いい子過ぎた…?」<br />「ああ。あいつには、反抗期らしい反抗期がなかったんだよ」<br /> その言葉に、事実に、並木さんとあたしはギクリとした。<br /> 親子なら、実の子なら、当然あるはずの成長の証とも言える反抗期。多かれ少なかれ誰にもあるであろうそれが、なかったってことは…。<br />「あいつは、いつだって期待に応えようとし過ぎてきた。だから今回の新規事業への執念は、あいつなりの反抗期じゃないかって俺は思うんだ」<br />「だから、社長も許したんでしょうか?」<br /> 恐る恐る聞いたあたしに、浅野さんがふっと笑う。<br />「さぁな、それはどうかわからないな。あの人は、つまり社長は、直樹は本物の優等生だって信じてるからな。実の息子より、100倍頼りにしてるよ」<br />「にしても」<br /> とぼそりと呟いた並木さんが、浅野さんをまじまじ見る。<br /> へ?と若干嬉しそうに見つめ返す浅野さん。<br />「どうして、こっちはこうなっちゃったんですかね?」<br /> その言葉を訊いて、あたしはぶ、とビールを噴きだした。<br />「お、おい、汚ねぇな、菜乃介。ていうか、何だよリオン。その言い草は、酷ぇな」<br />「だって!実の息子がこんなで、養子の次男があんなって…あたしが母親だったら、超ムカつくっ。泣くっ、いや泣くに泣けない!」<br />「こんなって、どんなだよっ。あんなって…酷ぇ…」<br /> もっともな並木さんの意見に軽~くショックを受けている浅野さんに、あたしはつい追い打ちをかけた。<br />「見事な悪役、ヒールっぷりですけど。浅野さん、そこまで崩れなくても」<br />「ぅっ、菜乃介っ、お前まで。悪かったよ、こんなで、ここまで崩れて」<br /> ふいっとそっぽを向いて、ぐぃっと一気にビールを飲む浅野さんを見ながら、並木さんとあたしは噴き出した。<br />「いいんじゃないですかぁ、お兄ちゃん。ダメダメ長男と超優秀次男、バランスは取れてますから」<br /><br /> 並木さんの言葉に、さらに不貞腐れたように頭を掻いた浅野さんだったけど…。<br /> もしかしたら。<br /> 損な役回り、ついつい買って出ちゃったのかも、とあたしは思った。<br />『兄貴はああ見えて、弱者には優しいんです』と言った三代目の声が思い出された。弱者というのは、やっぱり三代目自身のことだったんだろう。<br /> 浅野さんの奇抜な格好やルートから外れた生き方の理由を、三代目は薄々感じていたんだろうか。<br />「ねぇ、浅野さん」<br />「おぅ、なんだよ、菜乃介」<br />「浅野さんは、いまの生き方、後悔してないんですか?」<br /> はぁ?と一瞬、浅野さんが驚いた表情になった。<br />「何言ってんだ、菜乃介?後悔するわけないだろ。俺は自由だ、正直だ。この生き方しかできねぇよ」<br />「そう、ですか」<br /> だけど浅野さんは、ふっと真顔になってつけ加えた。<br />「後悔してるって訳じゃないけどさぁ」<br />「はい」<br />「直樹にさ、押しつけちゃったんじゃないかって思うことはあるよ」<br />「押しつけた?」<br />「ああ。真っ当な生き方、期待に応える生き方。お前は心底それが望みだったのかって、一度くらい訊いてやっても良かったのかなぁって」<br /> なんか…浅野さん、お兄ちゃんじゃん。それに、やっぱいい人じゃん、変人だけど。<br />「もし訊いて、望んだのはこんな生き方じゃないって言われても、浅野さんに専務の代わりなんてできる訳もないんだから、しょうがないんじゃないですかぁ?」<br /> すっかりいろいろ立ち直った並木さんが、きっぱりそう言った。<br /> それに浅野さんは、ぐぅ、と一言唸るとガハハと笑った。<br />「ちぇ。その通りだよ、リオン。だからさ、お前ら、直樹を助けてやってくれよ。がんばって新しい事業、成功させてやってくれよ」<br />「あのですね、忘れてるみたいですけど、浅野さんだってチームの一員なんですからねっ!」<br /> 並木さんが念を押すように、人差し指をピッと立ててわざと厳しい表情で言った。<br />「はいはいはいはい、わかってますよ」<br />「はい、は一回!」<br />「お前ねぇ、リオン。小姑気質なんじゃねぇか?」<br />「誰が小姑ですか!」<br /> 浅野さんがボケて並木さんがツッコむと言う役割分担が、その夜、確定した。よく話し、よく飲み、よく食べ、お互いを信頼できた、とてもいい飲み会だった。<br /></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-18 (Sat)
  • Category : アイス
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⑫浅野vs並木

「浅野さん、何でいるんですか?」 椅子にふんぞり返ってコーヒーを飲んでいる浅野さんに、並木さんが冷たく言い放った。「っ、おい、リオン。ひでぇな。スタッフとして自覚を持てって、うるさく言ってたのはお前だろ」 不服そうに文句を言う浅野さんに、並木さんは平然と言う。「それは会議とかがあるときの話です。今日は浅野さんの仕事はありませんよ。暇つぶししに来たんなら帰ってください。むしろ、邪魔です」「おまっ、は... <span style="font-size:large;">「浅野さん、何でいるんですか?」<br /> 椅子にふんぞり返ってコーヒーを飲んでいる浅野さんに、並木さんが冷たく言い放った。<br />「っ、おい、リオン。ひでぇな。スタッフとして自覚を持てって、うるさく言ってたのはお前だろ」<br /> 不服そうに文句を言う浅野さんに、並木さんは平然と言う。<br />「それは会議とかがあるときの話です。今日は浅野さんの仕事はありませんよ。暇つぶししに来たんなら帰ってください。むしろ、邪魔です」<br />「おまっ、はっきり言うねぇ」<br /> 身も蓋もない言い方をされたのに、浅野さんはむしろ嬉しそうににやにやしている。並木さんはそんな浅野さんを軽く無視して、コンペ用の企画書づくりに真剣だ。<br />「菜乃介、ひでぇと思わないか?コイツの態度」<br /> 並木さんに無視された浅野さんは、今度はあたしにちょっかいを出す。<br />「え~、まぁ。浅野さんがいま邪魔なのは事実だから、しょうがないんじゃないですか?」<br /> あたしも並木さんに負けずにそう言うと、浅野さんはがくっと頭を落とす。<br />「ったく、お前らは。年長者を尊敬するっていう、日本の美徳はどこへ行った」<br />「そんなの。年寄りだからって、無条件に尊敬なんかできませんよ」<br />「おいっ、リオン。年寄りとは何だよ、年寄りとはっ。俺だって、まだ30代だっ」<br /> 相変わらず並木さんvs浅野さんの掛け合いは、面白い。お互い遠慮がないだけに、吹き出してしまうこともしばしばだ。<br /><br />「ちぇ」<br /> と少し不貞腐れた浅野さんが、ふたり分の新しいコーヒーを淹れて、並木さんとあたしの机に置く。<br />「なぁ、今日終わったら、飲みに行かね?」<br />「ヤです」<br /> 並木さんがパソコンから眼も離さず、浅野さんの提案を一刀両断した。<br />「おいおい、即答すんな。今日もまた残業か?どうせ残業代なんて出ないんだろ?」<br />「残業でなくとも、浅野さんとは飲みに行きません」<br />「なんでだよ、リオン」<br />「時間を無駄にしたくないから?」<br /> 取りつくシマもないくらいの並木さんに、さすがの浅野さんも傷ついたらしい。いい年して、拗ねた。<br />「ちぇ、わかったよ、リオン。もう、お前は誘わねぇよ。なぁ、菜乃介、飲みに行こうよぉ」<br /> 今度は矛先をあたしに向けて、浅野さんは甘えた声を出した。悪いけど逆効果、若干気持ち悪いです、浅野さん。<br />「え~、浅野さんとふたりでですかぁ?」<br />「なんだよ、ふたりじゃ嫌かよ?」<br /> あたしもまた並木さんと同じように、コンピュータの画面を見つめたまま、う~んと考え込んだ。<br />「な、なんだよ。菜乃介、お前までツレねぇなぁ。あ、そうだ。面白い話してやる、直樹の秘密!訊きたくねぇか?」<br /> 浅野さんが眼の前にぶら下げたエサに、なんと並木さんが食いついた。<br />「専務の秘密!?どんな?」<br />「なんだよ、リオン。お前は関係ねぇだろ」<br /> 今度は浅野さんが、並木さんに対して上から目線になる。<br /> 並木さんは、そんな浅野さんからフンッと顔を逸らすと言った。<br />「ど、どーせ。たいした秘密じゃないんでしょ?」<br />「さぁ、どーだかなぁ?な、菜乃介。だから飲みに行こうよ!」<br /> 浅野さんがこれ見よがしにあたしを誘うと、並木さんにドヤ顔を向ける。<br /> ったく、子供みたい。しょうがないなぁ。<br />「ほんとに凄い秘密、なんですか?」<br />「お、おぅっ!」<br />「でも、やっぱり並木さんが行かないなら…」<br /> あたしがそう言って並木さんを見ると、浅野さんはニヤ、と笑って言った。<br />「だとよ、リオン。しょうがねぇから、お前も連れてってやる」<br /> また、上から目線。もう、それで並木さんが「うん」という訳がない。<br />「ふん、あとで菜乃果に訊くから、いいです」<br /> ほら、見ろ。<br />「え~、並木さん。浅野さんとふたりじゃ、ヤだぁ。並木さんも行こうよぉ」<br /> 意地っ張りなふたりに、しょうがないからあたしが折れた。<br /> でも、並木さんはさすが並木さんである。<br />「菜乃果がそう言うなら…。そうだ、奢ってくれるならつき合ってあげてもいいですよ?」<br /> あくまで、しょうがないからつきあってやる的なスタンスを崩さない並木さん。見るからにお金持ちじゃなさそうな浅野さんに、そう言い放った。<br /> まあ、見た目だけじゃなくて、実際、浅野さんには借金があるしなぁと思っていたあたしの耳に、思いがけない台詞が聞えた。<br />「お、いいぜ」<br />「え、マジですか?」<br />「おう、俺、最近バイト代が入るように…あっ!」<br /><br /> バイト代? 軽くスルーしようとして、なぜか気になった。<br /> 浅野さんはフリーとはいえ、本職のカメラマンである。だから撮影の仕事なら、バイトではなく新規の仕事とか発注になるはずだ。それがバイト代って、どういうこと?<br />「浅野さん、なんか悪いことしてませんよね?」<br />「ば、ばか。してねぇよ」<br /> 浅野さんが、慌てたように眼を逸らす。怪しい、絶対怪しい。<br />「ふうん」<br /> なんとなく釈然としないあたしは、さらにこう訊いてみた。<br />「借金は、順調に返してるんですか?」<br /> 借金と訊いて、並木さんが呆れた顔で浅野さんを見やる。<br />「借金?ああ、ばばぁにした、アレか?完済したぜ」<br /> 浅野さんが胸を張る。<br /> なんだって?それは、ますますおかしい。<br /> 2月に契約社員の件で三代目と浅野さんと会ったときには、確か毎月10万の返済が滞りに滞っているという話だったのに…?<br /> それが約半年ほどで、完済できるなんてどう考えてもおかしい。<br />「どうやって?」<br /> と訊いたあたしに、浅野さんが再び薄っすら慌てる。今度は慎重にボーカーフェイスを決め込もうとして、ボロが出た感じだ。<br />「お、俺に先行投資してくれるっていう、先見の明がある人のお蔭で…」<br />「そんな酔狂な人いるんですか?」<br /> 並木さんがもっともなツッコミを入れるから、あたしもこくこくと大きく頷く。<br />「す、酔狂だろうが何だろうが、俺の才能をだな…」<br />「才能…ねぇ」<br /> 並木さんがわざとため息交じりに言って、からかう。<br />「まぁ、捨てる神あれば拾う神ありってことですかね。じゃ、並木さんも行く?」<br /> そう言ったあたしに、並木さんは元気に「うん」と答え、浅野さんはまだ不満そうにごにょごにょ言っていたけど。<br /> その日の終業後、あたしたちは3人で初の飲み会となった。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「ここでいいか?」<br /> とーっても大衆的な居酒屋の前で、浅野さんが言った。<br />「えー、高級フレンチじゃないのぉ?せめて、あたしイタリアンが良かったなぁ」<br /> 全く遠慮なく並木さんがそう言って、口を尖らす。<br />「おまっ、リオン。ここ、つまみが旨いんだぞ。おまけに安いし、最高だろ」<br />「はいはい、並木さん。<strong>この</strong>、浅野さんに奢ってもらうんだから、文句言わない」<br /> あたしはそう言って、並木さんの背中を押す。<br />「そうだよ。奢ってもらう身で贅沢言うな」<br />「うそうそ、あたしこういう気を張らない居酒屋、だ~いっ好き!」<br /> 並木さんがそう言って、茶目っ気たっぷりにぺろ、と舌を出す。<br />「なんだ、わかってんじゃねぇか、リオン。」<br /> 今度は本当に嬉しそうな顔になった浅野さんと3人で、店の中へ入った。<br /> <br /> メニューを見て、浅野さんと並木さんが適当におつまみを頼み、あたしたちは生ビールで乾杯した。<br />「くー、うめぇ」<br /> ぐびびっと1/3ほど一気に飲み干した浅野さんが、そう呻(うめ)いた。<br />「ホント、はぁ~生き返るっ!」<br /> 口についた泡を拭った並木さんも、そう言って笑った。<br />「おい、リオン。お前、強そうだな」<br />「まあまあイケる口ですけど。そう言う浅野さんは、どうなんですか?」<br />「俺?底なし」<br /> うわぁ、なんだか始末に負えない予感がするのは気のせいか?<br />「菜乃介、お前はどうなんだ?」<br />「あたしは、あんまし…。どっちかというと弱いです。たぶん、これ一杯で充分」<br />「ええぇ~、マジで?」<br /> 並木さんがものすごく驚いた表情をするけど、その反応にかえって驚くんですけど。<br />「なんだ、つまんないヤツだな」<br />「誘っといて、酷いですよ。でも、お酒のつまみは好きですよ?」<br /> あたしはそう言って、早速お通しの酢の物に箸をつけた。<br />「専務は、どうなの?」<br />「どうって、酒に強いかって意味か?リオン。アイツも強いな、顔色一つ変えないクチだ」<br />「へぇ」<br /> ちょっと感心したように、並木さんが言う。<br />「一度、飲んでみたいなぁ。ねぇ、菜乃果?」<br />「そ、そうだね」<br /> とは言ったものの、緊張しそうだし、かちこちになって悪酔いしそうだ。<br />「で。早速だけど、専務の秘密って?」<br /> 並木さんが興味津々な様子で眼を輝かせると、浅野さんの顔を覗き込んだ。<br />「まぁ、待てよ」<br /> ちょうど生ハムサラダとお刺身の盛り合わせが運ばれてきたのを見ながら、浅野さんがもったいつける。<br />「つまんない秘密だったら、ホント、明日から口ききませんよ」<br /> そう並木さんが宣言するのを横目で見ながら、あたしは生ハムサラダをそれぞれに取り分けた。<br /> そのサラダに、ぶすっとフォークを突き立てながら、浅野さんがにやぁ~と笑った。<br />「この俺様が、がっかりさせるわけないだろ」<br /> そのほかの事ではいろいろガッカリさせ続けている『俺様』が、そう言った。</span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-15 (Wed)
  • Category : アイス
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⑪仁王立ちの来客

 三代目が加わっての久しぶりのミーティングは、とても充実したものだった。 並木さんは話したくてしかたなかったアイデアを次々と提案して、ふたりで考えたブランド・コンセプトも三代目に興味を持ってもらえた。「方向性が見えてきましたね。ブランド・コンセプトはもう少し揉んで、いくつかのキーワードに落とし込んでみてください。それをもとにデザイン・コンペを行いましょう」 わくわくする。いよいよ動き出した感があっ... <span style="font-size:large;"> 三代目が加わっての久しぶりのミーティングは、とても充実したものだった。<br /> 並木さんは話したくてしかたなかったアイデアを次々と提案して、ふたりで考えたブランド・コンセプトも三代目に興味を持ってもらえた。<br />「方向性が見えてきましたね。ブランド・コンセプトはもう少し揉んで、いくつかのキーワードに落とし込んでみてください。それをもとにデザイン・コンペを行いましょう」<br /> わくわくする。いよいよ動き出した感があって、並木さんの顔も期待感に輝いている。<br /> そんな中、いい意味でも悪い意味でも平常運転なのが浅野さんだ。<br />「あのさぁ、今度からこういうミーティングに、俺いらねぇだろ」<br />「何言ってるんですかっ!浅野さんもスタッフの1人なんですよ、もっと自覚持ってください」<br /> 並木さんにぴしりと怒られて、浅野さんはふくれっ面になる。子供ですか?<br />「だってさぁ、俺、女の服になんか興味ないんだよ」<br />「その興味のないプロジェクトに、なんで加わったんですかっ!」<br />「い、いやぁ。それはさぁ、ほれ…」<br /> 浅野さんは薄笑いをしながら、あたしと三代目を交互に見る。<br /> ん、なに? わからない。<br />「興味はなくても、これから被写体にするものの方向性なりイメージをきちんと把握しておくことは大事です」<br /> 三代目も、きっぱりと釘を刺す。<br />「あ、女の服には興味ないけど、女には興味あるから、俺。いい写真は撮るから、その点は大丈夫」<br /> ふざけたことを言う、ある意味ブレない浅野さんに、並木さんがしれっと言った。<br />「商品カタログは、置き撮りにしよっかなぁ」<br />「なっ、モデルじゃないのかよ、リオン」<br />「だって、カメラマンが下心見え見えで撮影したりしたら、ブランドの品性が地に落ちそうだもん」<br />「おまっ、それはほら。俺だってプロだから、写真はちゃんと撮るよ」<br /> どーだか、とそっぽを向く並木さんと浅野さんの掛け合いに吹き出してしまう。<br />「おい、菜乃介。お前も、何とか言えよ」<br /> 社会人になり浅野さんと一緒に仕事をするようになって、あたしの呼び名は「女子大生」から「新米OL」を経て、「菜乃介」に落ち着いた。<br /> 並木さんは最初からちゃんと名前で呼んだのに、なんであたしは菜乃果ではなく「菜乃介」なのかさっぱりわからない。<br />「はいはい。まぁ、大袈裟ですけど、洋服は女性の生き方みたいなもんですから。浅野さんは、私たちのブランドを選んで着てくれる女性像みたいなものを撮ってくださいよ」<br /> 何気なく言ったつもりなのに、三代目と並木さんが驚いたような眼であたしを見る。<br />「へ?あ、あの…」<br />「菜乃果ってさ」<br />「う、うん」<br />「100回に1ペンくらい、もの凄く真理を言うよね」<br /> 100回に1ペンて…。もの凄く、確率低い気がするんですけど。<br /> 案の定、ぶはっと浅野さんが噴いている。<br />「ああ、もうそろそろ昼だぁ~。俺、帰るから」<br /> 落ち込んだあたしにそう言って、浅野さんは企画開発事業部の部屋を出て行った。<br /><br /> と、思ったのに。<br />「おい、菜乃介。会社の前に仁王立ちしてるオンナが、沢口菜乃果を呼べって言ってるぜ」<br /> だ、誰ですか、それ。 しかも、仁王立ちって…。<br />「なに、痴話的な?」<br /> 並木さんが、心配と好奇心が入り混じった顔で訊いてくる。<br />「まさかぁ。あたしの身辺、浮いた話なぁんにもないもん」<br /> だよね、って自分に確認してみる。うん、有さん以外に男の人の影もないし。びっくりするくらい、きれいさっぱり潔白だ。<br />「だよな」<br /> って、浅野さん。そこ、肯定するとこじゃないでしょ。まぁ、事実だからいいですけど。<br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「り、りこさんっ!?」<br /> 恐る恐る行ってみた会社のビルの真ん前にいたのは、なんと、りこさんだった。しかも腰に両手を当てて、見事な仁王立ち。まるで仁王立ちのお手本のようだ…って、感心している場合ではないが。<br /> ぽかん、としてしまったあたしに、りこさんはずぃと詰め寄ると有無を言わさない感じで詰め寄った。<br />「時間ある? というか、昼休みでしょ?お昼、つきあいなさい」<br /> <br /> 目の前を、りこさんが、ずんずん歩いて行く。<br /> その後ろ姿を追いかけながら、ああ、レイカ・インターナショナルのメイン顧客って、きっとりこさんの様な人達なんだろうなぁと思う。<br /> 隙のないメイクに毛先の流れまでセットアップされた髪、今シーズンとわかるデザインのワンピースに、海外ブランドの靴とバッグ。<br /> 細すぎず、太過ぎず、メリハリのあるボディは、きっとプロの手できちんとケアされている。お金をかける楽しみも成果も知り尽くしている日常、経済的に自立しなくても全然困らない未来。<br /> それを羨ましいかと問われれば、意外にそうでもないのは、いま自分が仕事にやりがいを感じはじめているおかげなのだと思い当った。<br /> そんなことをつらつら考えているあたしの前で、りこさんが突然立ち止まって振り向いた。<br />「ここで、いい?」<br /> いいもなにも。りこさんの口調にも態度にも、逆らうことを許さないものがあって、あたしは素直に頷いた。<br />「はい」<br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「いらっしゃいませ」<br /> と出迎えた和服の上品な女性に、りこさんは慣れた様子でこう言った。<br />「個室、空いてるかしら」<br /> にこやかに頷いた女性が、どうぞと店の奥へ案内する。<br /> 個室と言ってもゆとりのある部屋へ通されて、あたしはりこさんと向かい合って席に着いた。めっちゃ気圧されながら。<br />「松花堂でいいかしら?」<br /> またしても、りこさんが有無を言わさない感じで問う。メニューもまだ見ていないあたしに、嫌と言う選択肢はなかった。<br />「じゃ、それ二つ。時間があまりないから、急いでほしいの」<br /> りこさんが、あたしの昼休みの時間を気遣ってくれたのはありがたかった。<br /> かしこまりました、と言って下がった女性と入れ替わるように、別の女性がおしぼりとお茶を持ってきてくれた。<br /><br />「時間もないことだし、単刀直入に言うわね」<br /> 時間があったとしても、りこさんならそうするだろう。そう思ったあたしは、こく、と頷いた。<br />「有さんと、別れたって本当なの?」<br /> まさに単刀直入、素晴らしくストレートだ。<br />「別れた、んでしょうか?」<br /> それに対するあたしの答えは、この期に及んでもの凄く曖昧で。<br />「って、あなた。何言ってるの? 別れたって意識ないの?」<br /> りこさんが驚いたように、眼を剥いて畳みかけてくる。<br />「たぶん、別れたんだ、と思います」<br /> 相変わらず、キレの悪い返答のあたしに、りこさんがイライラし出したのがわかる。<br /> だけど、あたしにもわからないのだ。確かに有さんは、待たないでくれと言った。だけど、もう嫌いになったとは言わなかった。あたしも、嫌いじゃない。嫌いどころか、うっかりすると日に何度も思い出してしまうほど大好きだ。<br /> あたしの心の一番深いところに、いまも有さんが居て「菜乃果」という声を訊かないようにするのが難しいくらいなのだ。<br />「たぶんって…あなたねぇ!」<br /> りこさんが、テーブルに拳を握った両手を置く。少し前のめりに強い視線を向けられて、あたしはなんだか申し訳ない気持ちになって来た。<br /> 一瞬、絶句したりこさんが再び口を開こうとしたとき、松花堂弁当が恭しく運ばれてきて、りこさんの勢いを削いだ。<br /><br />「ま、まあ、いいわ。取りあえず食べましょう」<br /> 松花堂弁当の蓋を開けるりこさんに倣って、あたしも艶やかな塗りの蓋をそっと開ける。<br /> 会議が終わる頃には確かにお腹が空いていたはずなのに、綺麗においしそうに可愛らしく整えられたお弁当を見ても、食欲がまったくわかない。<br /> だから少し冷えたお茶を、ずず、と飲んだ。<br />「有さんは、あなたに何て言ったの?」<br /> 綺麗にネイルを施した指で、お箸を上品に扱って、りこさんは炊き合わせの野菜を摘む。<br />「待たないでくれって」<br />「待たないでくれ? 別れてくれ、ではなくて?」<br />「はい」<br /> 何から手をつけていいかわからないまま、行儀悪く迷い箸をした手を止めて、あたしは頷いた。<br /> あのときのことを思い出すと、あのときの有さんの切なそうな苦しそうな顔を思い出すと、息が苦しくなる。いつも理知的で冷たいほど冷静な表情を歪めて、有さんは言ったのだ。 「待たないでくれ」って。あたしはあたしなりに食い下がったと思う。<br /> でも、でも。<br /> 有さんが辛いだけなら、あたしはその辛さをなんとかして、少しでも楽にしたいと思っただけなのだ。<br /> <br />「それは別れてくれってことかって、確認したんでしょう?」<br /> さも、それは当然と言う風に、りこさんが訊く。<br />「い、いえ…」<br />「はぁ?!」<br /> りこさんが綺麗に塗られた口紅が少し落ちた唇を、ぽかんと開けて呆れ切った眼を向ける。<br /> なんだか、居たたまれない。<br />「なんで、確認しないのよ!」<br /> そんなこと、そんなこと、確認なんかしたくない。だってそれを確認してしまったら…。<br /> あたしは有さんが好きで、有さんだけが好きで。有さんの籠の鳥で、だから、籠から出されたら死んでしまうから…。<br /> たとえ鳥籠の扉が間違って開けられても、隅の方にじっとして、小さく小さく身を縮めて、決して自分から出て行くことはしないのだ。そう決めたんだから。<br /><br /> 俯いて黙ってしまったあたしにイライラした様子で、りこさんは続ける。<br />「じゃ、待つとは言ったんでしょう?」<br />「それでも、待たないでくれって…」<br />「それで、はいって答えたの?」<br />「え、えっと。最後は、何も言いませんでし、た…?」<br />「はぁっ?!」<br /> りこさんが再び、目をくわっと見開いて盛大に呆れる。<br /><br /> だって、仕方ない。「待つ」と言い続けたって、有さんを苦しめるだけ。<br /> でも、あたしにはわかっていた。有さんを忘れることなんてできないって。きっとこれから先も、いつまでも、有さんだけがあたしの飼い主、あたしは有さんだけの仔猫。<br /> だから飼い主に捨てられたら、あたしは何処へ行けばいいんだろう。ずっとずっと、飼い主を探して、にゃあにゃあ泣き続けているしかない。にゃあにゃあ泣いて、声が涸れて、彷徨い疲れて、静かに目を閉じるまで。<br /><br /> その後もりこさんは、あたしに核心的な答えを、明確な事実を求めてことごとく失敗し、最後はあきれ果てたまま匙を投げた。 <br /> この単刀直入、ストレートの塊みたいなりこさんが…。<br />「疲れたわ」<br />「スミマセン」<br /> 新しいお茶を持ってこさせたりこさんが、ふぅ、と一つため息をついてそれを飲む。<br /> なんだか、本当に申し訳ない。<br />「あなた、それでいいの?そんな曖昧な状態で」<br /> それに対する答えだけは、明確だった。<br /> 待たないでくれと言われても、待ってしまう。たとえ別れてくれとはっきり告げられても、あたしは忘れない。<br /> 有さんを好きでいること、籠の鳥でいること、捨てられても有さんだけの仔猫でいることは変わらない。変えられないのだ。<br />「有さんが好きです。たぶん、ずっと。それだけは、曖昧じゃないから」<br /> 思わず沈黙したりこさんが、あたしをじっと見る。<br /> だけど、今度はあたしも眼を逸らしたりしない。それだけが、あたしのとって真実だから。<br />「答えを出すことが必要なんじゃなくて、真実が必要なんです」<br /> 何故、そんなことを言ったのかわからない。でも、それは今のあたしの気持ちに一番近いもので。もちろん、りこさんには伝わらなかったけど。<br />「新しい恋、とか、すれば?」<br /> そんなもの。有さんの替わりがいないように、替わりの恋なんていらない。<br />「仕事がありますから、それでいいんです」<br /> りこさんは、心底可哀想なものを見るような眼で、あたしを見た。<br />「あなたがいいなら、別にいいけど」<br /> それから徐(おもむろ)に、ほとんど手をつけていないあたしの眼の前のお弁当に目を移す。<br />「包んでもらう?」<br /> 頭を振ったあたしに、りこさんは「お金はいらない、あたしが誘ったんだから」と言った。<br /> あたしは頭を下げて個室を出て、会計で値段を訊いた。メニューさえ見なかったから、値段がわからないのだ。でも会計の人は、りこさんに言われているからと頑として受け取ってくれなかった。<br /><br /> 仕方なく店の外へ出て、会社へ戻る。<br /> その途中で、涙が滲んできた。<br /> 有さん、いま何してるの?お母さんのお世話をしているの?それとも仕事?絵を描いているとか?その絵は誰の絵?きっときっと…。<br /> 涙くらい流れたって全然構わない、構うもんか。そう思って交差点で立ち止まったとき、道の反対側に三代目が立っているのが見えた。だから、あたしは慌てて頬を伝う涙を拭った。<br /> 信号が変わって、道の途中で三代目とすれ違う。<br />「行ってらっしゃいませ」<br /> どこか取引先へ向かうだろう三代目に、あたしは笑顔でそう言えた、はずだ。<br /> 三代目は、無言で頷いて去って行った。</span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br /><br />
  • Date : 2017-03-12 (Sun)
  • Category : アイス
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⓾三代目とサボテン

「うぉわっ、専務。お、お疲れさまです」 不意を突かれて、思わず変な声出しちゃった…。「お疲れさま。沢口さん、独り?」「あ、はい。つい5分くらい前まで、並木さんもいたんですけど…」「そう」 三代目はそう言って、あまり広くない部屋を見渡すと、ふ、と笑った。「事業部の仕事部屋らしくなってきましたね」 三代目はパソコンが置かれたデスクや会議用小テーブル、あたしが持ってきて窓辺に飾ったころんとしたサボテンの鉢... <span style="font-size:large;">「うぉわっ、専務。お、お疲れさまです」<br /> 不意を突かれて、思わず変な声出しちゃった…。<br />「お疲れさま。沢口さん、独り?」<br />「あ、はい。つい5分くらい前まで、並木さんもいたんですけど…」<br />「そう」<br /> 三代目はそう言って、あまり広くない部屋を見渡すと、ふ、と笑った。<br />「事業部の仕事部屋らしくなってきましたね」<br /> 三代目はパソコンが置かれたデスクや会議用小テーブル、あたしが持ってきて窓辺に飾ったころんとしたサボテンの鉢などを一通り眺めた。それから壁に並木さんが貼ったファッション雑誌の切り抜きやメモなどを、一つ一つ確認しながら微笑んだ。<br /> それからふと気がついたように、訊ねた。<br />「このサボテン、どうしたんです?」<br />「あ、殺風景だったので」<br />「花じゃなくて、サボテン?」<br />「花は涸れるから、淋しくて。でもサボテンはちゃんと可愛がれば、ずっと変わらずにいてくれるから。それに可愛くないですか、サボテンって。トゲトゲしてるくせに、花はびっくりするくらいきれいなんですよ」<br />「そうなんですか?」<br /> そう、サボテンは可愛い。一生懸命、自分のトゲで自身を守ってるところも、毎年健気に本当にきれいな花を咲かせるところも、あたしは大好きだ。<br /> 三代目がちょっと不思議そうな顔で、サボテンとあたしを交互に見るから、バツが悪くなって話題を変えた。<br />「そ、そうだ。専務、明日のご予定は?」<br />「明日?ああ、終日出張です」<br />「そうですか…」<br /> なんだ、明日もいないのか、と少しがっかりしたあたしに、三代目が訊ねる。<br />「なにか、ありましたか?」<br />「あ、その。並木さんの発案で、専務に提案したいことがあって」<br /> ほう、と三代目が興味を示した。<br />「で、でも。それは彼女のアイデアなので、できればちゃんとしたミーティングの場で…」<br /> 三代目が今度は、少し考える表情になった。<br />「沢口さん」<br />「はい」<br />「あなたは、非常に律儀だ」<br />「は?」<br /> おそらく、きょとん顔になったあたしを、専務は楽しそうに見る。なんだか、こんなリラックスした表情の三代目は久しぶりだ…って、いつ見たんだっけ。思い出せない。<br />「おそらく、並木さんも同じタイプなんでしょう。うん、私はこのチームに恵まれたな」<br /> いや、並木さんはともかく、あたしは猫の手にもならないド素人で。なんのアイデアも結果も、まだ出していないし。<br />「沢口さん」<br />「はい」<br />「あなたと並木さんは、変わらずにいてください。そうだな、サボテンみたいに」<br /> は? どういう意味?<br /> おそらく、今度はあたしの顔は疑問だらけになっていたんだろう。 くすり、とこれまためずらしく笑った三代目がこう説明してくれた。<br />「企業というのは、仕事というのは、足の引っ張り合いです。社内でも、社外でも。そんななかで信頼できる仲間と出会えること、まして一緒に仕事ができることは本当に数パーセントだと私は思っています」<br />「は、はぁ」<br />「でも、あなたと並木さんは、社会人1年目で…おっと並木さんは違いましたね。ともかく、20代の初めで、そんな仲間に巡り合えるなんて、あなた方2人はとても運がいい」<br /> そういうものなんだろうか? <br /> でも、じゃあ、三代目は? 信頼できるスタッフはどれくらいいるんだろう? 浅野一族だから、当然一目置かれてはいるものの、なんとなく孤独の匂いを纏(まと)っている気がずいぶん前からしていた。<br />「その強い運を、大事にしてください」<br /> 三代目は、そう言うと今度は真顔になった。<br /><br />「それと、もう一つ」<br />「は、はい」<br />「あなたに、お礼を言わなければなりません」<br /> お礼? あたし、三代目にお礼を言われるようなことしたっけ?<br /> あたしは戸惑い、その気持ちはおそらく正直に顔に出てしまったと思う。<br />「え、と…」<br />「兄の事です」<br /> 浅野さんのこと?<br />「あなたが契約社員でもいいと言ってくれなければ、兄がこの会社に関わることは一生なかったかもしれません」<br /> 一生…て、それはまたずいぶん大袈裟な。<br />「い、いや。お礼を言わなければならないのは、あたしの方です。浅野さんと専務のお蔭で、就職浪人せずに済みました。フリーターにならずに済みました。いまさらですが、ありがとうございました」<br /> 本当に心から感謝しているあたしは、その気持ちを込めて三代目にお辞儀をした。<br />「あなたは、不思議な人だ」<br />「ど、どういう意味、ですか?」<br /> イマイチ、三代目の真意が掴めないあたしは、そう訊いた。<br />「兄が借金しに来たときも、あなたが一緒だった」<br /> い、いや、それは偶然で。 でも、あの偶然がなければ、あたしはインターンシップをさせてもらえることもなかったんだなぁ。<br />「そして今回は、兄が…」<br /> そう言いかけて、三代目ははっとしたように言いかけたことを止めた。<br />「浅野さんが…?」<br /> どうしたと言うのだろう。<br /> だけど三代目は、明らかに話の方向を変えた。<br />「母は、社長は、ああ見えて兄の事を大変心配しています」<br /> それは、そうだろうと思う。だって三代目と違って、明らかに不肖の息子っぽいからなぁ。<br />「はぁ。やっぱり、母親なんですね」<br /> それしか思いつかないことを言ったあたしに、三代目は少し表情を歪めた。<br /> あれ? どうしたの? あたし、なんか変なこと言った?<br />「そうですね、母親ですからね」<br />「は、母親って、心配性ですものね。それに専務と違って、浅野さんはあんなだし。で、出来の悪い子ほど、可愛いって言うか…」<br /> いけない、口が滑った。いくらなんでも、浅野さんに失礼か。<br />「母親なら、出来の悪い子でも可愛い、か…」<br /> 三代目はそう言って、少し淋しそうな眼をした。<br /> どうしたんだろう、社長は明らかに三代目を信頼して、仕事を任せていると思うのに。きっと、自慢の息子のはずだ。<br />「兄の、あれは…」<br /> 三代目は酷く言いにくそうにして、目を伏せた。それからおもむろに顔を上げると、こう言った。<br />「私のせいかもしれません」<br /> え? どういう意味?<br /> 次に三代目が言った言葉は、あたしの疑問にさらに拍車をかけた。<br />「兄はああ見えて、弱者に大変優しいところがある」<br /> 弱者って、誰? まさか、三代目の事じゃないよね? どう見ても浅野さんの方が負けてるし。でも、それは弱者とは違うか…。<br /> 混乱するあたしの疑問を解いてくれないまま、三代目は腕時計を見た。<br /><br />「おっと、もう8時ですよ。今日は、残業代がつかないはずです」<br />「あ、スミマセン」<br />「明日、経理の児島さんに残業代の申請をしてください。事後申請の許可は、私から伝えておきます」<br />「い、いえ。今日は、あたしが自主的に残っていただけですから」<br />「でも、仕事をしていたんでしょう?」<br />「い、いやぁ。仕事が遅いから、トロいから時間がかかっただけで。そんな半人前のクセに、残業代の申請なんてできないです」<br /> 三代目はほんの数秒、不思議なものを見るような眼であたしを見た。<br />「そうですか。でも、自分を半人前だなんて思うのは止めてください」<br />「あ、はい。スミマセン」<br /> あたしは、ぺこりと頭を下げる。<br />「ふ。謝らなくていいですよ」<br /> 三代目は、笑顔で言った。 <br />不思議な日だ、三代目の笑顔をこんなに見るなんて。それに、こんなにふたりだけで話したのも初めてだ。意外に、話す人なんだなぁ。<br />「さあ、もう帰ってください。あ、それと明後日はミーティングをしましょう。そうだな、10時くらいからなら大丈夫でしょう。並木さんにも、そう伝えておいてください」<br />「はいっ!」<br /> あたしは、思わず張り切った声を上げた。よしっ!デザイナーのコンペの件、提案できる。それとブランド・コンセプトも、もっと並木さんと固めておこう。<br /> 三代目は、入口まであたしを優雅にエスコートするようにして見送ってくれた。<br /> そして、言った。<br />「サボテンの花、見てみたいですね。あのサボテンは、どんな花をつけるか楽しみです。では、お疲れさまでした」<br />「あ、お疲れさまでした」<br /> あたしはぺこりと頭を下げると、入口の所で三代目と別れた。<br /><br /> サボテンがどんな花をつけるか楽しみだ、なんて。そうだな、うん。あたしたちもサボテンに負けないくらい、仕事でいい結果を咲かせないと。<br /> あたしは、再び決意を新たにした。<br /> そして…。<br /> きっと彼はまだ仕事があるんだろうな。ホント、体を壊さないでほしいな。<br /> それから…。<br /> あの一瞬見せた、淋し気な表情は、なんだったんだろう。</span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-11 (Sat)
  • Category : アイス
619

⑨いいチーム

「だよね~!」 《企画開発事業部》という部署名が硬すぎると言ったあたしに、並木さんが大袈裟に同意する。まあ、最初にダサい、と言ったのは並木さんなのだけど。 そんなあたしたちに、三代目は苦笑しながら言った。「確かに、新しい風を吹き込もうとする部署とブランドに、この名称はありませんよね。ですが部署名には、新しいブランドの名前を入れたいと思ったもので…。つまり、この名称はあくまでも仮のものなんですよ」 ... <span style="font-size:large;">「だよね~!」<br /> 《企画開発事業部》という部署名が硬すぎると言ったあたしに、並木さんが大袈裟に同意する。まあ、最初にダサい、と言ったのは並木さんなのだけど。<br /> そんなあたしたちに、三代目は苦笑しながら言った。<br />「確かに、新しい風を吹き込もうとする部署とブランドに、この名称はありませんよね。ですが部署名には、新しいブランドの名前を入れたいと思ったもので…。つまり、この名称はあくまでも仮のものなんですよ」<br /> そうか、新しいブランドの名前がそのまま部署名になるのか。<br />「じゃあ、まず、ブランドのネーミングから…」<br /> よくネーミングだとか、ブランディングだとか言っていた有さんのことを思い出して、あたしは少しはりきった声を出した。<br />「それは、そうなんですが…」<br />「まず、ブランド・コンセプトが固まらないと、ネーミングには移れませんよね、専務」<br /> 並木さんのもっともな意見に、三代目が頷く。<br /> そうか、あたしったら、ホントなんにもわかってないんだな…。<br /> 今後は意気消沈したあたしに、浅野さんが助け舟を出してくれた。<br />「ふうん。じゃあ、まず最初にやることが決まったじゃないか」<br />「最初にやること、ですか?」<br /> そう訊いたあたしに、並木さんが指をパチンと鳴らして見せた。<br />「そっか。じゃあ、まずは市場調査だ!」<br />「どうやって調査する。案外、時間かかるぞ、リオン」<br /> 市場調査…。あたしもない知恵を絞って考えた。<br />「ネット・アンケートとか…」<br />「顔が見えないアンケートは、意外に本音と違う答えが出てくる場合がありますからね。複数の方向から、消費者動向を探りましょう」<br /> と三代目。<br />「あたし、昔の仕事仲間、スタイリストやヘアメイクさん、モデル事務所なんかにもリサーチしてみます!」<br /> 積極的な並木さんに、三代目が頷く。<br />「あ、あたしも…。大学時代のダンス仲間とか…」<br />「そうですね、沢口さんも並木さんも、知り合い関係はまさにターゲット年代ですからね」<br />「展示会会場で、ゲリラ・アンケートも面白いかも」<br /> 並木さんは、積極的なだけでなくアイデアマンだ。<br />「そうですね。やれることは、何でもやりましょう! うん、予想以上にいいチームになりそうです」<br /> 三代目が嬉しそうに言った。<br /> いいチーム…それは素敵な響きだった。 うん、仕事って楽しいかも、なんだか凄くワクワクする。<br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> こうしてあたしの新しい社会人生活は、思わぬやりがいと良いチームに恵まれてスタートした。<br /> だけどチームとはいえ、浅野さんは外注スタッフと言うスタンスだし、三代目はもともとの専務の仕事で超多忙だ。<br /> 日中のほとんどは、並木さんとあたしの2人チーム。市場調査をしたり、レイカ・インターナショナルがこれまで取引のある生地メーカーや縫製スタッフの所を回ったり、百貨店やテナントショップ、展示会と毎日が忙しい。<br /> 社内デザイナーの部署や、企画広報などに挨拶に行って情報を貰おうとすることもあるのだけれど、何をやっているかわからない部署の新人ふたりに社内の風当たりは結構強かった。嫌味を言われたり、「どうせ経験もなくてヒマでしょ!」とばかりに雑用を言いつけられたりもした。<br /> だけど、並木さんもあたしもメゲなかった。<br />「だって、やりたいことさせてもらえてるんだもの」<br /> 並木さんが、雑誌や集めてきたパンフレットなどを切り抜いて、イメージブックを造りながら言った。<br />「この若さで、煩(うるさ)い上司に押さえつけられることもなく、自由にやらせてもらえるなんてありえないよ!」<br />「やっぱ、そうだよね」<br /> とあたしも同意する。<br /> その分、責任も大きいわけだけど、いまはそのプレッシャーすらパワーに繋がる。<br />「あたし、考えたんだけど」<br /> 並木さんが、イメージブックを眺めながら言う。<br />「デザイナーって、社内のスタッフや有名デザイナーじゃなくてコンペにできないかな?」<br />「コンペ?」<br />「うん、社内のデザイナーたちは、新しいブランド立ち上げに否定的だし、非協力的でしょ?名のあるデザイナーに頼むと、商品単価がぽんと上がってしまって、あたしたちの狙っている価格帯とターゲットに合わないじゃない」<br />「う、うん」<br /> 並木さんは、綺麗に塗ったネイルの親指を軽く噛みながら続ける。<br />「でもさ、チャンスを狙ってる、まだ日の目を見ていないデザイナーっていっぱいいると思うんだよね。それに学生だって、やる気と情熱さえあれば、コンペのメンバーに入れても面白いと思う」<br />「あ、そうだね。もうプロになった人達とはまた違った、斬新な発想があるかもしれないし」<br />「専務に提案してみようか?」<br />「うん!」<br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> だけどその日、専務は就業時間が過ぎても企画開発事業部に姿を見せることはなかった。<br /> すでに7時を過ぎていて、残業代がつく残業は専務の指示がないとできない契約社員のあたしたちは、そろそろ帰り支度をするべきだろう。<br />「残念だね。デザイナーのコンペの件、早く専務に話したかったのに」<br /> 壁の時計を見上げながら、並木さんが言う。<br />「専務がいないか、ちょっと企画広報室を覗いてみようか?」<br /> あたしは、並木さんにそう提案した。<br />「また、嫌味言われるだけだよ」<br />「大丈夫!」<br /> あたしはそう元気よく言うと、企画開発事業部を出て企画広報室へ向かった。<br /> 企画広報室は、あたしがインターンシップで主にお世話になった部署だ。専務は、そこの室長でもあるのだ。兼務多すぎて、忙しいよね。体壊さなければいいけど…。<br /><br /> 企画広報室の扉を触れるか触れないか程度のノックをして、そぅっと開けて中を覗く。数人のメンバーがまだ残っていて、何やら真剣にコンピューターを覗いていた。<br />「なに?」<br /> いきなり左斜め上から声を掛けられて、あたしは文字通り猫みたいに飛び上がった。<br />「なんか、用? えーと、誰だっけ…」<br /> 企画広報室では中堅の溝口さんが腰に手を当てて、あたしを見降ろすように不愛想な口調で言った。<br />「あ、ス、スミマセン。き、企画開発事業部の沢口です。あ、あのっ、専務がいらっしゃらないかと思って」<br />「企画開発事業部? そんな部署あったっけ?」<br /> この会社で企画開発事業部の存在を知らない人はいない、おそらく悪い意味で。<br />専務が社長を説き伏せてスタートさせた、何をやっているかわからない部署。ただでさえ忙しい専務の足を引っ張るだけの、非正規雇用の素人部署。そのうち専務も飽きて放り出すに違いない、お試し道楽部署。ときどきとんでもない髪形と格好をした得体のしれない奴が出入りする、若いだけで機転が利かなそうな小娘ふたりのお先真っ暗部署…。<br /> え~と、まだあったかな…?<br /> これまで耳にした陰口は、三代目に申し訳ないとは思っても、たいして傷つきはしていない。だって結果が出せなければ、それは真実だからだ。<br />「せ、専務はいらっしゃらないようですね、失礼しましたっ」<br /> あたしは慌てて頭を下げると、逃げるようにその場を離れようとした。<br /><br />「ちょっと待ちなさいよ」<br /> たしか学生時代はバレーボールをやっていたとかで、とても背の高い溝口さんがキツイ口調で呼び止める。<br />「専務は、い・そ・が・し・い、の。いったい、誰のせいだと思ってんのかしら」<br /> あたしたちのせいですよね、ホントすみません。<br />「半人前の仕事もできないくせに、専務が室長のウチの部署をうろつかないでくれる?」<br />「すみませんでした」<br /> あたしは素直に頭を下げる。<br /> そんなあたしを、ふん、と睨みつけるように見ると溝口さんはさらに言った。<br />「アナタ、確かインターンシップで来てた沢口さんよね?」<br /> わ、やっぱり覚えてたんだ。そりゃそうだ、インターンシップ中、1・2位を争う厳しい指導をしてくれたのが、他ならぬ彼女なのだから。<br />「確か、不採用だったって訊いたけど?」<br />「あ、は、はい」<br /> どう説明していいか咄嗟に思いつかずに、あたしは狼狽えた。<br />「…あ、あの。そうです、不採用でした。で、でも、あのっ…い、いまは契約社員で…」<br /> しどろもどろも説明をするあたしを睨(ね)めつけていた溝口さんは、真っ赤な口紅を塗った唇をゆがめながら笑った。<br />「ふん、いったいどんな手を使ったのかしら?ウチの会社は、そんな下品なやり方ができる育ちの悪い人はいないはずだけど?」<br /> <br /> 悪意は、たとえそれが真実でなくとも人の心を疲弊させるものだ。どっと疲れを感じた気持ちを抱えて、あたしは企画開発事業部へ戻った。<br />「あ、おかえり。どうだった?」<br /> 並木さんの明るい表情を見て、あたしも自然に笑顔になれた。<br />「専務、いなかったぁ~」<br />「そっか。じゃあ、提案は明日だね、って、明日も専務がこの部署に立ち寄れるのかは不明だけど」<br />「うん」<br />「じゃあ、帰るとしますか」<br /> 並木さんが、スタイリストとして現場で働いていたときからのトレードマークだという大きなバッグを抱えて立ち上がった。<br />「あ、あたし、このデータだけ、打ち込んでいく。あと、ほんの少しだから」<br />「そ。無理しないでね、じゃ、お疲れっ!」<br /> 並木さんは、いつもあっさりとしていて気持ちがいい。相手の気持ちを尊重してくれて、押しつけないところも好きだ。2人チームの1人が、彼女で本当に良かったと思う。<br />「うん、お疲れっ!また、明日」<br /> 負けずにさっぱりと挨拶したあたしの気持ちからは、もう嫌なモヤモヤは消えてなくなっていた。<br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「あれ? まだ残っていたのですか?」<br /> 並木さんが帰ってまだ5分も経っていない企画開発事業部の扉が、ふいに開いた。<br /> グレー地に白のピン・ストライプの洒落たスーツに身を包んだ、専務が入口に立っていた。</span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br />
  • Date : 2017-03-08 (Wed)
  • Category : アイス
618

⑧初出社、初会議

 卒業式から4月の入社までは、あっという間だった。 入社式が終わると、新人研修がある正社員の人達とは別に、スタイリストの並木梨音(なみきりおん)さんとあたしは小会議室みたいな部屋に連れて行かれた。 その部屋の入口には、申し訳程度に《企画開発事業部》のプレートが掲げられていた。「企画開発事業部って…ダサ」 自己紹介が互いに終わったばかりの並木さんが、そう言って同意を求めるような視線を投げてよこした。「... <span style="font-size:large;"> 卒業式から4月の入社までは、あっという間だった。<br /> 入社式が終わると、新人研修がある正社員の人達とは別に、スタイリストの並木梨音(なみきりおん)さんとあたしは小会議室みたいな部屋に連れて行かれた。<br /> その部屋の入口には、申し訳程度に《企画開発事業部》のプレートが掲げられていた。<br />「企画開発事業部って…ダサ」<br /> 自己紹介が互いに終わったばかりの並木さんが、そう言って同意を求めるような視線を投げてよこした。<br />「そ、そうですね」<br /> 同期入社とはいえ、彼女はキャリア3年の先輩だ。2年制の専門学校を卒業して現場経験が3年だから、年齢的に言っても1つ年上になる。<br />「あのさ、歳1コしか違わないんだから、タメでいかない?」<br />「え…い、いいの?」<br />「うん。その方が、気が楽」<br /> そう言うことなら。 <br />並木さんは小柄でクリクリのボブヘア、大きな眼もくりくりしていて表情がとても豊かだ。スタイリストと言うことでファッションもセンスが良くOLOLした感じではなく、正社員も含む新入社員の中で当然一番目立っていた。<br />「にしても、この部屋、チョー殺風景。アパレルの会社とは思えないんだけど」<br /> 並木さんが、屈託なくそう言ったとき、部屋のドアが開いて三代目と浅野さんが入って来た。<br />「殺風景で申し訳ないですね。いろいろ準備が間に合わなくて。これからこの部屋は、ふたりで協力して好きに変えてください」<br />「え、いいんですか!?」<br /> 並木さんがそう言って、嬉しそうな顔であたしを見た。<br />「よ、女子大生…じゃないな、もう。う~ん、じゃあOL一年生、か?」<br /> いやいや、いい加減、名前で呼んでくださいよ、浅野さん。<br /> 並木さんが、三代目と一緒に入ってきた銀髪&先っちょブルーでつんつん頭の浅野さんを、興味津々といった表情で見る。<br />「並木さんは、初めてでしたね。外注カメラマンの浅野一真さんです」<br />「よっ!」<br /> 片手を上げて気さくに挨拶した浅野さんに、並木さんも「よっ!」とばかりに片手を上げて答えた。<br />「ははは、ノリいいね。え~と、スタイリストだっけ?」<br />「はい、スタイリストの並木梨音ですっ。よろしくですっ」<br />「おう、リオン。よろしくな」<br /> て、なんで、いきなり初対面から名前を呼ぶ? あたしなんて知り合って数年経つのに、いまだに名前じゃないのはなんでですかっ!<br />「自己紹介もすんだことですし、早速、第1回目のミーティングをします」<br /> 三代目がそう言って、中央のテーブルにある椅子に腰かけた。<br /> 新入社員研修も、会社や部署の説明も紹介も全くナシ。あたしたちは、本当に即戦力を求められているみたいだ。並木さんはともかく、あたしはインターンシップで社会の一端を覗いたに過ぎない。でもそんなことは言っていられないのだと、あたしは身が引き締まる思いをした。<br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「てことは、ブランド・コンセプトすらまだ決まっていないってことですか?」<br /> 並木さんが、ちょっと呆れ顔で三代目にそう訊いた。<br />「はい。すべて白紙の状態から、私たちチームで創り上げていくことになります」<br />「白紙って…言うほど簡単じゃないですよね?」<br /> 並木さんは遠慮がない。さすが現場経験あり、社会人1年生のあたしとは大違いだ。<br />「もちろん、簡単ではありません。むしろ、イバラの道です」<br /> 三代目がさらりと答える。<br /> 並木さんはふ~ん、と少し考えるようにしていたが、やがてきっぱりと言った。<br />「そこまで何も決まってないとは、思いませんでした」<br /> それから、ニヤッと笑うと、こう言い放った。<br />「面白~い! これは、面白いことになりそうだね、沢口さん!」<br /> は? まじ、ですか?<br /> 一方、三代目は並木さんの超ポジティブな言葉を訊いて、ふ、と笑った。<br />「そう言ってくれると思ってました。頼もしいですね、並木さん」<br />「だけど、専務が立ち上げたいブランドのイメージくらいは、あるんですよね?」<br /> 並木さんの言葉に、三代目が大きく頷いた。<br /><br /> レイカ・インターナショナルの主力ブランドは、海外のデザイナーと独占契約しているブランドと、オリジナルの2つのブランド。そのいずれもがテイストは違っても、セレブ向けか自立したキャリア向けだ。<br /> しかし三代目は、もっと普通の人達、つまりあたしたちのようなOLを含む20代~40代位までの層に受け入れられるブランドを創りたいのだと言う。<br /> 価格はもちろん手頃と言うことになるが、最初にあたしが言われたように決してファスト・ファッションではない。<br />「ファスト・ファッションは、いま確かに人気と勢いがあります。毎年、流行の服を安い値段で手に入れ、気軽におしゃれを楽しむことができる。それは、とくに若い層には魅力でしょう。しかしその反面、大量の廃棄物やそれに伴う環境汚染などの問題が軽視できなくなっています」<br /> 三代目がそう言って、短いサイクルで買っては捨てられる衣料廃棄物の増加と、ファスト・ファッションに関わる繊維や衣料工場がある主にアジアの国々の汚染状況を示した資料を配布する。<br /> それに眼を通しながら、浅野さんが言った。<br />「日本て国はさ、消費大国だけど、流行に踊らされやすい、熱しやすくて冷めやすい。おまけに他国のことは考えない、身勝手な国だよな」<br />「ファスト・ファッションを扱っているのは、日本だけではありません。アメリカやスウェーデンなどのファスト・ファッションブランドも、日本ではもうおなじみです」<br /> 浅野さんの批判を、三代目が冷静に否定した。<br /> 相変わらず口を挟む余地すら見いだせずにいるあたしと違って、並木さんはどんどん質問や意見を口にする。<br />「それじゃあ、隙間を狙うってことですか?いわゆるニッチ・ファッション?いや、でも、うまく行くかな?」<br />「隙間、と言えば隙間ですが。しかし最も大事なことは、価格ではありません。生地、縫製、デザイン、アイテムの組合せなど、価格に見合った品質を提供し、満足感を持ってもらえる新しいブランド提案です」<br />「難しいな…」<br /> 並木さんが、ちょっと眉間にしわを寄せて考え込む。<br />「その通りです、難しいです。しかしコストパフォーマンスとエコロジー、お洒落の楽しさを満足させるブランドを、どうしてもレイカ・インターナショナルの次世代ブランドにしたいんです」<br /> こんなに熱く、饒舌に語る三代目を初めて見た。<br />「…て、いったいどっから、とりかかったらいいんですか?」<br /> 並木さんが、ちょっと困り顔で言った。<br />「どこからでも」<br /> 自信たっぷりにそう言った三代目とは対照的に、不安そうな表情になった並木さんが、助けを求めるかのように浅野さんを見た。<br />「あ、俺、外注だから。それに難しいこと、わかんないから」<br /> 浅野さんは、そう言って並木さんを交わした。 <br />おいおい、頼りになんないなぁ、お兄ちゃん。それよりもっと頼りにならないのは自分だな、と自覚しながら、あたしのこの会議で初めて意見を言った。<br />「…あのう」<br /> 三代目、浅野さん、並木さんの3人が一斉にあたしの方を見る。う、ちょっとビビる。<br />「なんですか?」<br /> あたしがいることを思い出したように、三代目が訊いた。<br />「あ、あのですね。まず手はじめに、この部屋の前に掲げてある《企画開発事業部》って名称、なんとかしませんか?だって次世代をつくるブランドを発信する部署の名前にしては、あまりにもダサ…いや、硬すぎると思うんですけど」<br /> 3人は一瞬、ぽかんとした顔であたしを見た。<br /></span><br /><br /><span style="color:#009999">次の更新は、水曜日の予定です。</span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-05 (Sun)
  • Category : アイス
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あなたの存在

半年以上も放置してしまいましたぁ~(;´∀`)ホントごめんなさいっ。「アイス」再開です。あ。でも、左腕を骨折するというアクシデントに見舞われたため、予定よりスローペースとなります。(*´ω`*) レイカ・インターナショナルのメイン顧客は、主にセレブ層だ。名家もしくは年収1千万円以上のビジネスエリートの家族、そして自立して高収入のある女性たち。 海外デザイナーと独占契約しているブランドをはじめ自社ブランドも、そ... <span style="color:#009999">半年以上も放置してしまいましたぁ~(;´∀`)<br />ホントごめんなさいっ。<br />「アイス」再開です。<br /><br />あ。でも、左腕を骨折するというアクシデントに見舞われたため、<br />予定よりスローペースとなります。(*´ω`*)<br /></span><br /><br /> <span style="font-size:large;">レイカ・インターナショナルのメイン顧客は、主にセレブ層だ。名家もしくは年収1千万円以上のビジネスエリートの家族、そして自立して高収入のある女性たち。<br /> 海外デザイナーと独占契約しているブランドをはじめ自社ブランドも、そのターゲットに合わせて見事にラインナップされている。<br /> インターンシップをさせてもらって、一番違和感を覚えたのもこの点だった。扱う商品と顧客が、自分とは違い過ぎる。だから試験は受けたものの、1次が通っただけで実はびっくりだったのだ。<br />「直樹は、やっとカケに出る気になったのさ」<br /> カケ?<br />「社長は、まだ納得してはいませんが」<br />「え~~~、まじ?」<br />「そりゃあ、そうですよ、社長が大切に守ってきた顧客とブランド・イメージです。下手したらそれを失いかねない、大博打です」<br /> ど、どういうこと?<br />「しかし、お前もよく思い切ったよな」<br />「準備に2年、説得に3年かかりました」<br /> 三代目が、読めない表情で淡々とそう言った。<br />「いまやらなければ、もうやる意味がないと言ったら、社長も少しは心を動かしてくれたようです」<br />「ふぅん。ま。よく頑張ったな、直樹」<br /> なんだかよくわからないけど、5年もの間忍耐強く機が熟するのを待ってきたということだ、三代目は。それだけでも、凄い気がした。<br /><br />「あ、スミマセン。話しが見えないですよね」<br /> 置いてきぼりのあたしに、三代目はやっと気づいてくれたようだ。<br />「いまファスト・ファッションが、大変勢いがあるのをご存知ですよね?沢口さん」<br />「は、はい」<br /> それくらいは、あたしたちの年代の女子はみんな知っている。ていうか、あたしの持っている洋服は、ほとんどがその類(たぐい)だと言えるかもしれない。<br />「アパレル業界は、大変厳しい状況下にあります。当社の顧客は富裕層が中心なので一定の業績は保てていますが、今後それがどう変わっていくか、その危機意識はもう大分前からありました」<br /> 三代目が真剣な顔でそう説明するから、あたしも思わず居ずまいを正した。<br />「これから話す内容は、極秘です」<br />「は、はい」<br />ま、まさか、ファスト・ファッションに進出するとか?<br />「ファスト・ファッションは、今後ますますパイの食い合いになる可能性があります。顧客の購買力、粗利などを考えると、全体の売り上げが決して高くないからです」<br /> は、はい。 わかるような、わからないような…。<br />「つまりさ、安い服がたくさん売れても、生地代や縫製の人件費なんかを引くとたいした儲けにならないだろ?どのブランドもさ」<br /> 不安そうな表情のあたしに、浅野さんがそう説明してくれる。 あ、それなら、わかる。 て、浅野さん、案外賢いの?<br />「だからといって、当社もこれまでのように富裕層の売り上げだけに甘んじている時代ではなくなっています」<br />「いままでは金持ちのおばちゃんたちが、一着何十万もする服をポンポン買ってくれたわけだけど、日本経済もドンづまりだろ?」<br />「インスタグラムなどSNS人口が増えるにつれて、セレブな方々もファッションは着こなすテクニックが大事だとすでに気づいています」<br />「つまり金かけるより、センスが大事ってことなのよ」<br /> なるほど。 三代目と浅野さんの、不思議な同時通訳のような説明を訊いて、あたしはやっと話が見えてきた。<br />「じ、じゃあ、レイカ・インターナショナルも、ついにファスト・ファッションに進出するんですか?」<br /> マジに訊いたあたしの顔を、ぽかんとした表情で三代目が、呆れ顔で浅野さんが、同時に見つめた。<br /> や、やばい、違ったみたいだ。も、もう、あたしのバカっ!<br /><br />「なぁ、直樹。やっぱ、この女子大生の就職の件、いいや」<br /> 浅野さんの発言を訊いて、あたしは心の中で悲鳴を上げた。<br /> ぎゃぁああ~~~、待ってぇ。スミマセン、スミマセン、ばかで。見捨てないでぇ~~~!<br />「沢口さん、限界が見えているところに後発で参入する気はありません」<br /> そ、そうですよね。じゃあ、どうするんですか?<br />「すみません」<br />「謝ることはありません。私としても、いまやろうとしていることは確実な勝算があっての事ではありません」<br />「つまり、直樹としても、会社としても大きなカケなわけだよ」<br />「は、はい」<br /> 浅野さんの言葉に取りあえず頷いたあたしに、三代目は少し言いにくそうに告げた。<br />「ですから、契約社員を求めているんです」<br />「…つ、つまり?」<br /> 恐る恐る訊いたあたしに、浅野さんがさらっと無責任に答えた。<br />「上手く行かなかったら、さよならってこと。契約社員ならそれができるだろ、社員は簡単に人員整理できないしな」<br /> が、がっくし。なんだ、そういうことか。そりゃそうだよね、一度落ちた会社から仕事の話があるなんて、そんな上手い話が転がっているわけがない。<br />「兄さん、そんな言い方、彼女に失礼です」<br />「こういうことは、ハッキリ言った方がいいんだよ」<br /> 浅野さんは、少しも悪びれた様子なく言った。<br />「そ、そりゃ、そうですよね…」<br /> すっかり意気消沈したあたしに、三代目が少し強い口調で言った。<br />「沢口さん、兄さんの言ったことは、百歩譲って事実だと言いましょう。ですが、大事なのはここからです」<br /> <br />三代目の眼が真剣で、あたしは力が抜けながらも耳を傾けた。<br />「私は、使い捨ての契約社員を求めている訳ではありません。私と一緒に、新しいブランドに退路を断って立ち向かってくれる人を求めています。当社の社員は現状維持を第一に考えていて、冒険を好みません。ですが、そんな気持ちでは到底越えられないチャレンジを、私はこれからしようと思っています」<br />「つまり、直樹と心中するくらいの覚悟があれば、契約社員になれるってことだ」<br />「だから、兄さん。もう少し、言いようが…」<br /> こんな浅野さんと三代目を見ているうちに、あたしは何か掛け合い漫才でも見ているような気分になっていた。このふたり、案外ウマが合うんじゃ…。<br /> そしてそんな思いが、あたしを冷静にし、気を楽にさせた。<br />「あのぉ…」<br />「は、はい」<br /> 浅野さんに何か言おうとしていた三代目が、慌ててあたしの方を向く。<br />「心中って、まさか、その新しいブランド?部署ですか? 専務とあたしのふたりだけってことはありませんよね?」<br /> ちょっと驚いたように眼を見開いてから、三代目が言った。<br />「はい。もうひとり、キャリア3年のスタイリストの採用を考えています。それと宣伝カメラマンとして、兄さん」<br />「俺は、ヤダって言ったろっ!」<br />「なに言ってるんですか!それが新しい企画と部署を立ち上げる条件だと、社長が言ったと伝えましたよね」<br /> なるほど、これで話しが繋がった。<br />「だからさぁ、そこをなんとか」<br /> この期に及んでごにょごにょ言う浅野さんに、思わずあたしは言った。<br />「浅野さん、往生際が悪いですよ」<br />「お、女子大生。それじゃあ…」<br /> 浅野さんと三代目が、再び揃ってあたしを見つめる。<br />「どうぞ、よろしくお願いします」<br /> あたしは思い切ってそう言うと、三代目に頭を下げた。不思議に「このチャレンジ、やってみたい」という気持ちが頭をもたげてきて、あたしはそんな自分に驚いてもいた。<br /> しばらくして顔を上げると、にこにこと揃って笑顔のふたりがいた。やっぱり、このふたり仲がいいんじゃん。<br />「兄さんも、いいですね」<br /> 浅野さんの方を見て、ダメ押しする三代目。<br />「しょーがねぇなぁ。でも、ほら、外部スタッフとかでいいんだろ?」<br />「そこは、妥協します」<br /> なんだ、裏協定アリじゃん。<br /> でも、これで契約社員とはいえ仕事が決まった。なぜだか、身震いする。<br /> <br /> 三代目と別れて、あたしは再び浅野さんと電車に乗った。<br />「浅野さん、よかったんですか?外部スタッフの件」<br />「ま、しょーがねぇだろ。ばばあが決定権、持ってるからな」<br />「あの…ありがとうございました」<br /> あたしは改めて、浅野さんにお礼を言った。<br />「やめろよ、女子大生。契約社員だぞ、逆にそれでいいのかって話だよ。ホントは社員でって思ったんだけど、ごめんな」<br /> あたしは、大きく頭(かぶり)を振った。<br />「充分です。これで路頭に迷わなくて済みました。実は、もの凄く不安だったんです、就職が決まらないこと」<br />「そっか、じゃ良かった」<br /> 浅野さんが照れ笑いしながらも、うんうんと頷いた。<br />「でも…」<br />「ん?」<br />「どうして、ここまでしてくださるんですか?」<br /> 不思議だと思っていたことを、あたしは正直に訊いた。<br />「…俺、さ」<br />「はい」<br />「氷川さんに、もの凄く世話になったの。こんなんじゃ、恩返しになんないくらい」<br /> 突然、浅野さんから出た「氷川さん」という名前に、あたしは一瞬言葉を失った。<br />「あんた…氷川さんと別れたんだってな。もったいねぇけど、まぁ、いろいろあったんだろうから…」<br /> 浅野さんが続けて何か言っていたけど、その言葉はあたしの耳をすり抜けて言った。<br /><br /> 有…さん。 ああ、有さんっ。<br /> 別れたのに、こんなときも有さんの存在が助けてくれるなんて。<br /> 胸の奥がきゅんと熱くなって、その熱さが喉から眼頭まであがってきて、あたしは慌てて車窓の外に眼を向けた。<br /> 有さん、じゃあこれは、有さんが与えてくれたチャンスなんだよね。有さんは知らないことだろうけど、そう思っていいよね。<br />嬉しい、こんな間接的な形でも有さんの存在を感じられることが。<br /> 有さん、あたし頑張るね。<br /> 有さんに、恥ずかしくないように。それがたとえ、有さんには伝わらなくても。<br /> どんなにときが経っても、どんなに悲しいことがあたしたちを隔てても、心までは変えられない。<br /> 有さん、あたし…。 あたし…忘れることなんてできないよ、一生。<br /><br />「どうした、女子大生」<br /> 窓の外を睨むようにして黙り込んだあたしを怪訝に思ったのか、浅野さんがそう訊く。<br />「な、なんでもないです。…あ、でも、あたし、頑張りますから」<br />「頑張ることなんかないよ、テキトーに、いい加減でいいんだよ。だって、明日をも知れない部署なんだぜ」<br />「はい、テキトーに、いい加減に、全力でやってやりますからっ!」<br />「お、おうっ」<br /> ふふ、楽しい。浅野さんと働けるって、肩の力がいい感じに抜けて凄くいい。まだ会っていないスタイリストの娘(こ)とも、気が合うといいな。<br /> あたしは急に未来が開けた気がして、車窓に一番好きな有さんの表情を想い映した。<br /></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" /></a><br /><br />
  • Date : 2017-03-04 (Sat)
  • Category : アイス
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