プロフィール

Author:mikazuki0602
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
オリジナル小説の
実験室へようこそ♪
本業の傍らゆるゆる
のんびり更新してます。
ざっくり気ままな試作でつが、
著作権は放棄していないでつ。
初めての方は「New!更新情報」
or「contents」からどうぞ。
(*´ω`*) Since 2013.6.2

【R18限定記事について】
男のひと目線の描写じゃなく、女子目線でホントのところを描きたいでつ お読みいただくには、パスワードを入力いただくか下記URLからどうぞ 「小説家になろう」グループ内 R18女性向小説サイト「ムーンライトノベルズ」 灯凪田テイルのXマイページへ移動します。 http://xmypage.syosetu.com/x1507h/
メール

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
04 | 2015/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
カウンター
フリーエリア

スポンサーサイト

<!-- passive:etc --><div style="text-align:center;margin-bottom:10px;"><iframe src='//assys01.fc2.com/1375' style='width:300px;height:250px;border:none;' scrolling='no'></iframe><!-- FC2管理用 --><img src="//media.fc2.com/counter_img.php?id=1368" width="1" height="1"><!-- FC2管理用 --></div><div style="font-size:8px;">上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。<br />新しい記事を書く事で広告が消せます。</div>
500

⑨彼の掌の上

「ねぇ、有さん。あたしがもし、1年間海外留学するって言ったらどうする?」 何気なく訊いたのに、ソファの隣に座ってコーヒーを飲んでいた有さんが驚いたような顔をしてこっちを見る。「留学する気なのか?」「い、いや。たとえばの話し…」 へらっと笑って誤魔化そうとしたあたしに、有さんが厳しい声で言う。「ダメだ」 え~~~、即座に却下ですか?「あ、じゃあ。1年じゃなくて3週間は?」 まあ、実際のところ、ウチの経済... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br />「ねぇ、有さん。あたしがもし、1年間海外留学するって言ったらどうする?」<br /> 何気なく訊いたのに、ソファの隣に座ってコーヒーを飲んでいた有さんが驚いたような顔をしてこっちを見る。<br />「留学する気なのか?」<br />「い、いや。たとえばの話し…」<br /> へらっと笑って誤魔化そうとしたあたしに、有さんが厳しい声で言う。<br />「ダメだ」<br /> え~~~、即座に却下ですか?<br />「あ、じゃあ。1年じゃなくて3週間は?」<br /> まあ、実際のところ、ウチの経済力とかあたしの語学力からいって、そのくらいが妥当だと思うのが本音だ。<br />「たった3週間じゃあ、行くだけ無駄だ」<br />「そ、そんなことないよ。む、無駄っていうのは、さすがにちょっと酷いんじゃない?」<br /> 初めての海外生活という淡い憧れをにべもなく否定されて、あたしはさすがにムッとした。<br />「3週間程度なら、俺と一緒に旅行へ行けばいい」<br />「え。3週間もお休み取れるの?」<br /> 休日出勤も当たり前で、お盆やお正月休暇だってともすれば短くなりがちな有さんの言葉に、あたしは驚いて訊ねた。<br />「有給がたまっているから、本気で取ろうと思えば2週間ぐらいならなんとかなる」<br />「ホント?」<br /> あたしは思いもかけない言葉に、眼を輝かせた。<br />「それに申請すれば、もっと長く取れる場合もある」<br />「そうなの?」<br /> ますます驚いて思わず有さんの腕に触れたあたしの頬を、有さんが大好きな長い指で撫でた。甘やかされているような感触が、くすぐったい。<br /><br />「ああ、たとえば新婚旅行とか」<br /> え…?<br /> 突然の意外な言葉に、あたしは嬉しいというより戸惑いがちに驚いた。まさか、プロポーズのつもり?まさかね、そんなことないよね?<br /> その反応が不服だったのか、有さんは少し機嫌悪そうに眉根を寄せる。<br />「なんだ、その表情は?」<br />「い、いや、だって。突然、そんなこと言うから」<br />「突然なのか、菜乃果にとっては?これまで、考えたこともないのか?」<br /> いや、だってまだ大学生だし。就職とかもこれからだし、いまの状況を見れば結婚してる就活生なんてどんだけ狭き門になることか。<br />「だ、だって、あたしまだ二十歳(ハタチ)になったばっかだもん」<br />「成人している。世間的には大人だ」<br />「大学生で結婚なんて、ウ、ウチの親が認めないと思うし…」<br />「菜乃果はどうなんだ?お前の気持ちは?」<br /> そりゃあ。有さんとずっと一緒にいたいと思う。有さん以外なんて、考えられない、考えたこともない。<br /> でも、それが結婚というカタチに直結するかと言われれば、まだ現実味がない、あまりにも。<br />「有さんのこと、大好きだけど…。でも、あたしこれから就職もするし…」<br /><br />「就職?するのか?」<br /> 驚いたようにそう言った有さんの言葉に、あたしの方が驚いた。<br /> い、いや、するでしょ、就職。大学卒業して、即専業主婦なんて、それは嫌だ。<br />「す、するよ?」<br />「なぜ?」<br /> いや、なぜって訊く方が、「なぜ?」だよ。<br />「ちゃんと社会人になって、自立するべきでしょ?社会を知らないままじゃダメだと思うし」 <br />「なぜ?」<br /> え…だって、大体みんなそうしてるし。<br /> それに、なぜなぜって“なぜなぜ坊や”ですか、有さん?<br />「だって、大学の友達みんな、ふつーに就職するもん」<br />「みんながするから、就職するのか?菜乃果は」<br /> え…。<br /> なんだか、ますます意地悪な質問をしてくる有さんに戸惑う。<br /> まるで“圧迫面接”する面接官みたいだ。でもそれなら、練習の意味でも負けてらんない…かも。<br />「え、え~と。しゃ、社会というものを自分の眼で見て、体験することが成長につながると思うからです」<br /> って、就活生の面接かよ。とほほ。<br /> 姿勢を正して真面目に答えたあたしに、ぷ、と有さんが噴き出す。<br /> な、なに?からかってる? ホントにときどき、有さんは人が悪すぎるよ。<br /><br />「菜乃果は、何がやりたいんだ?」<br /> え? え…と。<br /> そう言えば、大学に入るときもなんとなく英文科を選んだ。英語を習得できれば、就職に役立つかも、なんて軽い動機で。<br /> やりたいこととか、なりたい職業とか、夢とかそのときはまだなくて、大学に入ってからゆっくり見つければいいや、なんて考えていた。でも実際に大学生活がはじまると、毎日起こる小さな事件や楽しい時間や恋やサークル活動や取りあえず勉強とかで、将来のことなんてすっぽり抜け落ちていた。<br /> 近藤君は、明確に英語を自分の武器にしようとしている。知花ちゃんや早乙女君は、なりたい職業とか夢とかあるのかな?そう言えばそんな話、したことなかったなぁ。それよりなにより、あたし自身は?<br />「そ、それは大学に入ってから見つけようと思って…」<br />「見つかったのか?」<br /> 有さんが楽しそうに意地悪な眼で、そう訊く。答えがわかっているような質問の仕方に、あたしはちょっと意地になった。<br />「だ、だから留学も考えてるんだもんっ」<br />「留学したとして、その先は?」<br /> …う。<br /> <br /> 有さんがまるで追い詰めた獲物をいたぶるかのように、楽しそうにあたしの髪を耳に掛けた。<br />「菜乃果、留学してもいいよ」<br />「ほ、ホント?」<br /> いきなりの譲歩に、声が上ずる。<br />「ああ。でも帰ってきたら、法的にも俺のものになるなら」<br /> つまり…結婚てこと?<br />「一度、就職してからじゃダメ?」<br /> 気弱に訊くあたしを嬉しそうに見ると、有さんは耳元で甘く囁いた。<br />「なぁ、菜乃果。社会は菜乃果が思っているほど甘くない。足を引っ張るヤツも、陥れるヤツも、嫉妬するヤツも、逆恨みするヤツもゴマンといる。そんな汚い世界を、俺は菜乃果に見せたくないんだ。菜乃果はおっとりと、信じやすい無邪気な心のまま、俺の傍にいればいい」<br /> でも…そんなのって、と言いかけたあたしの唇を有さんの唇が塞ぐ。<br />「可愛い菜乃果に、汚い現実は見せたくない。このままお前を純粋培養して、俺は俺の手元に置きたいんだ」<br /> お、親だって、可愛い子には旅をさせるのに?<br /> あたしのささやかな、子供じみた抵抗は、本気の有さんに通じるはずもなく。うなじと鎖骨へのぴりっとした甘い刺激に、あたしは有さんの思い通りに仰け反る。<br />「ああ、菜乃果。可愛い、俺の、俺だけのものだ」<br /> 有さんの手が、先週買ってもらったばかりの白いワンピースのボタンを外す。その間も、有さんの唇は忙しげにあたしの肌に所有の印を残していく。<br />「や、ヤダ」 <br /> 微かな抵抗を見せたあたしに、有さんが胸の上から顔を上げる。<br />「嫌?なにが…」<br />「こんな、こんな…なし崩し的な」<br />「大丈夫だ、答えは菜乃果の躰に訊く」<br />「っ…」<br /> ひ、酷い。抵抗できないってわかってるくせに、もう溶けはじめて躰に力が上手く入らないってわかっているくせに、いまこの状況でそんなことを言うの?<br />「菜乃果、わかってるだろ?いつだって菜乃果は、俺に逆らえないんだよ」<br /> わかってる、わかってるから、これは違うとどこかで思う。<br /> でもその思考は、確信犯的な指と唇の動きにあえなく降参して、もうどうでもよくなってしまう。<br /> 有さんの指が這う場所が熱い。<br /> 唇はつける紅い印が、ぴりりとした快感を与える。<br />「ゆ、有さん。…好き」<br />「いい子だ」<br /> きっと愛しい悪魔は、いまとても意地悪な顔をしているだろう。<br /> 自分の思惑通りに、今日もあえなく陥落した籠の鳥をこれからどうしてやろうかと舌なめずりしているに違いない。悔しいけどいつだってあたしは、有さんの掌の上で思いのままに転がされている気がする。<br /><br /> ああ、でも。<br /> あたしは、そんな有さんがたまらなく好きなのだと、あらためて思い知ったのだった。<br /></span></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br /><br />
  • Date : 2015-05-31 (Sun)
  • Category : アイス
499

⑧大人と過保護

 どんなに大丈夫だからと言っても、有さんは納得せずにあたしを病院に連れて行った。診察を受けてレントゲンを撮って、殴打による痣以外は何の問題もなかったけれど、DVを疑われかけたのには驚いた。有さんの口元にもある殴打痕と傷を見てもらって、共に第三者に殴られたことを説明すると、今度は傷害事件として警察に連絡を取られそうになった。 それもなんとか収めて、有さんのマンションへふたりで帰って来た。「菜乃果、庇っ... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br /> どんなに大丈夫だからと言っても、有さんは納得せずにあたしを病院に連れて行った。<br />診察を受けてレントゲンを撮って、殴打による痣以外は何の問題もなかったけれど、DVを疑われかけたのには驚いた。有さんの口元にもある殴打痕と傷を見てもらって、共に第三者に殴られたことを説明すると、今度は傷害事件として警察に連絡を取られそうになった。<br /> それもなんとか収めて、有さんのマンションへふたりで帰って来た。<br /><br />「菜乃果、庇ってくれた気持ちは有難いが、もう二度とあんな無茶はしないでくれ。心臓に悪い、息が止まるかと思った」<br /> 有さんはそう言ったけど、またあんなことが起きたら、あたしは同じ行動を取ると思う。自分の身体の痛みより、これまで経験したどんな痛みより、あの胸の痛みは酷かったし耐えられないと思った。でもあたしは胸が痛くなって、有さんは息が止まるかと思ったなんて、なんだか“おあいこ”だね。<br /><br /> それにしても、不思議だった。<br /> 惺が殴られたときは、豪雨のように激しい怒りが全身を支配したけれど、あんな痛みはなかった。なんだか惺にもう申し訳ないけど、これが弟的存在と自分の分身とも言える、いや自分以上の存在との違いなのだと妙に納得した。<br /><br />「うん」<br /> 取りあえず、あたしは素直にそう答えた。<br /> 本心じゃないけど、有さんを心配させないためについた嘘だから、きっと神様も許してくれるよね?<br />「だけど…」<br /> 有さんが、裸にしたあたしの鳩尾(みぞおち)の痣を優しく何度も擦りながら言った。<br />「こんな痕を、俺の菜乃果に残すなんて、誰であっても許さない」<br />「ダメだよ」<br /> 怖い眼になった有さんに焦って、あたしはその腕に縋(すが)る。<br />「わかってる」<br /> そう言ったけど、有さんの眼の奥にはまだ怒りの炎があって、あたしはちょっとだけ心配になる。<br />「だけど…」<br />「ん?」<br /> 有さんが今度は、あたしの胸に唇を寄せながら訊く。<br />「痛かったか?ここ」<br />「うん。あんな痛みは初めて」 <br />「そうか…」<br /> 有さんの眼がやっと穏やかになって、あたしをぎゅぅと抱きしめた。<br /><br />「俺には菜乃果しかいない。これまでも、これからも。出逢えてよかった」<br /> あたしも。あたしもこんなに愛おしいと思えるひとに出逢えてよかった。<br /> ひとつだけ、外岡さんに感謝していることがある。<br /> それは、有さんへの想いが確かで唯一のものだってことを教えてくれたこと。<br /> やっとあたしは完全に無防備に、有さんを信じられる。信じるということは、相手がさせてくれることじゃないんだ。自分がそうなれるかってことなんだ。傷つけられてもいい、傷だらけになってもかまわない、その覚悟があって初めて無防備に信じられる。無防備と言うのは、ある意味、怖いことだ。だけどその怖さを感じなくなったとき、オンナは本物の何かを手に入れられるような気がした。<br /><br /><br /> 外岡さんは、人が変わったように創作にひたむきになったそうだ。<br />「人が変わったっていうか、本来の自分を取り戻したのかもしれないわね。なんだか大学時代の外岡君みたい」<br /> 祥子さんは、有さんにそう言ったそうだ。<br /> そしてつけ加えた。<br /> 外岡さんが酷く後悔して、謝っていたと。直接謝りたいが、いまは合わせる顔がない、だからこれからの生き方を通して謝らせてくれと言ったそうだ。<br /> それで充分だった、有さんもあたしも。そしておそらく、惺も。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「知花」<br /> そう呼ぶ近藤君をまるっと無視して、知花ちゃんがサンドイッチをパクついている。<br /> ランチのトレイを持ったまま突っ立っている近藤君と、眉間にしわを寄せたまま親の仇みたいにアイスティーをごくごく飲んでいる知花ちゃんを交互に見ながら、早乙女君とあたしはおろおろしていた。<br /> 知花ちゃんの態度を見ていると、気軽に近藤君に「座れば?」なんて言えない。<br />「知花、いい加減にしろよ」<br /> ダンスサークルの仲間が近くにいて、明らかにケンカしているらしいふたりをちらちら見ているから、近藤君は困った顔でそう言い残すとトレイを持って離れたテーブルへ行ってしまった。<br /><br />「いいの、知花ちゃん?」<br /> むすっとした顔で、知花ちゃんが頷く。<br />「なんか…淋しそうだったよ」<br /> そう早乙女君が言うと、知花ちゃんはちら、と近藤君の方を盗み見る。ふふ、ケンカしてると言っても、やっぱり好きなんだなぁ。可愛いじゃないか、知花ちゃん。<br /><br /> 知花ちゃんと近藤君のケンカの原因は、語学留学だ。<br /> 英語が堪能な近藤君は、今年の秋から1年間、提携しているイギリスの大学へ留学することに決めてしまったらしい。1年間で一定のレベルをクリアすれば、日本に帰って来ても取得単位として認められて次の学年に進める。もちろん一定のレベルと言うのはハイレベルで、誰もが挑戦できるものではないけれど、それだけに行く価値がある。<br /><br /> でも知花ちゃんにすれば来年、3年生の夏に一緒に短期留学することを夢見ていた。<br /> だけど近藤君は言ったそうだ。<br />「夏休みだけ、3週間程度の語学研修じゃあ、将来役に立たないと思うんだ」<br />「なによ。じゃあ、短期留学を目指して頑張ってるみんなの努力は無駄だっていうの?」<br /> ちょっと気色ばんだ知花ちゃんに、近藤君は冷静に言った。<br />「そう言う訳じゃないよ。ただ、僕は男だから。英語を就職に役立てたいとマジで思ってる。本気なんだ」<br />「あ、あたしだって、いい加減な気持ちで留学目指してるわけじゃないよっ」<br /> それに…と知花ちゃんは、もう一つの夢を語った。<br /> 近藤君と一緒に、日本を離れた外国で、たった3週間でも過ごせることに憧れていたのだ。<br /> だけどその可愛い知花ちゃんの夢は、近藤君の大人なひと言によって否定されてしまった。<br />「知花、語学研修は遊びじゃない。僕は、留学したらなるべく日本人とは群れないつもりだ。そうでないと、日本を離れてわざわざ本場で英語を学ぶ意味がない」<br /> 近藤君の言葉を知花ちゃんから訊いて、早乙女君とあたしは思わず顔を見合わせた。<br /> 凄い…近藤君て、大人でしっかりしてるんだなぁ。<br />「酷いと思わない?あたしだって遊びで留学するつもりなんてない。でも、理史がいたら心強いかなって」<br /> 知花ちゃんが俯きながら、頬をさらに膨らませる。<br />「でもね、理史はそれにも厳しいこと言うの。それならいっそう、知花と一緒には行けないって。それはお互いのためにならない、自分の力で頑張ってこそ意味があるって。冷たいよ、理史は」<br /> でも、知花ちゃん。本当はわかってるんでしょ?<br /> 近藤君の言うことが正しい、とっても大人で頼もしい考えだってこと。<br />「知花ちゃん、淋しいのはわかるけど…」<br />「そうだよ、近藤君は長倉さんのことを逆に思って…」<br />「わかってるよ!」<br /> あたしと早乙女君の言葉に、知花ちゃんはムクレながらもそう言った。<br /> <br /> たったひと言でいい、そのひと言があれば、女子は納得するんだけどなぁ。<br /> たとえば「本当は知花と離れたくないけど、ふたりのために僕は将来のことを真剣に考えてるんだ」とかなんとか。<br /> でも近藤君、口下手っぽいからなぁ。<br /> 知花ちゃんの悄気(しょげ)具合が相当だったから、あたしは言った。<br />「そうだよねぇ。わかってるけど、1年も離れて平気なんて、近藤君たら冷たいよねぇ」<br /> 慰めるつもりでぽろ、と言ったあたしの言葉に、知花ちゃんは急に怖い顔で言い返した。<br />「平気なはずないじゃん。理史は1年淋しい思いをしても、もっと先の将来のことちゃんと考えて苦渋の決断したんだもん。冷たいだなんて、言わないでっ!」<br /> えええええ~~~~~。<br /> それはないよ、知花ちゃん。ちゃんとわかってるなら、そこまで落ち込まないでよぉ。話し訊いて、慰めてた早乙女君とあたしの立場は~?<br />「まぁ、わかっていても淋しいのが乙女心だよねぇ」<br />「そうそう、やっぱ乙女はわかってる!」<br /> ちょ、ちょっと。<br /> なんであたしだけ、悪者?<br />「よし!」<br /> と知花ちゃんがいきなり立ち上がった。<br />「な、なに。どうしたの?」<br />「理史にちゃんと言ってくる!語学留学、頑張ってって。あたしも1年間頑張りながら待ってるからって!」<br /> そう宣言するように言うと、知花ちゃんは颯爽と近藤君の方へ駆け寄る。<br /> 会話の内容は聞えなかったけど、近藤君の表情がぱっと明るくなって、知花ちゃんの髪に触れる。<br /> なんだよ、いきなりラブラブモード?<br /> 唖然として口を開けたあたしと、苦笑いを浮かべた早乙女君のことなどもう眼中にないふたりは、仲良く連れ立って学食を後にした。<br /><br /> がっくし。<br /> まぁ、いいけど。<br /> でも。大人な近藤君に比べて、外岡さんの一件以来、過保護(スポイル)と束縛具合が日増しに強くなっている有さんのことが、あたしの新しい悩みだった。</span></span><br /><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
  • Date : 2015-05-30 (Sat)
  • Category : アイス
498

⑦本当の痛み

「外岡さん、この通りです」 突然、有さんがそう言って椅子から立ち上がると、床にまず右膝を、それから左膝もついた。 …有、有さん?「…有っ!」 外岡さんの目の前で、ゆっくりと土下座をした有さんに、祥子さんが声を詰まらせながら名前を呼ぶ。 床に額をつけて土下座する有さんと、絶句する祥子さんを見比べながら、外岡さんは狂気が混じったような笑い声を上げた。「あ~はっはっは!見たか、美沙希?氷川有が、このお高く... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br />「外岡さん、この通りです」<br /> 突然、有さんがそう言って椅子から立ち上がると、床にまず右膝を、それから左膝もついた。<br /> …有、有さん?<br />「…有っ!」<br /> 外岡さんの目の前で、ゆっくりと土下座をした有さんに、祥子さんが声を詰まらせながら名前を呼ぶ。<br /> 床に額をつけて土下座する有さんと、絶句する祥子さんを見比べながら、外岡さんは狂気が混じったような笑い声を上げた。<br />「あ~はっはっは!見たか、美沙希?氷川有が、このお高くとまった冷血漢が、俺に土下座してるぞ。あっはっはははっ。笑えるじゃないか。はははっははっ」<br /> 有さん…。<br /> あたしは思わず両手で自分の口を押え、外岡さんの前に跪く有さんの姿に眼を見開いたまま固まっていた。身体が金縛りにあったように動けなくて、喉と鼻の奥が貼りついたようにひくひくする。呼吸もなんだか苦しい。<br />「それくらいで、許されると思っているのかよ?」<br /> 外岡さんが嬉しそうに、舌なめずりしながら有さんの方へ身を乗り出す。<br />「許されたいと言うより…」<br />「なんだよ?」<br />「菜乃果に、もう指一本触れないと約束してほしいんです」<br /> ふん、と外岡さんは有さんから顔を逸らすと祥子さんの方を見て言った。<br />「こいつ、この期に及んで、美沙希を侮辱する気らしいぜ?」<br /> 外岡さんは、有さんの両手を足で踏みつけながら、にやにやと嫌な笑いを浮かべた。<br />「そんなに、このお嬢ちゃんが大事かよ?プライドの高いお前が、俺の前でこんな姿を晒すくらい」<br /> それから天を仰ぐように見て、うおぉ~と一声吼えた。<br />「美沙希、見てるか?お前を殺した男は、お前以外のオンナのために、俺の前でみじめで情けない姿を晒してるぞ。どうする、美沙希?どうしてほしい?」<br /> 天井のどこか一点を凝視するようにして、拳を握りしめたままギラギラと眼を光らせ仁王立ちしている外岡さんの姿が恐ろしい。なんだか、とんでもないことをしでかしそうな危険な雰囲気に溢れているのに、あたしはおろおろするばかりで何もできない。<br /><br />「…そうか」<br /> やがて外岡さんは、ぽつりと言うと、床に額をつけたままの有さんを再び上から見下ろした。<br />「殴ってほしい、だとよ。半殺しにするくらい、殴り倒してほしいだとよ」<br />「う、嘘。美沙希がそんなこと望むはずがないわっ!」<br /> とうとう、祥子さんが金切り声をあげた。<br />「嘘じゃないさ。この耳に、確かに聞こえたんだ。美沙希がそう言うのが」<br /> 外岡さんは有さんの方へずぃ、と身を進めると、その胸ぐらを掴んだ。<br /> 有さんは胸ぐらを掴まれたまま顔を上げると、静かな眼で外岡さんを見た。<br />「どうぞ、気が済むまで。美沙希と、外岡さんの」<br />「ダメ、だめよ。有、外岡君っ」<br /> 祥子さんがそう叫ぶのが聞えたとき、あたしの身体はやっと金縛りが解けて動くことができた。<br /> だから、あたしは何の考えもなしに、とても自然にそうしたんだ。とても当たり前に、身体がそう動いたから。<br /><br />「菜乃果っ!」<br /> 有さんを殴って、もう一度振り上げた外岡さんの拳は、あたしの鳩尾(みぞおち)辺りに命中した。<br /> うん、しょうがないよね。だって、有さんの顔を覆うように外岡さんとの間に入ったから、やっぱりその辺りに当たるよね。<br /> ずしん、と重い痛みが響いて、息が苦しい。深呼吸しようとしたら、ひゅぅと声にならない声が出た。<br />「沢口さんっ!」<br /> 祥子さんの声が、ちょっと遠く聞こえる。<br />「…な、なんだ、お前。どけっ、お嬢ちゃんが出る幕じゃないんだよっ」<br /> そう言う外岡さんに、あたしはやっと口をきくことができた。<br />「ど、き、ません」<br />「菜乃果、菜乃果、大丈夫か?」<br /> 有さんがあたしを抱きしめて、必死にそう訊く。<br />「どけよっ、また痛い目に合うぞっ」<br />「どき、ま、せん」<br />「菜乃果、痛いだろ?菜乃果、どんな、どんな痛みだ?」<br /> 大丈夫、あばらとか折れてないから、たぶん。ちょっと呼吸が苦しいけど。<br /> 抱きついたあたしの腕をほどこうとする有さんに、いやいやをしてあたしはさらにぎゅぅと抱きついた。<br />「痛いよ…。だって…有さんが、有さんが殴られたんだから。この胸んとこがきりきり痛い。こんな痛み、こんな痛み、初めて。耐えられない、耐えられないよぉ」<br />「…な、菜乃果…」<br /> あたしはとうとう情けないけど、子供みたいに泣きじゃくりはじめた。<br />「殴らないで、お願い。有さんをこれ以上、殴らないでください。痛いの、ここが痛いの。きりきりきりきり、なんかを突き刺されているみたいに痛いの。だから殴らないで、有さんを殴らないで。あたし、なんでもするから。有さんを殴らないで。痛いの、痛くてたまらないの、ここが…ここが」<br /> あたしは自分の胸を抑えて、泣きじゃくった。<br /><br /> しん、と沈黙が続いた後、祥子さんの声が聞えた。<br />「見なさい、外岡君。これがオンナよ、誰かを愛おしいと想う気持ちを知ったオンナよ。あなたに、わかる?わかるなら、美沙希の気持ちにだって、本当は…もう気づいているはずよ?」<br /> 菜乃果、と耳元で有さんの声がすると同時に、あたしは有さんの腕の中に崩れた。<br />「…美沙希の、きもち?」<br /> 外岡さんの放心したような声に、さっきまでの怒りは感じられなかった。<br />「美沙希、遺書はなかったけど。でも死ぬ少し前に、電話をくれたわ」<br /> 祥子さんが鼻を啜る音が、背中越しに聞こえた。<br />「美沙希、なんて言ったと思う?」<br /> たぶん外岡さんの、苦しそうな荒い息が聞えたけど、彼は言葉を発することはなかった。<br />「世界で一番大事な人を、裏切ったって。そんな人間は、生きている資格がないって」<br />「嘘だっ」<br /> 低い、唸るような外岡さんの声が聞えた。<br /><br /> 会ったこともない、美沙希さんと言う人の純真すぎる姿が目に見えるような気がした。きっと、美沙希さんは知っていたんだ。もう、かつてのふたりには決して戻れないことを。それくらい外岡さんと言う人の、本当は生真面目で繊細な心を、誰よりも理解し愛していたに違いない。そしてそんな美沙希さんにそこまで想われる外岡さんだからこそ、美沙希さんを失った混乱をどこへぶつけていいかわからなかったのだろう。<br /> なんだか、哀しい。人って、人を想うことって。<br /> あたしの中で、外岡さんへの恐怖とか怒りとかがすぅと消えて、それと同時に鳩尾に現実的な苦痛がやってくるのを感じた。<br /><br />「ずっと、この美沙希の言葉を、あたしは抱えたままだった。外岡君に、伝えていいものかずっと迷っていたの」<br /> 有さんの胸から頬を離して振り向いたあたしの眼に、外岡さんに深々と頭を下げる祥子さんの姿が見えた。<br />「ごめんなさい。こんな大事なことを伝える機会を逸していたなんて、言い訳よね。でもあの頃の外岡君は、伝えられるような状態にとても見えなかったの」<br />「俺の、俺のせい、だった…て言う、のか?」<br /> 外岡さんが、呆然とした表情で両手をだらりと垂らした。<br />「違うわ。それだけは、違う」<br />「違わない、だろ…」<br /> 一瞬にして酷く憔悴したような外岡さんの腕を掴むと、祥子さんは真剣な声で言った。<br />「違うわよっ!ちゃんと、ちゃんと、美沙希の遺志を受け止めてよ、外岡君!」<br /> 祥子さんは、なおも必死に外岡さんの腕を掴み、激しく揺り動かすようにして外岡さんの焦点を捉えようとしていた。<br />「美沙希の、あなたへの最期の真心じゃないの。あの娘(こ)は自分を自ら罰することで、あなたへの操を想いを貫いたのよ?」<br /> 外岡さんが、呆けたような眼で祥子さんを見る。その眼の焦点が、やっと祥子さんと合った。<br />「どう、いう、ことだ?」<br />「美沙希は、一瞬でもあなた以外に心を動かした自分が許せなかった。それだけ、美沙希のあなたへの想いは真剣だった。二つとない本物だったのよ」<br /> 外岡さんの顔が、スローモーションのように笑ってそれから歪んでいった。<br />「はは…。バカな、そんなバカな。じゃあ…俺のせいなのか、俺の…」<br />「違うわ、外岡君。あなたがそんな風に取ることが怖くて…だから、あたし、言えなくて。でも、違うわ」<br /> 祥子さんはそこで言葉を唐突に切ると、どんよりと濁った眼であらぬ方向を再び見つめる外岡さんの頬を平手で殴った。<br /> ぱちんと、可愛らしい音がして、それでも外岡さんの意識を戻すには十分だったらしい。<br /><br />「しょ、祥子?」<br />「誰も、悪くないわ。誰も、悪くないのよ、外岡君」<br />「じゃあ、じゃあ、美沙希はなんで死んだんだ?」<br /> その答えを探して、誰もが苦しんできたはずなのに、きっとその答えを明白にすることに、いまは何の意味もない気がした。<br /> 祥子さんもそう思ったのだろうと、あたしは彼女の次の言葉を訊いて感じた。<br />「その答えは、あなたのこれからの人生と絵の中にあるわ」<br />「…祥子」<br />「美沙希が、外岡君が描く絵の一番のファンだったこと忘れないで。美沙希を忘れられないなら、その事実ともちゃんと向き合ってよ」<br /> うぉおぉおおお~!<br /> 再び、外岡さんは咆哮してその場に崩れ落ちた。<br />「み、美沙希、美沙希っ。美沙希ぃ~」<br /> 何度も失った愛おしい人の名を呼んで、人目も憚らずに泣く外岡さんの姿に、彼はいまやっと美沙希さんの死を受け入れることができたのだと思った。</span></span><br /><br /><br /><span style="color:#00CC99">暴力とか、残酷なのが苦手なので、<br />これが私の精一杯デス。(*´ω`)</span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
  • Date : 2015-05-24 (Sun)
  • Category : アイス
497

⑥過去との対峙

お待たせしました。む、難しいです、書くって。苦戦しましたん。あと、自分の力なさ加減にもがっかりデス(*´Д`)「示談にしてくれなんて、誰が頼んだ?」 いっそう眼つきと態度が悪くなった印象の外岡さんが、不機嫌そうにそう毒づいた。 祥子さんの好意で、画廊の事務室を借りて、外岡さんと有さんはきちんと話をすることになった。「菜乃果は来なくていい」 と有さんは気遣ってくれたけど、あたしはちゃんと見届けたかった。... <span style="color:#00CC99">お待たせしました。<br />む、難しいです、書くって。苦戦しましたん。<br />あと、自分の力なさ加減にもがっかりデス(*´Д`)</span><br /><br /><br /><br /><span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';">「示談にしてくれなんて、誰が頼んだ?」<br /> いっそう眼つきと態度が悪くなった印象の外岡さんが、不機嫌そうにそう毒づいた。<br /><br /> 祥子さんの好意で、画廊の事務室を借りて、外岡さんと有さんはきちんと話をすることになった。<br />「菜乃果は来なくていい」<br /> と有さんは気遣ってくれたけど、あたしはちゃんと見届けたかった。ある意味、当事者なのだから。<br /><br />「なに言ってるの、外岡君。あなた、自分がしでかしたこと、まだわかっていないの?」<br /> 祥子さんが厳しい声で、そう言った。<br />「俺は、当然のことをしただけだ。なぁ、氷川?」<br /> 反省するどころか、まだ有さんへの憎しみに燃えている外岡さんにあたしは不安で一杯になった。いったいどうやって解決するの?有さん…。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> あの日、あんなことがあったことを訊いた祥子さんは、まずあたしに謝った。<br />「ごめんなさい、沢口さんをこんなことに巻き込んで」<br />「祥子のせいじゃない、俺のせいだ、全部」<br />「でも…ここで外岡君に会わなければ。有の彼女だって知らなければ…」<br /> それなら、むしろ悪いのはあたしだ。だって外岡さんの前で、有さんの名前を出したのはあたしだから。有さんの名前を出すまでは、外岡さんはあたしになんか興味を示さなかった。だから…。<br />「そ、それは、あ、あたしが…」<br /> そう言いかけたあたしの頭を撫でると、有さんは労わるような眼で見て言った。<br />「菜乃果はなにも心配しなくていい。俺に任せなさい」<br /> それから有さんは、祥子さんの方に改めて向き直るときっぱりとした口調で言った。<br />「あのとき、あのままにしていた俺が悪い。あれはもう過去だと思い込もうとしていたけど、決して過去じゃないんだ。ちゃんと向き合って決着をつけなければ、いつまでたっても過ぎ去ったことにすることはできない。現に、外岡さんはいまだに苦しんでいる、血を流し続けている。そうだろ、祥子?」<br />「そうね、あたしも逃げ続けてきたツケが回って来たんだわ」<br /> 祥子さんが深く頷きながら、切なそうに自分の額に手を当てた。<br />「祥子、協力してくれないか?俺は、もう菜乃果を二度とあんな危険な目に合わせたくないんだ、絶対に」<br /> お互いが自分を責めているような祥子さんと有さんに、あたしは訊ねた。<br />「…あの、教えてくれませんか?いったい、何があったんですか?有さんと外岡さん、そしてたぶん誰か女の人との間に」<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 外岡さんと祥子さんは、G大の同級生だった。<br /> 外岡さんは絵の才能で、祥子さんはやがてミスG大となるその美貌で、それぞれ大学内では良く知られた存在だった。<br /> そして外岡さんには、高校時代からつき合っている日野美沙希(ひのみさき)さんという同い年の恋人がいた。美沙希さんは中学時代から祥子さんの親友で、一年浪人してまで外岡さんと同じG大を目指して、そして合格した。<br /> 外岡さんと美沙希さんは、誰の眼にも羨ましいほど仲睦まじい恋人同士だったという。<br /> 1年遅れでG大に入学した美沙希さんは、たまたまふたりの才能あふれる男と同級生になった。<br /> 独りは、栢木李人。ギリシャ彫刻のような美しい容姿に、シャイで無口で優しい李人さんは入学当初からかなり注目される存在だったという。<br /> もう独りは、氷川有。クールで孤高の豹のような印象の有さんは、近寄りがたいけれども憧れの存在だったという。<br /> 全く違うタイプだったにも関わらず、李人さんと有さんはすぐに理解し合える友人になった。周りの人間から見れば、なにがそうさせたかは不可解だったけれど、一つ確かなことはこのふたりに外岡さんを凌駕するほどの才能があったということだ。<br /> 李人さんには、まるで芸術の神様に愛されたかのような天才的な、人智をはるかに超えた創造力が。<br /> 有さんには、魂の深淵から湧き出てくる叫びのような、哀しみと歓びと苦しみと恍惚が混じり合った不思議な魅力が。<br /> そして外岡さんには、地道な努力と理論に裏づけされた、ある意味一番安定した能力が。<br /> 外岡さんと美沙希さん、祥子さんと李人さんと有さんは、先輩後輩の垣根を越えていつしか仲の良い友人として、互いを認め合い切磋琢磨するようになった。<br /> 美沙希さんの心が、有さんに惹かれはじめていると気づくまでは。<br /> <br /> 最初に気づいたのは外岡さんで、彼は誰にも告げずに独り苦しんだ。<br /> 次に祥子さんと李人さんが、そして有さんが。<br /> 美沙希さんは最後まで自分の気持ちの変化に気づかなかった、いや認めたくなかったのだろう。<br /> だけどある日、外岡さんとの小さな諍(いさか)いで、美沙希さんは気づいてしまった。<br /> 自分の気持ちが有さんに傾いていることに、そしてあろうことか、その事実に自分以外の誰もがとうに気づいていたことに。<br /> その日から、美沙希さんの苦しみの日々がはじまった。もともと心優しく、一途で真面目な美沙希さんは、誰より自分自身を責めた。高校時代からの優しい恋人を裏切ってしまったこと、彼を傷つけたこと、友情を壊したこと、そしてなにより心変わりした自分自身を許せなかった。その煉獄の苦しみの果てに、美沙希さんが選んでしまったのは死だった。<br /> 誰もが衝撃を受けた。外岡さんは呆然自失になり、半年ほど行方をくらました。戻ってきてからは狂ったように創作に没頭し、いくつかの名のある賞を受賞し、大学を卒業する頃には将来を嘱望される画家として注目され、その数年後には糸が切れたように何も描けなくなった。<br /> 美沙希さんの死は当然、有さん、祥子さん、李人さんの心にも消えない暗闇をつくりだした。誰もが、それぞれの深い悔恨をいまも抱えたままだ。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 外岡さんの舐めるような視線から、あたしを背後に隠すようにして有さんは言った。<br />「外岡さん。この娘(こ)は、菜乃果はなんの関係もない。だからこれ以上、菜乃果に関わらないでほしいんです」<br /> ふん、と外岡さんは鼻で笑うと、有さんを凄みのある眼つきで睨みつけた。<br />「そう、都合よくいくかよ。人のオンナは奪う、しかもそのオンナを殺しておいて、自分のオンナには手出しをするななんてどの面下げて言えるのかねぇ」<br /> 相変わらず、いやいっそう悪意のこもった様子の外岡さんに、たまらなくなったように祥子さんが言った。<br />「殺すだなんて…有は、なにもしていないじゃないの」<br />「なにもしていない?人の心を奪っておいて、宙ぶらりんのまま放置して。だから、美沙希は死んだんだろ」<br />「有が、故意に奪ったのではないわ」<br /> 祥子さんが力なげに言った。<br />「じゃあ、美沙希が勝手にコイツを好きになって、勝手に失恋して死んだって言うのかよ。それじゃあ、あまりにも美沙希が可哀そうじゃないか」<br /> 祥子さんはなにも言い返せず、有さんをそっと見る。<br /> どうするの?有さん。<br /> 不安で一杯の眼をしていたあたしの頭を、有さんが大丈夫だとでも言うように撫でてから、外岡さんを真っ直ぐに見ると言った。<br />「確かに俺は、美沙希の気持ちを気づかないふりをして放置しました。これまで通り、皆で変わらない友人関係を続けていきたかったから、あえて冷たい態度を取り続けました。もっと美沙希と向き合って、きちんと話し合うべきだったのかもしれません。しかしそうすれば美沙希が生きていてくれたかどうか、俺にはいまもわかりません。ただ俺のせいで美沙希が死を選んだとしたら、その責任から俺はずっと逃げてきたことは確かです」<br /> そんな。どうやって、責任を取れって言うの?<br /> あたしは有さんの腕にぎゅぅとしがみつく。<br /> 美沙希さんは可愛そうだと思うけれど、有さんを恨むのは筋違いだ。<br /> しがみついたあたしを庇うように抱いた有さんを、外岡さんは凶悪ともいえる眼差しで睨むと、せせら笑いながら言った。<br />「だから、その責任の取り方を、俺が教えてやろうと思ったんじゃないか。自分の大事なものを奪われる苦しみを、お前は味わったほうがいいんだよ。それで初めて、お前のその氷のような心は、人の痛みを感じることができるんだ。美沙希の、俺の、血を流すほどの苦しみを思い知れ!お前に思い知らせるためなら、俺は何度でも、たとえ犯罪者になったとしても、お前の大事なそのお嬢ちゃんを傷つけに行くぜっ!覚悟しろっ、氷川有!!」<br /> 何かが外岡さんの中で微妙に食い違っているような、辻褄の合わない嫌な感じがするのに、その正体が見えないことにいっそう薄気味悪さを感じた。</span></span><br /><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
  • Date : 2015-05-23 (Sat)
  • Category : アイス
496

⑤鬼ごっこと指切り

「鬼ごっこしない~? 薄汚い鬼さぁ~ん」 緊迫した状況にまったく似つかわしくない声が、ふいに聞こえてきた。 惺…。 顔を見なくてもわかる、惺の声だ。「ひ、氷川君っ」あたしの背中で、早乙女君の縋りつくような声がした。「氷川?」 あたしと早乙女君を追い詰めていた、外岡さんの足が止まった。 小さなジャングルジムの上から、惺が軽々とジャンプしてぬかるんだ地面にぐしゃりと降り立った。「うわぁ。あ~あ、お気に... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br />「鬼ごっこしない~? 薄汚い鬼さぁ~ん」<br /> 緊迫した状況にまったく似つかわしくない声が、ふいに聞こえてきた。<br /> 惺…。<br /> 顔を見なくてもわかる、惺の声だ。<br />「ひ、氷川君っ」<br />あたしの背中で、早乙女君の縋りつくような声がした。<br />「氷川?」<br /> あたしと早乙女君を追い詰めていた、外岡さんの足が止まった。<br /><br /> 小さなジャングルジムの上から、惺が軽々とジャンプしてぬかるんだ地面にぐしゃりと降り立った。<br />「うわぁ。あ~あ、お気に入りのパンツに泥がハネちゃったよ」<br /> どこまでも呑気な様子の惺を、外岡さんがぎろりと睨みつけた。<br />「いま、氷川って言わなかったか?」<br />「そ。俺、氷川有の弟。で、薄汚い鬼さん、お名前は?」<br /> 惺が面白そうに挑発的な言葉を使うから、あたしたちはヒヤヒヤしながら見ていた。<br />「俺か?お前の言う通り、薄汚い鬼だよ。だけど、なんで氷川有の弟が、ココにいるんだ?」<br /> 惺は外岡さんの眼の前まで悠々と歩いて行って、頭一つ分高いところから言った。<br />「俺?ああ、テレパシーで呼ばれたんだ、そこのふたりに」<br />「っざけんじゃねぇ!」<br /> いつもと変わらない飄々とした惺の態度に、とうとう外岡さんがキレて叫んだ。下からネメつけるように怒りに燃えて見上げる外岡さんに、早乙女君とあたしは思わず手を握り合った。<br />「まぁまぁ、そんな大人げなく叫ばなくても…」<br /> 相変わらず人を喰ったような態度の惺に、とうとう外岡さんは拳を握った。それを楽しそうに認めて、惺はひょいと一歩後ろに引いた。<br />「お前から、ヤッテやろうか?」<br />「え~、俺、平和主義者なんだけど。暴力反対」<br /> 惺はおどけたように言いながら、さらに外岡さんから距離を取る。<br />「だからっ、ざけんな!」<br /> ますますいきり立った外岡さんが惺に近づくと、惺はまたひょいと絶妙な距離を取って逃げる。<br /> また、それを追いかける外岡さん。<br />「あはは、オジサンも鬼ごっこ好きなの?」<br />「バ、バカやろうっ!」<br /> 完全に激昂した外岡さんが惺を追いかけるのに、惺はまるで本当に鬼ごっこしているかのように身軽に逃げる。<br /> 早乙女君とあたしは、その不思議な光景をぽかんとして見ていた。<br />「あの…早乙女君。惺、何やってんの?」<br />「え…お、鬼ごっこ?」<br /> いやいやいやいや、そうじゃないだろ。<br /> なに考えてんだ、あのIQ140越えは。<br /><br /> そのうちに泥濘(ぬかるみ)に足を取られた惺が、転んだ!<br />「あ!」<br /> その好機を、外岡さんが見逃すはずもなかった。<br /> 外岡さんは転んだ惺の胸ぐらを掴むと、いきなり拳で殴りつけた。<br />「きゃぁー!」<br /> 早乙女君が、悲痛な声で叫んだ。<br />「せ、惺…」<br /> 掠れた声でそう名前を呼んで、惺に駆け寄ろうとしたそのとき。<br />「はい、鬼さん。傷害の現行犯ね」<br /> 血が滲んだ口の端を惺が右手の甲で拭いながら、そう言った。<br />「え?」<br /> 外岡さんがそう言った瞬間、走って来たふたりのお巡りさんが彼の腕を両側から掴んだ。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br />「い、いてっ」<br />「あ、ご、ごめんね、氷川君」<br /> 惺の切れた口元を、早乙女君が甲斐甲斐しく消毒薬で拭いている。<br />「まったく、余計なことに首を突っ込むからよ。ほら、その濡れた頭、ちゃんと拭きなさい」<br /> 惺のお母さんが呆れ顔でそう言って、シャワーを浴びたばかりでまだ髪が濡れている息子に新しいバスタオルを手渡した。<br /><br /> 殴られて、ちょっと大げさ(?)なくらいに泥濘の中に倒れた惺は、泥だらけだった。警察で事情を聴かれた後、泥まみれの惺を、早乙女君とあたしは家まで送ってきた。<br /><br /> 玄関で出迎えた惺のお母さんの驚いた顔を思い出して、あたしは何度目かの謝罪を口にした。<br />「スミマセン」<br /> 余計な事態を招いた張本人であるあたしは、申し訳なさ過ぎて身の置き場がない。<br />「まあ、なにを言っているの?沢口さんはむしろ被害者じゃないの。一番責任があるのは、ウチの有だわ」<br /> 本当にごめんなさいと、これももう何度目になるか、再び頭を深々と下げられて、あたしは恐縮した。<br />「そ、そんな。頭を上げてください。有さんだって悪くないです」<br />「…沢口さん。本当に優しいのね」<br /> お母さんがまた申し訳なさそうに眉を寄せて、あたしを優しい眼で見た。<br />「にしても、惺!いくらふたりを助けようと思ったからって、あなたが立ち向かえる相手じゃないでしょっ。相手は極真空手の有段者だったっていうじゃない」<br /> 惺のお母さんからは、呆れながらも心配する親心がひしひしと伝わってくる。当然だろう。<br />「時間稼ぎだよ、時間稼ぎ。110番したけど、お巡りさんが来るまで時間かかったしさ。それに俺が殴られなかったら、現行犯逮捕はできなかったろ?あんなヤツ、野放しにしたら後がいっそう厄介だ」<br />「だからって…」<br /> 言いたいことが山ほどあるのは、母親だから当然だろう。でも惺のお母さんは、それ以上お小言を言うのを止めて、いろいろ考えて機転を利かせた息子を少し困ったような眼で見た。<br />「でも、氷川君。氷川君が挑発的なことばっかり言うから、僕と沢口さんはヒヤヒヤしっぱなしだったんだけど」<br />「ああ。だってさ、あのおじさん、カッとなるタイプに見えたからさ。俺に意識を集中させれば、菜っ葉や乙女に危害を加える確率が減るだろ?」<br /> 惺ったら、あの状況で、よくそんな冷静に考えられたな。しかもその通りで、激昂した外岡さんは、途中から惺しか眼に入らなくなった。<br />「さすが、氷川君だねっ♡ やっぱり僕の氷川君は、最高だっ♡♡」<br />「お、乙女、わかった。わかったから、抱きつくなっ!」<br /><br /><br /> そのとき、玄関の方から慌てたような足音がして…。<br />「惺、菜乃果っ」<br /> 有さんが、リビングに入って来た。<br />「まあ、やっと来たわ。もう、有ったら…」<br /> お母さんがそう言って、有さんの方に近づくより早く、惺がすくっと立ち上がって有さんの眼の前に立った。<br />「なにやってんだよっ! 兄貴っ!」<br /> 惺らしくない、怒りのこもった直情的な態度に、有さんの表情も変わる。<br />「…惺」<br />「バカ野郎!兄貴っ。菜っ葉が、とんでもない目に合うとこだったんだぞっ」<br /> 惺の肩が、怒りに震えている。こんな惺を見るのは初めてだった。<br />「…申し訳なかった」<br /> 有さんは真摯に、怒りを露わにしている弟に頭を下げた。<br />「謝る相手は、俺じゃないだろっ。いいか、兄貴。菜っ葉を守れないくらいなら、いますぐ菜っ葉とつき合うのを止めてくれ!」<br /> 惺…。早乙女君が息を飲んで、惺と有さん、あたしの顔を代わる代わる見る。<br />「…惺、本当に悪かった」<br /> 有さんは、まだあたしの顔を見てくれない。いや、見られないのかもしれないと思った。<br />「菜っ葉と、菜っ葉とこれからもつきあう気なら、菜っ葉を危険な目に合わせるすべての障害を全部取り除いてからにしろよっ。そうでなきゃ、俺…俺…」<br /> 両手の拳を強く握りしめた惺を見て、あたしは惺は有さんを殴るのではないかと思ってギョッとした。<br />「ダメ、惺」<br /> 惺の傍に駆け寄ろうとしたあたしを、初めて有さんが見る。なんとも言えない、切なそうな眼だった。<br />「兄貴、約束しろ!二度と菜っ葉を危険な目に合わせないって。悲しませないって、泣かせないって。そうでなきゃ、俺、兄貴が菜っ葉とつき合うことを認めないっ!」<br />「惺…。約束するよ」<br />「本当だな?」<br />「ああ。これから、それをちゃんと証明するから」<br /> 惺が、握りしめてた拳から力を抜いたのがわかった。<br />「兄貴、指切り」<br />「え?」<br />「俺とじゃなく、菜っ葉と」<br /> そう言うと、惺はあたしの方に近づいて背中を押してくれた。有さんの方へ、愛しくて愛しくて堪らないひとの方へ。<br />「菜乃果…」<br />「有さん…」<br />「約束する。もう決して危険な目には合わせない、悲しませない。だから…」<br /> 有さんが差し出した小指に、あたしはそっと自分の小指を絡めた。ひんやりとしたいつもの手を、触れたくて触れたくてたまらなかった手を感じた瞬間、涙がぼわっと出た。<br />「菜乃果…」<br /> 有さんが、そっと背中に手を回して引き寄せてくれた。<br /> だけど…どうして、もう泣かせないって言わないの? 有さん。</span></span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
  • Date : 2015-05-17 (Sun)
  • Category : アイス
495

➃豪 雨

  梅雨の季節になった。 連日のように、不機嫌そうな濃い灰色の空から滝のように注がれる雨が、校舎の窓ガラスを濡らしている。 ゲリラ豪雨のニュースを訊いたのは、昨日の朝だっただろうか。日本中が異常なことになっているような気がして、あたしは雨脚が強くなった空を見上げた。 ダンスサークルの練習がない木曜日、夕方になると雨は嘘のように上がった。 近藤君と仲良く一緒に帰る知花ちゃんを見送って、あたしは早乙女... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"> <br /> 梅雨の季節になった。</span></span><span style="font-size: medium; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br /> 連日のように、不機嫌そうな濃い灰色の空から滝のように注がれる雨が、校舎の窓ガラスを濡らしている。<br /> ゲリラ豪雨のニュースを訊いたのは、昨日の朝だっただろうか。日本中が異常なことになっているような気がして、あたしは雨脚が強くなった空を見上げた。<br /> ダンスサークルの練習がない木曜日、夕方になると雨は嘘のように上がった。<br /> 近藤君と仲良く一緒に帰る知花ちゃんを見送って、あたしは早乙女君と一緒に校門を出た。<br /> <br />「沢口菜乃果さ~ん」<br /> 校門から数歩出たところで名前を呼ばれて、声のする方を見たあたしは、いま一番会いたくない人の姿を認めた。<br /> 外岡さん…どうして、こんなところにいるの?<br />「誰?」<br /> 荒んだような眼つきの顔色が悪い見知らぬ男の人の姿に、早乙女君が小さな声で訊いた。<br />「うん…ちょっと」<br /> ちょっとどういう関係か、説明がしにくい。そもそも無関係でありたいくらいだ。でもその一方で、どうしても確かめなければいけないことがあるような気もする。<br /> 外岡さんは、気弱そうにあたしの隣に立っている早乙女君に、嫌な一瞥を与えると言った。<br />「やっと会えたぜ、さ・わ・ぐ・ち・な・の・か・さぁ~ん」<br /> やっと会えた? もしかして、何回も校門の前で待ち伏せしていたんだろうか…。いっそう気味悪さがまして鳥肌が立ったあたしを、早乙女君が心配そうに見る。<br />「沢口さん、大丈夫?」<br /> うん、と頷いたあたしは青ざめていたんだと思う。<br /> 精一杯頑張ってあたしを庇うようにしてくれた早乙女君を、歯牙にもかけない様子で外岡さんは言った。<br />「おい、そこの生っちろいの。俺は、この、お嬢ちゃんと、話があるんだ、よ」<br /> 低い、有無を言わさぬ声に、早乙女君が一瞬たじろぐ気配がした。大丈夫だよ、早乙女君、たぶん。<br />「沢口さん…」<br /> 早乙女君が縋るような眼であたしを見るから、しっかりしなくちゃと思って無理やり笑顔を貼りつける。<br />「大丈夫、有さんと…それから祥子さんとも知り合いの方だから」<br />「そう…なの?」<br /> 外岡さんは、ニヤと下卑た笑みを浮かべて、勝ち誇ったように早乙女君に言った。<br />「ふん。あんたには、関係ないことだよ」<br /> そしてついて来いと言わんばかりに、あたしに顎をしゃくって道を促した。<br />「沢口さん…」<br /> まだ不安そうに呼ぶ早乙女くんに、あたしは精一杯の笑顔で頷くと、外岡さんの背中について行った。<br /><br /><br /> 駅とは逆方向に歩くと、小さな児童公園がある。<br /> 雨は上がったけれど、公園はまだだいぶぬかるんでいて、遊んでいる子供たちの姿はない。誰かが忘れて行ったのか、泥に汚れた野球のボールが1つ転がっていた。<br /><br /> 公園のトイレの少し前で、唐突に外岡さんが立ち止まって振り向いた。<br />「あんた、やっぱり氷川有の、新しい女、なんだってな」<br /> 新しい女という言葉を強調するみたいに言って、外岡さんは鼻で笑った。<br />「祥子の話じゃ、アイツ、だいぶご執心らしいじゃないか、あんたに」<br /> なにか言わなければと思ったけれど、なにを言っていいかわからない。外岡さんから眼を逸らさないでいるだけで必死のあたしを、見透かすように彼はまたふんと笑った。<br />「可愛がってもらってるのかよ?」<br /> 外岡さんは舐めるように見ながら、あたしの周りを歩く。なんだかぞっとして、身動きができない。<br />「どんな風に?アイツは女をどんな風に可愛がるのか、教えてくれよ」<br /> そう言うと、外岡さんはあたしの耳にいきなりふっと息を吹きかけた。<br /> ぎょっとして外岡さんの顔を見ると、思いの外その距離が近くて、さらに緊張で身体が強張った。<br /><br /> それを楽しそうに認めて、外岡さんはさらに続ける。<br />「自分の大事な女を攫(さら)われる気分がどんなものか、アイツにも教えてやりたいよ。なぁ、お嬢ちゃん?」<br /> 大事な女?攫われる?<br /> それは有さんが、外岡さんの大事なひとを奪ったってこと?<br />「今度はアイツから、俺が手中の珠を奪ってやったら、アイツはどうすると思う?」<br /> 外岡さんの指が腕に触れて、あたしは思わず一歩距離を取った。その行動が、外岡さんをさらに面白がらせたようだ。彼はちょっと異常な高笑いを続けて、それから打って変わって憎しみのこもった表情であたしを見た。<br />「俺と、セックスをしようぜ。そこで」<br /> 外岡さんの視線が示すのは、公園の汚いトイレだった。<br /> 込み上げてくる恐怖と吐き気に、あたしは身震いした。<br /> 嫌だ、絶対に嫌だ。有さん以外のオトコの人に触られるなんて。指一本でも耐えられない。まして、こんな人に!<br /> あたしは精一杯の勇気を振り絞って、キッと外岡さんを睨みつけた。<br />「そんな顔して見せたって、逆にそそられるだけだよ。わかってねぇな、お嬢ちゃんは。どうやら、お嬢ちゃんにも男って生きものがどういうものか、この機会に教えておいた方が良さそうだ」<br /> 外岡さんが、あたしの腕を掴んだ。<br /> 思わず身を捩るけど、その力には敵わなくて、ずるずると公衆トイレの方へ引きずられる。泥濘(ぬかるみ)に足を取られて転びそうになったときだった。<br /><br /><br />「沢口さんを、放せっ!」<br /> 早乙女君が雨傘を構えて、いつの間にか傍らに立っていた。<br />「なんだよ、お前。弱っちいくせに」<br /> 外岡さんが言う通り、雨傘を手に震えながら及び腰の早乙女君は、どう贔屓目に見ても頼もしいヒーローには見えない。<br /> でもその姿を見て、逆にあたしは早乙女君を守らなければと思った。<br /> だから、渾身の力で外岡さんの手を振り払うと言った。<br />「触らないでっ!早乙女君にも、あたしにも!」<br /> だけど外岡さんは少しも動じることなく、早乙女君の方へにじり寄った。<br />「ふん。お前、このお嬢ちゃんが俺にヤラれるところを、ぶっ倒れたまま見るか?それを氷川有に、事細かに説明してやってくれよ」<br /> 早乙女君が口を焦ってパクパクさせながら構え直した雨傘を、外岡さんがあっさりと片手で掴んだ。<br />「ナメんじゃねぇよ。俺はこう見えても、極真やってたんだっ」<br /> その言葉通り、早乙女君よりはるかにガタイのいい外岡さんは、掴んだ雨傘を瞬時に奪い取った。それからブン、と風を切る音をさせて、今度は雨傘を構えた外岡さんが早乙女に近づく。<br /> あっという間に形勢が逆転した早乙女君の顔色は真っ青で、足がはっきりわかるほど震えていた。<br /> だからあたしは早乙女君の前へ走って、彼を背にすると外岡さんに面と向かって両手を広げた。<br />「早乙女君に、酷いことしないでください」<br />「どけよ、お嬢ちゃん」<br />「どきません」<br /> 外岡さんは雨傘を放り投げると、今度は拳を構えた。<br />「おう、威勢の良かった兄ちゃん。情けねぇなぁ、女の後ろに隠れて。出て来いよ」<br /> 早乙女君が震えながらもあたしの後ろから出ようとするのを押し戻すようにして、あたしは叫んだ。<br />「情けないのは、そっちじゃない!あんたなんかに有さんも、早乙女君も、あたしも負けないっ」<br /> 有さんと言った途端に、外岡さんの表情がさらに険しくなった。<br />「いい度胸じゃねぇか。だけど、俺をナメるな。まず、そっちの邪魔な兄ちゃんを片づけてから、たっぷり可愛がってやるよ。氷川有の、大事な女を」<br /> 卑屈な、でも余裕の笑みを浮かべて外岡さんが近づいてくる。<br /> あたしは早乙女君を背中に隠しながら、泥濘(ぬかるみ)の中を後ずさりした。<br /> いつしか梅雨空はまた細かい雨を降らしはじめていたけれど、あたしの心の中には怒りという激しい雨が轟々(ごうごう)と音を立てて降っていた。<br /></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
  • Date : 2015-05-16 (Sat)
  • Category : アイス
494

いつか王路さまが〈五〉

「ウルフ、お誕生日おめでとう」「うん、ありがとう、ユイ」 ウルフは、「いいのか?」とはもう問わなかった。 ウルフに唯一(つがい)になってと言われたあの日から、あたしたちは答えを確かめるように生活してきたから。1日1日大切に、そしてその日の終わりは屋根裏部屋で寄り添って迎えた。明日が、また同じように来ることを信じて。ふたりの気持ちが今日と少しも変わっていないことを信じて。そしてもっともっと、通じ合える... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br />「ウルフ、お誕生日おめでとう」<br />「うん、ありがとう、ユイ」<br /> ウルフは、「いいのか?」とはもう問わなかった。<br /> ウルフに唯一(つがい)になってと言われたあの日から、あたしたちは答えを確かめるように生活してきたから。1日1日大切に、そしてその日の終わりは屋根裏部屋で寄り添って迎えた。<br />明日が、また同じように来ることを信じて。ふたりの気持ちが今日と少しも変わっていないことを信じて。そしてもっともっと、通じ合えることを確信して。<br /> <br />「…ユイ」<br />「…ウルフ」<br /> 繋がろう、もっと深く、もっと強く。決して離れないように、一つになろう。確かめよう、ふたりが唯一(つがい)であることを。<br /><br /> 屋根裏部屋の天窓から、銀色の満月が見える。星のない夜だった。<br /> その月と同じように銀色に輝くウルフの髪が、ふわりとあたしの頬にかかる。次に優しい口づけが落ちてきて、ああ、人間の姿のウルフとキスするのは初めてだなぁなんて思う。<br /> あたしの初めては、もちろんそれだけではない訳で。でも7回も生まれ変わったウルフは、きっと初めてではない気がするんだけれども…。ウルフの初めてって誰だったんだろう?訊いたら教えてくれるのかな?<br /> 緊張から、ズレたことを考えてしまうあたしに、ウルフは甘く囁いた。<br />「ユイ、可愛い。俺の唯一(つがい)」<br /> ウルフの首にぎゅぅ、としがみつく。ごめん、苦しいよね?でも…。<br /> ふふ、ウルフは余裕で笑うと、そっとあたしの両手をその首から外した。<br />「大丈夫、怖くないから」<br /> 人間の姿のウルフに、あたしの大好きな肉球はないはずなのに、あたしをさわさわと撫でる指が甘く切なく心地いい。<br /> それから人の姿になっても長い舌が、ぴやりとあたしの首筋を舐め上げて、あたしは思わず喉を反らして声を漏らす。<br />「や…ぁん」<br /> その声を嬉しそうに受け止めて、ウルフの舌はさらにあたしの躰の上で悪戯をする。<br /> ああ、あたし、耳が弱いんだ。耳の輪郭から耳朶まで、温かな舌に愛撫されて、そんなことも初めて知る。<br /> うなじをウルフの長い指がつつっと撫で降りて、鎖骨にかりりと歯を立てられる。様々な刺激に翻弄されていると、今度は深いキスが「俺を感じて」とばかりに意識を鷲掴みにする。<br /> ああ、ウルフ、こんなにも愛おしいなんて。自分以外のひとを想うことが、こんなにも苦しいなんて。<br />「ユイ、俺のユイ。俺だけの唯一(つがい)」<br /> そう言われて眼を開けたら、ウルフの熱のこもった切なそうな瞳に捕まった。<br />「ウルフ、そんな眼をしないで」<br />「俺、どんな眼をしている?」<br />「…きっと、あたしとおんなじ眼」<br />「…わかった」<br /> ウルフが、あたしのささやかな2つの膨らみを両手で包む。壊れものを扱うみたいに優しく揺らすから、嬉しくて涙が滲む。それからウルフは、さらに優しくその2つの頂点に甘い刺激を与える、舌で指先で、何度も交互にあやすように。<br />「痛くない?」<br /> 痛くなんかない、気持ちいい。<br /> 眉をきゅっと寄せて、快感に涙ぐみながら、あたしは頭(かぶり)を振る。<br /> そして、なんだかわかってしまった。ウルフもきっと同じことをして欲しいんじゃないかって。<br /> だから、あたしはそっとウルフの耳朶を噛む。<br /> ちょっとウルフが驚いたような表情をしたから、あたしは自分の積極さに顔が火照る。<br />「ウルフも…してほしくない?同じこと…」<br />「ユイ…わかるの?」<br />「うん、たぶん…唯一(つがい)だから?」<br />「…っユイ!」<br /> 心のままに、感じるままに、あたしたちは舐め合い、愛撫し合い、愛おしさを伝え合う。指で、舌で、眼で、表情で、全てで。<br />「ユイ、いい?」<br /> 心も躰も、もうとろとろに溶けあって、ウルフがあたしなのか、あたしがウルフなのかわからなくなった頃、あたしたちは本当の意味で一つになった。<br /> 痛みも幸福も、仲良くわけ合って。<br />「ユイ。ユイが痛いと、俺はここが痛い」<br /> ウルフは筋肉で綺麗におおわれた彫刻のような胸を、長い人差し指で叩いて言った。<br /> あたしの初めては、あたしたちの初めては、とてもとても感動的で神聖だった。<br /> こんなにも満たされて、こんなにも泣きたくなる行為があるなんて知らなかった。<br />「ウルフ…」<br />「ユイ…」<br /> 銀色の月と、それと同じくらい美しいウルフの銀髪に誓って言う。<br /> この夜、この瞬間あたしは、もう死んでもいいと思うくらい幸福だった。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> それから、数週間が経って。<br /> ウルフは物思いに沈むようになった。<br /> 本人は隠しているつもりだけど、やっぱりわかってしまう。<br /> とくに月の美しい夜は、夜中に目が覚めるとベッドにウルフの姿がない。<br /> ああ、またきっと屋根裏部屋に行っているんだ。<br /><br /> ねぇ、ウルフ、どうしたの?<br /> 後悔してるの? あたしと唯一(つがい)になったこと。<br /> あたしの隣で眠るより、独り屋根裏部屋で眠る方が安心するの?<br /> 教えて、どうして何も言ってくれないの?<br /><br /> <br /> 気持ちのいい朝だった。<br /> いつものように犬型のウルフと朝の散歩へ出掛けた。<br /> ウルフはいつの間にかまたひと回り大きくなって、犬型でもあたしより大きい。田舎だから、早朝出会う人は少ないけれど、たまに会う人がちょっと怯えてヒクくらい、いまのウルフは大きい。<br /> 爽やかな大気を深呼吸したせいだろうか、朝食のテーブルについたウルフはいつもより明るい笑顔だった。<br /> 香りのいいコーヒーを飲んで、こんがり焼けたトーストを食べ、フルーツみたいに甘いトマトともぎたてのきゅうりを使ったサラダ、2軒先のおばあちゃんがくれた生みたて卵のオムレツを食べる。<br /> ウルフもあたしも、今朝はなんだかお腹が空いて食欲旺盛だ。<br />「ふぅ、旨かった。ご馳走さん」<br /> 機嫌のいいウルフの声に、あたしは少し迷ったけれど、思い切って訊いた。<br />「ねぇ、ウルフ。なにか、あたしに隠してることない?」<br /> ウルフは一瞬だけ、驚いた表情になったけれど、やがて静かな微笑みを浮かべて言った。<br />「やっぱり、唯一(つがい)にはかなわないなぁ」<br /> あたしはあたたかいコーヒーを、もう一杯ずつ入れてウルフの前に座った。<br />「なにを訊いても、驚かないよ」<br /> <br /> <br /> あたしたちが一つになって何日か目の深夜、ウルフは何かに呼ばれる気がして、独りで屋根裏部屋に行ったのだそうだ。<br /> そうして、見えてしまった。自分の本当の姿、本来の居場所。<br /><br />「ユイ、俺は犬じゃなくて、コーダという生きものらしい」<br />「コーダ?」<br /> 訊いたことのない名前に、あたしは怪訝な面持ちで首を傾げる。<br />「うん、コーダは犬でも狼でもない。独自の文化と生息地を持つ。コーダの森と言うところで、群れをなして生活しているんだ」<br />「コーダの森?それは、ウルフと最初に出会ったあの、こんもりとした森のこと?」<br /> ウルフがゆるっと首を振って、綺麗な銀髪がさららと揺れた。それがとてもセクシーで美しいと、あたしはまた場違いなことを思った。<br />「コーダの森は別世界にある。そこが俺を呼んでいる」<br />「呼んでいる?」<br />「うん。月の美しい夜、屋根裏部屋に行くと、声のようなテレパシーの音のようなものが聞こえるんだ」<br /> それは、ウルフだけを呼んでいるの?唯一(つがい)であっても、あたしは呼ばれないの?<br /><br />「それに、俺はコーダの中でも突然変異した種類らしい」<br /> 初めて訊くことばかりで、あたしは混乱しはじめていた。<br /> 突然変異って、なに?<br />「コーダの中でも、人間の言葉を話すヤツや、俺みたいに人間の姿と獣の姿を行き来するヤツがいるらしい。そして、そんな突然変異した異質なコーダは、コーダの森では受け入れられないみたいなんだ」<br />「呼ばれているのに、受け入れられないの?」<br /> あたしの不安は、増すばかりだ。<br />「そんな異質なコーダ達が目指す、ユートピアがあるらしい。俺を呼んでいるのは、どうやらそこに棲む誰かだ」<br />「誰かって、誰?」<br /> ウルフは、すぅと眼を細めて、空を凝視する。<br />「ダメだ、まだ、見えない」<br /><br />「…ウルフ」<br /> あたしはますます不安になって、ウルフの手を握った。<br /> そんなあたしを、ウルフははっとしたように見る。<br />「ごめん、こんな突拍子もない話をして。でも、ずぅっと呼ばれていて、それが誰かものすごく気になって、ユイにいつ、どうやって話そうかとずっと悩んでいたんだ」<br />「話してくれて…ありがとう」<br />「…ユイ」<br /> そうだ、ウルフが独りで思い悩んでいるより、話してくれる方がずっといい。だってあたしは、彼の唯一(つがい)なのだ。それも何度生まれ変わっても、永遠の。それを信じなくて、なにが唯一(つがい)だ。<br />「ユイ、俺、いや俺たち行かなくてはいけない気がするんだ」<br /> …その、ユートピアに?どうやって?<br />「ユイ、一緒に行ってくれるか?」<br />「あたしたちはいつだって、どんなことがあったって、一緒だよ。でも、本当に行かなくちゃいけないの?」<br />「うん、たぶん」<br /> それなら、行こう。ウルフが行くしかないなら、一緒に行くだけだ。<br />「いいよ」<br /> さらりと、まるで近所へ散歩にでも行くみたいに気軽に答えたあたしに、ウルフがまた驚いたように(はしばみ)榛色の眼を見開いた。<br /> 可笑しい、ウルフ。なんで驚くの?<br /> いつだってどこでだって、あたしたちは一緒だって、もう運命の神様が決めたんだよ?あたしに不安は、もうこれっぽちもなかった。<br /><br /> それからあたしは、本当に久しぶりに実家へ帰った。父と母、弟に「ちょっと外国へ、旅行へ行くつもり」と伝えるために。<br /> どこかわからない別世界だから、外国でも間違いではないだろう。たぶん永遠に消えてしまうことは…ごめんね。<br /> そしてお世話になっている編集部に、「少し充電期間を取りたいんです」と言って最後の原稿を手渡ししてきた。<br /> たいした作家でもないのに、充電期間なんて生意気だと我ながら思うけど、それもすんなり受け入れられた。<br /> それだけだった、あたしのこの世界での最後にするべきこと。なんてシンプル。<br /><br /><br />「ユイ、俺たちが目指すユートピアでは、この世界の7倍の寿命があるらしい」<br /> ウルフには、少しずついろんなものが見えはじめているようだ。<br /> 7倍長い人生か…それがいいことなのか悪いことなのか、いまはまだわからない。<br /> ただ、わかることは、ウルフさえいればなにも怖くないということ、それ以外は何も求めない。なんてシンプル、なんて心地いい。<br /><br /><br /> 星のない夜、銀色の美しい月が、屋根裏部屋の天窓から見える。<br /> あたしたちは、心静かにそのときを待った。<br /> 夜空が急に明るくなって、銀の月が細かな光に砕けた。砕けた光は、まるで銀の雨のように天窓の硝子をやすやすと通り抜けて、ウルフとあたしの上に降ってくる。<br /> 身体が急に軽くなって、ウルフとあたしは銀色の雨に包まれた。そして、雨とともに静かに消えた。この世界から、この世のすべての関わりから、永遠に。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> バカみたいな値段で売られている海辺の街の古い家を、独りの女性が買った。<br /> 彼女はフリーのプログラマーで、コンピュータとネット環境があれば、どこでだって仕事ができる。<br /> 3年つきあった恋人がいたけど、親友に寝取られた。親友は妊娠していて、彼らは結婚するそうだ。<br /> 誰にも会いたくなかった。<br /> 心配してくれる両親や家族、慰めてくれる友人、仕事を前より回してくれるようになった仕事仲間、全てが煩わしくて逃げてきた。この海辺の小さな街へ。<br /> 彼女の日課は、早朝の散歩だ。<br /> ある朝、前々から気になっていたこんもりした森まで、彼女は足をのばしてみた。<br /><br /> きゅぅ~い、きゅあん、きゅぃ?<br /><br />「なに、仔犬?」<br /> その可愛らしい声の主はすぐに姿を現した。<br /> 小さな小さな黒い毛の塊(かたまり)。仔犬にしては、ちょっと鼻が尖っていて、つり眼気味なのもかえって可愛い。<br />「やだ、お前。ちょっと、狼の仔みたいだね」<br /> しゃがんで頭を撫でる彼女の足に、黒いもふもふの塊がくぅ、とすり寄った。<br /> 彼女の心に、忘れかけていた温かさがほんわりと灯った。だから彼女は、その小さな黒い塊を抱き上げて頬ずりしながら言った。<br />「可愛い…。ねえ、お前、あたしと一緒に来る?」<br /><br /><br />〈了〉</span></span><br /><br /><span style="color:#00CC99"><br />最後に唐突に、コーダってなんやの?<br />…て思いますよね。(*´Д`)<br />でもこの「コーダの森」の物語は、いつか長編で<br />お届けできたらいいな、て思ってます。(*´ω`*)<br />最後までお読みいただきありがとうございました。<br /></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br />
493

③心を裏切る躰

この記事を閲覧するにはパスワードが必要です<br /> ⇒<a href="http://otonaasabi.blog.fc2.com/blog-entry-493.html?entrypass">パスワード入力</a><br />
  • Date : 2015-05-14 (Thu)
  • Category : アイス
492

いつか王路さまが〈四〉

 理不尽なことがあっても、辛いことがあっても、楽しいことや可笑しいことがあっても、構わずウルフはどんどん成長していく。 もう彼は、あたしと同い年くらいに見える。身長はあっという間にあたしを超えてしまったし、身体も逞しく大人になって来た。 しばらくすると、ウルフはもう一緒にお風呂に入ろうとはしなくなった。 眠るのも別々だ。相変わらず屋根裏部屋でいろいろな話を聞かせてくれるけど、それが一段落するとウル... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br /> 理不尽なことがあっても、辛いことがあっても、楽しいことや可笑しいことがあっても、構わずウルフはどんどん成長していく。<br /> もう彼は、あたしと同い年くらいに見える。身長はあっという間にあたしを超えてしまったし、身体も逞しく大人になって来た。<br /><br /> しばらくすると、ウルフはもう一緒にお風呂に入ろうとはしなくなった。<br /> 眠るのも別々だ。相変わらず屋根裏部屋でいろいろな話を聞かせてくれるけど、それが一段落するとウルフは言うのだ。<br />「じゃあ、ユイ。お休み、また明日ね」<br /> ウルフの榛色の眼は、もう無邪気な少年のそれではなく、青年から成年へと変化するデリケートな戸惑いを湛えている。<br /> 独りで階下に降りて眠るのは淋しかったけれど、ウルフが居る屋根裏部屋を見上げながら、あたしは再び一人でベッドに入る生活になった。<br /><br /><br /> そして連載打ち切りになったペット雑誌の仕事の代わりに、あたしは新しい童話の企画を懇意にしている編集者に持ち込んだ。<br />「うん、なかなかいいよ。なんだか、いままでと違う感じだね。心境の変化でもあった、のかな?」<br /> ウルフのお蔭だと思った。ウルフがあの屋根裏部屋で聞かせてくれた、たくさんの物語。わくわくドキドキさせられたり、ときにはきゅんと切なくなったり、可笑しくて笑い転げたり、ふんわり幸せな気分をもらったりした数々のお話は、あたしの中に蓄積されて熟成して、いま芳醇な香りを放ちはじめている。<br /> 無数のキャラクターたちが次々と生まれてきては、自由気ままに動き出し、早く自分たちに冒険をさせろ、恋をさせろ、夢を見させろと急かすのだ。<br />久しぶりに、書きたいと魂が叫んでいる。書かないと溢れて洪水を起こしてしまいそうな創作意欲に、あたしは寝食を忘れて書き続けた。<br /><br /><br />そして、ウルフは2度目の誕生日を迎えた。<br />「ユイ。俺、19歳になったよ」<br /> すっかりあたしより大人びた容貌になってしまったウルフは、もう男の子ではなくオトコに見える。<br /> 彫りの深いセクシーな顔立ちに、榛色の眼に愁いの影をつくる長い睫毛、銀色の髪はゆるい天然のウェーブを描いて肩先で風に揺れている。逞しさの中に見え隠れする、シャイな危うさ。10代の名残を惜しむような不安定な魅力は、胸の奥を何故だか苦しくさせる。<br /> 思わず見惚れて、どきどきしていると、ウルフは照れくさそうに嬉しそうに笑う。その洗いざらしのシャツみたいな、清潔な笑顔まで眩しい。<br /><br /><br /> 19歳になったウルフが、これまでと変わったこと。<br /> それは人間の姿でいるほうが長くなったことだ。<br /> ウルフは農園育ちだった前世を生かし、小さな庭で野菜を育てはじめた。それから海辺に行っては、魚を釣ってくる。まあ、漁師だったこともバイキングだったこともあるわけだし。<br /> それから、この近辺は高齢者が多い。近所のおばあちゃんの買い物を手伝って重いものを持ってあげたり、おじいちゃんにつき添って役所や郵便局で手続きをしてあげたりして、可愛がられるようになった。孫のように可愛がる近所の方々から、しょっちゅう煮物や常備菜、おしんこなんかを貰って帰ってくる。<br /> だからウチの食卓には、ウルフが育てた野菜料理や釣ってきた魚料理、おばあちゃん達の味が並んで、温かさとほっこりしたおいしさに包まれるようになった。<br /> 突然出現した銀髪ハーフの青年ウルフは、ご近所の方々の間で「ユイの異母兄妹」ということになっているらしい。<br /> <br /> 姉弟と言っておいた方がいいのではないかという杞憂は、あっという間に杞憂でしかなくなり、ウルフは明らかにあたしよりも年上に見えるようになった。<br /> もう身長だけでなく、考え方も落ち着きも、表情も、あたしより年上だと認めざるをえない。<br />「ユイ」<br /> ウルフ19歳の誕生日から、さらに半年ほどたった頃、真剣な顔で彼があたしの名前を呼んだ。<br />「なに?ウルフ」<br />「俺は、あと半年くらいで26歳になる」<br />「うん」<br /> あたしは24歳になるから、もう年齢でもウルフはあたしより大人になるのだ。<br />「ユイ、お願いがある。訊いてくれる?」<br />「なに?」<br />「俺の、唯一(つがい)になって」<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /> <br /> ウルフは言った。<br /> もしもあたしが彼の唯一(つがい)になったら、それからは人間と同じように年を取るようになるのだと。<br /> 1年に1歳ずつ、もう10年しか生きられない大型犬ではなく、人間と同じ寿命を手に入れる。<br />「考えてみてくれる?ユイ、俺に新しい人生をくれないか?」<br />「そうしたら、もうウルフは完全に人間になってしまうの?」<br /> あの銀色のもふもふが、もう完全に見られなくなってしまうのはとても淋しい。<br /><br /> 抱きしめているだけで安心するあのふわふわとした感触、顔を埋めて深呼吸すると微かな獣くささに胸がきゅんとなる。ピンと立った両耳から、ちょっとつんと尖った鼻筋までを撫でると、ウルフは決まって気持ちよさそうに眼を細める。<br /> 温かい舌で舐められると、嫌なことも辛いことも全部帳消しになる。ぷにぷにとした肉球は赤ちゃんのほっぺみたいで触っていると幸せな気分になるのに、その間からときどきびっくりするほど鋭い爪が覗いたりして、そのコントラストに笑ってしまうのに。<br /> 夜はもう別々だけど、あたしは忘れてなんかいないよ。ウルフのリアルファーは、どんな高級な羽毛布団より心地いいってことを。世界で唯一の、あたしの絶対的な抱き枕だったウルフ。あのウルフは、永久に消えてしまうの?<br /><br />「消えない、たぶん」<br />「ホント?」<br /><br />「うん。それに、俺の旅も終わる」<br />「旅?」<br />「うん。永遠の唯一(つがい)を求めて、7回も生まれ変わった俺の流浪の旅」<br />「もう、生まれ変わることはないの?」<br />「生まれ変わっても、おそらく前世の記憶はなくなる」<br /> そう…なんだ。<br />「そして生まれ変わっても、俺たちはまた唯一(つがい)として出会う」<br /><br /> それなら。<br /> 何を迷うことがあるだろう。10年しか生きられない、あと7年位しか一緒にいられないなんて耐えられない。ウルフとずっと一緒にいたい、この命が続く限り。ううん、何度生まれ変わっても。ウルフのいない人生なんて、もう何の価値もないものに思えた。<br /><br />「ユイ、俺の3度目の誕生日に答えを訊かせてくれ」<br /> あたしの心は、もう決まっていた。<br />「あたし、もう…」<br /> そう言いかけたあたしの唇に、ウルフはそっと人差し指を当てて言葉を遮った。<br />「ユイ、よぉく考えて。一時の感情に流されないで。だってこれはとても重大なことだから。一度そうなったら、もう後戻りはできないんだよ。俺と、半分人間で半分獣の俺と、唯一(つがい)になるってことは、今生だけでもユイが考えている以上に様々なリスクがあることなんだ。それに、何度生まれ変わっても永遠の唯一(つがい)が俺で、本当にいいの?」<br /> リスク?そんなもの。<br /> それにウルフは、何度生まれ変わっても、永遠の唯一(つがい)として、あたしを選んでくれたんでしょう?<br /><br /> でも、ウルフがそう言うなら考えよう。<br /> 迷いのない、一点の曇りもない笑顔で、その日が来たらあたしはウルフに答えよう。<br /><br />「うん。ちゃんとちゃんと覚悟して、ウルフの26歳のお誕生日に、あたしは答えを出すね」<br /> そう言ったあたしを、ウルフは本当に嬉しそうな顔で見た。<br />「ありがとう、ユイ」<br /> ううん、ありがとう、ウルフ。<br /> 世界にこんな大切な存在がいることを、教えてくれて。ありがとう。<br /><br /><br /> ウルフの3度目の誕生日まで、あたしたちはたくさん、たくさん笑って過ごした。<br /> ウルフは相変わらず、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられたし、食卓にはおばあちゃん達の心がこもった家庭の味が並んだし、野菜はおすそ分けできるほど収穫できたし、海は新鮮な恵みを与え続けてくれた。<br /> 夜空を見ながら、屋根裏部屋でウルフはさらに様々な物語を訊かせてくれて、それはいつもあたしを不思議なファンタジーの世界へ連れて行ってくれて。<br /> そしてウルフがくれたインスピレーションから生まれた童話は、小さな素敵な賞に輝いた。<br /><br /> 幸福だった、これまでの人生で一番。<br /> それが、あたしは、少しだけ怖かった。</span></span><br /><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br /><br />
491

➁不信とミルクキャンディー

  外岡さんが出て行ったドアをしばらく怖い顔で睨んでいた祥子さんが、ふぅとため息をついた。「ごめんなさいね、沢口さん。せっかく来てくれたのに、嫌な思いをさせてしまったわよね?」 いえ、と頭(かぶり)を振ったあたしを気遣うように祥子さんが続ける。「あたしが電話しているとき、外岡君、何か言っていた?」 祥子さんが少し探るように訊くから、なんだかドキッとしてしまう。それは外岡さんが言ったことが、事実だか... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"> <br /> 外岡さんが出て行ったドアをしばらく怖い顔で睨んでいた祥子さんが、ふぅとため息をついた。<br />「ごめんなさいね、沢口さん。せっかく来てくれたのに、嫌な思いをさせてしまったわよね?」<br /> いえ、と頭(かぶり)を振ったあたしを気遣うように祥子さんが続ける。<br />「あたしが電話しているとき、外岡君、何か言っていた?」<br /> 祥子さんが少し探るように訊くから、なんだかドキッとしてしまう。<br />それは外岡さんが言ったことが、事実だから?<br /> でも、有さんに昔ぞっこんだったひとがいたかなんて、あたしはとても訊けなかった。だから、それよりまず確かめたいことを祥子さんに訊いた。<br />「あの…」<br />「…なに?」<br />「ここでアルバイトさせてもらえるように頼んでくれたのは、有さんだったんですか?惺…ではなく」<br /> 祥子さんが一瞬、「あっ」という表情になった。<br />「知らなかったの?有は話してなかったの?」<br /> あたしは頷いた。<br />「惺が紹介してくれたんだと、思ってました」<br />「そう…」<br /> 祥子さんは少し考えてから、ちょっと無理やりな感じで笑顔になると明るく言った。<br />「あ、でも。それはね、ほら。至急アルバイトの口を探してる娘(こ)がいるからって。たぶん、惺から頼まれたんだと思うの」<br /> 確かに緊急事態で、アルバイトの口は有難かった。でも壊した眼鏡を弁償するって言っても、いらないって言った有さんが何故アルバイトなんか紹介するの?<br />「あの、有さんに何と言って頼まれたんですか?」<br />「とくに理由は…。それに私の方に断れない事情があって。実はね、有の眼鏡をうっかり壊しちゃったのよ。弁償するって言ったら、それは不慮の事故みたいなものだからいらないって。でも、その代わりにアルバイトさせてほしい娘(こ)がいるって…」<br /> え? あたしはますます混乱した。<br /> 眼鏡を壊した? 祥子さんが? いや、祥子さんも? そんな偶然、2度もあるの?<br />「眼鏡…壊したって、いつのことですか?」<br />「…え。それは、沢口さんが面接に来る少し前…」<br /> 訳がわからない。<br /> 眼鏡を壊したのは、祥子さん? あたしも? それとも…。<br /> 混乱して複雑な表情になっていただろうあたしの顔を、祥子さんが覗き込む。<br />「それ、なにか重要なこと?」<br /> はっとして、あたしは祥子さんの不安そうな顔を見た。<br />「あ、いえっ、いいえっ。あの、ただ有さんが紹介してくれたとは思わなかったので。やだ、言い忘れてたのかなぁ。あたしも、訊かなかったから…」<br />「そう…なの?」<br /> お互いに釈然としない、噛み合わない会話をしているのを認識しつつ、祥子さんとあたしはともにぎこちない笑顔をつくった。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 何と言って画廊を後にしたか、覚えていない。最後の記憶にあるのは、祥子さんのつくり笑顔。そして自分も同じように引き攣った笑顔をしていただろうということ。<br /> <br /> ただ、胸に訳の分からない不安ともやもやする切なさを抱えたまま、銀座の目抜き通りを早足で歩いていた。<br /> 抱えていたバッグの中で、スマホが着信を告げている。震える手で取りだしたら、やっぱり有さんからだった。あたしはそれを拒否して、別の番号に電話をかけた。<br /> 呼び出し音が数回鳴って、相手はずいぶんと呑気な出方をした。<br />「おお、菜っ葉。どうした? あ、そうか。誕生日おめでとう!」<br />「惺…っ」<br /> たったひと言そう言っただけで、惺はすぐに何かを察したようだった。凄い、さすがだ。<br />「どうした、菜っ葉。なんかあったのか?」<br />「惺…」<br /> 少し間があって、惺の、らしくない真剣な声が聞えた。<br />「菜っ葉、お前、いまどこにいる?」<br /><br /><br /> 惺が指定した小さな公園のベンチで、あたしは所在無げに待っていた。<br /> その間もひっきりなしに有さんからのメールや着信があったけれど、あたしは出ることも見ることもできなかった。だって、何から話していいかわからない。どうこの気持ちを伝えたらいいか、全然整理がつかない。<br /> ベンチから立ち上がったり、うろうろ歩いたり、また座ったりを何度か繰り返していると、やっと公園の入り口から奇抜な格好の惺がやってくるのが見えた。<br />「よっ!」<br /> いつもと変わりない惺の態度に、ちょっとだけほっとする。そして自分がバカみたいだとやっと自覚する。あたし、なにをやってるんだろう。<br />「…惺」<br /> 惺はあたしの傍までやってくると、立ち上がったあたしをまたベンチに座らせて、その隣に腰を下ろした。<br />「どうした?菜っ葉、なにがあった?ちゃんと、話してみ?」<br />「あたし…今日、誕生日で」<br />「うん、知ってる」<br /> あ、そうだよね。…ちゃんとちゃんと、整理して話さなきゃ。<br />「それで…それで、有さんと銀座に買い物に。でも有さん、会社で何かトラブルがあったみたいで。あ、大丈夫だったのかな?有さん、トラブル…」<br />「兄貴は、たぶん、大丈夫だよ。 で?」<br /> ……。<br /> ……。<br />「だ、だから…祥子さんの画廊に行ったの」<br />「話がずいぶん飛ぶけど、うん、大体わかった」<br /> こんな説明でわかったんだ。凄いな、やっぱIQ140超えは。いや、そうじゃなくて。<br />「惺…」<br />「うん?」<br />「画廊のアルバイト、祥子さんに頼んだの、惺じゃなくて有さんだったの?」<br />「ああ、うん」<br /> 惺があまりにもあっさり認めたので、自分が何にこだわっていたかわからなくなる。<br />「どうして?」<br />「それは、自分で兄貴に訊きな」<br />「それから…眼鏡壊したの、あたしじゃなくて、祥子さんだったの?」<br /> さすがに惺も、それは知らなかったようだ。<br />「ん?どういうこと?」<br />「祥子さんがそう言ってた。弁償するって言ったら、それはいいから、その代わりにアルバイトさせてほしい娘(こ)がいるって有さんに頼まれたって」<br />「ふ~ん」<br /> 惺が思案顔になった。<br />「菜っ葉、それはさ…」<br /> わかってる、惺が言おうとしていることも、有さんがそれに関してどう言うかも。<br /> つまり、わざと、だ。有さんは、またわ・ざ・とあたしの誤解を解かなかった、利用したんだ。<br />「菜っ葉…兄貴のこと、信じてるよな?」<br /> わかんないよ、わかんなくなるよ。こんなにいつもわ・ざ・とだと。<br /> それに、いまあたしの心の大半を占めているのは、別の不信だ。<br /><br />「惺…」<br />「ん?」<br />「有さんには…」<br />「うん」<br /> 昔ぞっこんだった人がいたの?そのひとって、あたしに似てる?あたしはそのひとの身代わりなの?それって、有さんの片想いだったってこと?それともつきあっていて、別れたの?<br /> 本気で手に入れたいって思ったのはあたしが初めてだって言ったあの言葉、本当に信じていいの?それも、わざと、そう言っただけなの?<br /> 訊きたいことが胸に溢れてくる。でも、込み上げてくる苦しい想いが喉を塞いで訊けない。<br />「どうした、菜っ葉?」<br />「あたし、あたし…。有さんは、あたしのことホント…」<br /> とうとう唇が震えて、涙が出てきた。そんなあたしの両肩に手を置いて、惺は優しい眼で覗き込んできた。<br />「菜っ葉、兄貴を信じろ。何があったか知らないけど、ちゃんと信じろ。訊きたいことや確かめたいことがあったら、直接兄貴に訊け」<br />「で、でも…」<br /> もし何もかもがわざとだったら、あたしはこれからも有さんを信じられるの?<br /> ううん、自分の気持ちを信じていけるの?<br /> 信じていたものが、確かなものがぐらぐらと足元から崩れていく気がして、あたしは思わず惺に縋った。<br />「惺…あたし、どうしたら…」<br /> その言葉を遮って、惺は酷く真剣な顔で言った。<br />「菜っ葉の涙を拭ってやれるのは、もう俺じゃない。これからは、いつだって兄貴だ。…そうだろ?兄貴」<br /> え?<br /><br /> いつの間にか、惺の後ろに有さんが立っていた。<br /> 思わず躰を強張らせて立ち上がろうとしたあたしを、惺の肩に置かれた両手が制止する。そして惺は、背中を向けたまま有さんに言った。<br />「ったく、どんだけ恋愛初心者なんだよ、ふたりとも。兄貴、男は好きな女をこんな風に不安にさせたらダメなんじゃないの?」<br />「そのとおりだ、惺。…悪かった」<br /> その答えを訊いて、惺はやっと両手を肩から離すとあたしを立ち上がらせた。<br />「菜っ葉、ほら」<br /> そう言って、惺が差し出したのはミルクキャンディーだった。<br /> それを見たあたしは、条件反射のように口をぱか、と開ける。惺はそんなあたしをちょっと悲しそうに見て言った。<br />「菜っ葉、いいか。これからは、このキャンディーは兄貴から貰いな」<br /> そう言うと、惺はやっと振り向いて、有さんにミルクキャンディーを差し出す。<br /> 有さんがそれを無言で受け取った。<br />「じゃ」<br /> 惺は背中を向けたままそう言って、公園から去っていった。<br /><br />「…菜乃果」<br /> 有さんにそう呼ばれて、涙がまたぶゎと出る。<br />「菜乃、おいで」<br /> でも、有さんの方へ踏み出すことができなくて。<br /> 有さんは、そんなあたしにそっと近づくと強く抱きしめた。そして合わせられた唇から、するりと甘い塊があたしの口の中へ下りてきた。<br /> それは、あのミルクキャンディーだった。</span></span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
  • Date : 2015-05-12 (Tue)
  • Category : アイス
490

いつか王路さまが〈三〉

  こんなことがあってから、ウルフとあたしに起こった変化。 まずウルフは、食事はあたしと同じものを取るようになった。だって一度、人間の姿を見てしまったウルフにもうドッグフードを食べさせることはできない。だから食事のときは、ウルフは人間の姿になる。 朝の散歩のときは、いままで通り犬型。 あたしが仕事をしている日中は主に犬型で、いままで通り邪魔にしないように独り遊びをしたり、昼寝をしたりしている。 お... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"> <br /> こんなことがあってから、ウルフとあたしに起こった変化。<br /><br /> まずウルフは、食事はあたしと同じものを取るようになった。だって一度、人間の姿を見てしまったウルフにもうドッグフードを食べさせることはできない。だから食事のときは、ウルフは人間の姿になる。<br /> 朝の散歩のときは、いままで通り犬型。<br /> あたしが仕事をしている日中は主に犬型で、いままで通り邪魔にしないように独り遊びをしたり、昼寝をしたりしている。<br /> お風呂のときも犬型。だっていくら12歳の少年とはいえ、男の子と一緒にお風呂に入ることはできない。少年の姿をなるべく思い出さないようにして、あたしはウルフのもふもふの毛をアワアワにしていままで通り洗ってやった。<br /> それから一つ日課が増えた。<br /> それは夕食後に、ふたりで屋根裏部屋へ行って、仲良く並んで寝そべりながらいろいろな話をすることだ。いままではあたしが一方的に話すだけだったけれど、人間の姿と言葉を手に入れたウルフはいろんな話をしてくれた。<br /><br /> 驚いたのは、ウルフがもう7回も生まれ変わっているということだ。<br /> オーストラリアの農園に生まれたこと、北欧でバイキングをしていたこと、聞いたこともない国で漁師をしていたこと、イルカや鷹に生まれたこともあったそうだ。そして一番笑ったのが、新橋でサラリーマンをしていたこともあったということだ。<br />「新橋のオヤジだったの?」<br /> そう言って爆笑するあたしを、少し恨めしそうな眼で見ながらウルフは口を尖らす。<br />「だから、この話はするのがイヤだったんだ」<br />「あははは。ごめん、ごめん。だってウルフと、新橋のスーツ着たサラリーマンの姿がどうしても重ならないんだもの」<br /> そのときのウルフの名前が、王路汰狼(おうじたろう)。<br />「え、もしかしてあだ名は…」<br />「うん…おうじさま」<br />「やっぱり!」<br /> その事実は、さらにあたしのツボにはまって笑いがなかなか収まらなくて、ウルフがいっそう不機嫌になって困った。<br /><br /> そうか、おうじさまか。<br /><br /> ウルフのことだ、新橋のサラリーマンでも案外オヤジではなかったのかもしれないな。そう思うと、グレーのスーツを格好よく着こなした仕事のできる若い男性の姿が脳裏に浮かんだ。<br /> 屋根裏部屋でのウルフの話はどれも新鮮で、あたしはこれまで感じたことがない想像の翼が伸び伸びと広がるのを感じていた。<br /><br /><br /> <br /> そんなある日、数ヵ月前から担当が替ったペット雑誌の担当から電話があった。<br />「姫野さんは、実際に犬を飼っているんですよね?僕、一度見てみたいと思ってたんですよ。どうでしょう、今度の打ち合わせは姫野さんの仕事場でということで」<br />「はぁ」<br /> なんとなく嫌な予感がして、最初は断ったけれど、今関という30代半ばに見える担当者はしつこかった。そしてあたしは、押しに弱い。結局、ウチで次回の打ち合わせということになってしまった。<br /><br />「ということで、今関さんというペット雑誌の担当編集者が来るから、くれぐれもお行事よくね。間違っても、人間の姿になんかなっちゃダメだからね、ウルフ」<br /> 何度も念を押すあたしに、ウルフは面倒くさそうにあくびをして見せた。<br /><br /> 約束の当日、午後14時を少し過ぎた頃に、その担当者は家へやって来た。<br />「これ」<br /> と言って今関さんが差し出したのは、小さな白い箱。<br />「いま人気のドーナツ」<br />「あ、ありがとうございます」<br /> 手土産まで持ってきてくれるなんて、もしかしていい人?<br /> 次回号の簡単な打ち合わせはすぐに終わって、あたしはお茶を入れようと立ち上がった。<br /> ティーポットにティーバッグを2つ入れてお湯を注いだら、砂時計を逆さにして砂を落とす。同時にミルクピッチャーに入れた牛乳をレンジで温めて、ティーカップは湯煎しておく。<br /> 紅茶とミルクを半々にカップに注いで、ドーナツを乗せたお皿とともに居間に運ぶ。<br /> 今関さんは、淹れたてのミルクティーを一口飲んで言った。<br />「おいしい。こんなおいしい紅茶、お店以外で初めて飲んだ」<br /> ちょっと大げさなお世辞だとは思ったけど、安いティーバッグでもちゃんと時間をかけて茶葉を蒸らすように入れれば、そこそこおいしい紅茶になるのだ。<br /> 今関さんが買ってきてくれたドーナツを、遠慮なくいただく。<br />「うわ、おいしい!やっぱり人気なだけあって、凄くおいしいですね」<br /> お世辞でも何でもなく、正直な感想だった。<br /> クラシックタイプの、割にしっかりとした触感のドーナツに、カラフルなトッピングが可愛くて本当においしい。女子は絶対好きだ、これ。<br />「そう?そう言ってもらえると、買ってきた甲斐があるよ。最近の女の子は、何かもらっても当然って顔してお礼も言わない子が多いからね」<br />「はぁ」<br /> それから今関さんは、あたしの古い家を改めて見まわすように眺めた。<br />「居心地のいい家だね」<br />「そうですか?」<br />「うん。これからユイちゃんとの打ち合わせは、ここですることにしようか?」<br /> なんで、だよ。それに、ユイちゃんて突然なんだ。いままで通り、姫野さんでいいよ。<br />「い、いやぁ。それは申し訳ないので、これまで通り、あたしが編集部に行きます」<br /> その言葉をまるっと無視して、今関さんは立ち上がって縁側の方へ行く。縁側で昼寝をしていたウルフが、薄っすらと眼を開けた。<br />「この犬がウルフ君か。思っていたより大きいね」<br /> ウルフを見たいと言っていたくせに、やっとその存在に気づいたかのように今関さんはウルフの横に立って見下ろしている。<br /> その姿を見て、この人は犬好きではないなと思った。だって犬が好きなら、しゃがんで顔を覗き込んで、頭を撫でるくらいはするはずだ。<br /> 今関さんはウルフの横に突っ立ったまま、あたしの方を振り向いて言った。<br />「ねぇ、ユイちゃん。今の仕事だけで、生活は大丈夫なの?」<br /> 失礼なことを、さらっと訊くな。やっぱ、若いとナメられるのかな。<br />「ウルフと食べていくくらいなら、なんとか」<br /> ふうん、と顎に手を当てて、今関さんはちょっと思案顔になった。<br />「何か、困ったことがあったら、遠慮なく僕に相談してね」<br />「あ、いえ。大丈夫です」<br />「でもさ、仕事のこととか、ほかにも相談に乗ってあげられると思うから」<br /> そう親切そうな笑顔で近づいてきた今関さんの左手の薬指に、銀の指輪が光っている。<br />「ホントに、ホントに、大丈夫ですから」<br /> あたしは、きっぱりとそう言った。<br /> それにも拘わらず、今関さんはあたしの傍にしゃがむと(ウルフの傍には突っ立ったままだったくせに!)、髪に手を伸ばそうとした。<br />「こんなに小さくて、頼りなげで、心配になるんだよ。ユイちゃんは」<br /> だから、ユイちゃんて呼ぶな!<br /> 反射的に今関さんから距離を取って、髪に触れられるのを避けようとした瞬間だった。<br /> <br /> ぐぁるるるぅうううう~。<br /><br /> ウルフの低い、怒りのこもった唸り声が聞こえたのは。<br /> はっとして振り向いた今関さんが、次に「ぎゃ!」と叫んで尻もちをついた。<br /> いつの間にかウルフが彼の真後ろまで来ていて、鋭い歯を剥き出しにして唸っていたからだ。<br />「う、うゎあ!お、脅かすなよ」<br />尻もちをついたのが照れくさかったのか、今関さんは慌ててつくり笑いを浮かべるとウルフに言った。<br /> だけどウルフは、相変わらず剥き出しの敵意で唸り続けている。<br />「ウルフ」<br /> 初めて見た野生の凶暴な一面だったけれど、あたしは少しも怖くなかったから、ウルフの傍へ行ってその身体を抱きしめた。<br /> くぅ。<br /> ウルフが軽く啼いて、あたしの頬を舐める。その温かな舌に勇気をもらって、あたしは今関さんにきっぱりと言った。<br />「ウチのウルフがすみませんでした。でもこれから打ち合わせは、やっぱり編集部でお願いします」<br />「そ、そうだね」<br /> まだ青い顔のまま、今関さんはそう言って帰って行った。<br /><br /> それから2か月後、あたしはペット雑誌の編集長から、連載打ち切りを通達された。今関さんは、編集長のお嬢さんの旦那さんだったらしい。<br /> くだらない、なんだ、それ。<br /> バカらしすぎて、涙も出ない。悔しいとすら思わないあたしの感受性は、どこか麻痺しているんだろうか?<br /> でも、いい。ウルフがいてくれれば。<br />「ウルフぅ、連載、クビになっちゃった」<br /> 銀色のもふもふが、くぅと啼いて、あたしの頬を舐める。<br /> その温かさとくすぐったさに、やっと涙がちょびっとだけ出た。<br /></span></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
489

いつか王路さまが〈二〉

「雑種だね」 獣医さんは、事もなげにそう言った。 まぁ…そうだろうな。でも狼の血が混じったりしてないですよね?とは訊けなかった。「でもこの仔、おそらく大型犬種だと思うよ。かなり大きくなるけど、大丈夫?」「はぁ、どのくらい大きくなりますか?」「う~ん、そうだなぁ。ゴールデンリトリーバーくらいにはなると思うよ。しかもオスだからね、成犬になったら体重が30㎏を超えることもあるよ」 う~ん、ご飯も相当食べそ... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br />「雑種だね」<br /> 獣医さんは、事もなげにそう言った。<br /> まぁ…そうだろうな。でも狼の血が混じったりしてないですよね?とは訊けなかった。<br />「でもこの仔、おそらく大型犬種だと思うよ。かなり大きくなるけど、大丈夫?」<br />「はぁ、どのくらい大きくなりますか?」<br />「う~ん、そうだなぁ。ゴールデンリトリーバーくらいにはなると思うよ。しかもオスだからね、成犬になったら体重が30㎏を超えることもあるよ」<br /> う~ん、ご飯も相当食べそうだなぁ。子供が独り増える感じ?養っていけるのか、あたし?<br /> 因みに現在のあたしの収入は、子供雑誌2誌に連載している童話と、女性誌1誌に連載中のエッセイ、それとこれまで書いた童話の印税だ。一応持家で家賃はかからないから、独りで生活していくのにはさほど困らないが、贅沢はできないし貯金もあまりしていない。<br />「ああ、それと。大型犬は、最初の1年で12歳、2年目からは7歳ずつ年を取ると言われてて、寿命は10年ちょっとかなぁ」<br /><br /> 10年位しか、生きられないのか…。<br /> あたしは診察台の上で縮こまっている仔犬を、まじまじと見つめた。きゅぃ…と情けなさそうに啼いたのを見て、ふいに胸が苦しくなって仔犬の頭を撫でる。<br /> お前、こんなに可愛くて存在するだけで人を幸せにできるのに、たった10年位しか生きられないんだね。あたしみたいに世の中の役に立ってるんだか立ってないんだかわからないヤツが、もしかしたらノウノウと80年以上も生きるかもしれないのに。<br />「ウチの病院に、里親募集の告知を出そうか?」<br /> 最初に飼うことを迷っていると言ったせいか、獣医の先生がそう言ってくれる。<br />「いえ、やっぱり飼います」<br />「大丈夫?」<br />「はい」<br /> うん、頑張ってみよう。初めて誰かのために、自分以外のために生きようと、なぜだかそのとき思えたのだ。<br /><br /> 幸い、とくに病気もなかった仔犬を自転車の籠に乗せて、あたしはペットショップへ行った。<br /> そこで首輪とリード、わんこ用の食糧なんかを買い込んだ。<br />「名前、なんていうんですか?」<br /> ペットショップのお姉さんにそう訊かれて、あたしはまだこの仔に名前を付けていなかったことを思い出した。<br /> 名前か、どうしようかな。大きくなるって獣医さんが言ってたし、ちょっと狼の仔みたいだから…。<br />「え~と、そうだ!ウルフ、ウルフにします!」<br /> そう宣言したあたしの足元で、仔犬が「うぉん」と啼いた。<br /> 気に入ってくれたのかな?よかった、今日からキミはウルフだよ。<br />「姫野ウルフくん!」<br />「うぉおおん!」<br /> 苗字つきで呼んだあたしに、ペットショップのお姉さんが可笑しそうに笑った。<br /><br /><br /> 赤ちゃんは、お母さんを選んで生まれてくる。<br /> なんかのドラマで言っていた台詞が好きだった。<br /> だって、こんなに勇気を貰える言葉はないから。<br /> だからあたしは信じた。ウルフがあたしを飼い主に選んでくれたから、あたしたちは出会ったのだと。<br /><br /><br /><br />「仕事、増やしたいんです」<br /> 懇意にしている編集者に、あたしはそう言った。<br />「突然、どうしたの?いままでは、いくら勧めてもあまり乗り気じゃなかったのに」<br />「犬を、飼うことにしたんです」<br />「一人暮らしで、犬?」<br /> 言いたいことは顔に書いてあった。<br /> 独り暮らしで犬を飼う=結婚をあきらめた的な?まだ22歳で?<br />「はい、責任もって養いたいんです」<br />「ふうん」<br /> 編集者はしばらく思案顔で宙を睨んでいたけど…。<br />「ペット雑誌に、エッセイかなんか書いてみる?知り合いの編集者に当たってみてやろうか?」<br />「うゎ、それいいかも。ぜひ、やらせてください!」<br /><br /><br /> 平凡な人生と、流されるだけの毎日が、突然違うものになった。<br /> ウルフのお蔭で。<br /> 生きる喜びが、あたしの中で小さく芽吹きはじめていた。<br /><br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> 朝は一緒に散歩をして、帰ったらそれぞれの朝食を食べて、それからあたしは仕事を、ウルフは小さな庭や縁側で遊ぶ。<br /> お昼を食べたらまたあたしは仕事をして、ウルフはお昼寝をする。<br /> 夕方になったら買い物に行ったり、一緒に遊ぶ。そして夕飯をつくって食べ、一緒にお風呂に入り、それから屋根裏部屋で星の少ない夜空を眺めながらあたしはウルフにいろんなことを話す。<br /> いま書いている童話のこととか、ちょっと面白い編集者さんの話とか、都内に住んでいる両親や5歳年下の弟についてとか、夢とか不安とか好きなものとか嫌いなもの。<br /> ウルフには何でも話せたし、ウルフは誰よりもあたしのつまんない話を一生懸命訊いてくれる気がした。つぶらな瞳で見つめられると、心が洗われて、明日も頑張れそうな気がした。<br /> そして、狭いベッドに身体を寄せ合って眠った。ウルフを両腕に抱きしめて、ウルフはあたしにしがみつくようにして。もう淋しくなんかなかった、ほわんとした幸せすら感じた。<br /><br /><br /> そんな生活が半年ほど過ぎた頃。<br /> 都内にある編集部の打ち合わせから帰ると、家の中に見知らぬ少年がいた。<br />「だ、誰っ!」<br /> 思わずそう叫んでしまった。<br /> その少年は中学生くらいに見えて、銀色のふさふさしたロン毛に、榛(はじばみ)色の瞳、ハーフのように彫りの深い凛々しい顔立ちをしていた。<br /> 居間のソファに行儀よく座っていて泥棒には見えないから、迷子だろうか?いや、でも人の家に勝手には入らないだろう、それに鍵はちゃんとかかっていた…。<br /> 混乱した頭で、混乱した表情を浮かべていただろうあたしに向かって、その少年はゆっくりと言葉を紡いだ。<br />「ユイ、僕だよ」<br /> 僕?<br />「わからないの?ウルフだよ」<br /> ええぇぇえ~~~!!なんだってぇ~~!!!<br /><br />「今日は僕の誕生日なんだ。12歳になった」<br /> 人間年齢12歳より、少し大人っぽく見えるのは、やっぱり外国犬の血が混じっているせいだろうか?どう見ても、純日本の雑種ではなかったし、こうして人間の姿になってもハーフっぽく見える。<br />「で、でも、どうして…」<br /> 驚きすぎて、夢でも見ているのかと、自分の頬をつねって痛さに顔をしかめたあたしを、ウルフはちょっと困ったような顔で見る。<br />「僕にもよくわからないんだけど…。ユイと同じ姿になりたいな、ユイと同じ言葉で話したいなって強く強く思ったら…」<br /> 人間の姿になったってことか…。<br />確かに驚いたけど、もの凄くびっくりしたけど。それが過ぎてしまえば、あたしと同じ姿になりたい、同じ言葉で話したいと思ってくれたことが、なんだか素直に嬉しかった。 <br />「ウルフ…」<br /> 人間の姿になったばかりで、まだ不安そうに所在無げにしているウルフがたまらなく愛おしくなって、あたしはウルフに近寄るとぎゅぅとその身体を抱きしめた。<br />「ユイ…」<br /> ちょっと驚いたようにあたしを見たウルフは、ほんの少し身長があたしより小さいだけだ。<br /><br />「あれぇ?」<br /> ウルフを抱きしめて、あたしは気づいた。彼が、あたしのパジャマを着ていることに。<br />「あたしのパジャマ…」<br /> そう言ったあたしにウルフは顔を赤らめると、少ししどろもどろになりながら言った。<br />「だ、だって人間の姿になったはいいけど、僕、裸だったんだもの。だから慌てて、僕にも着られそうなものを探したんだ」<br /> そっか。それは、びっくりしたよね。でもストライプのパジャマは、なかなかウルフに似合っていた。<br /> でもなんだか急に可笑しくなって、あたしたちは顔を見合わせると、あははと無邪気に笑い合った。うん、こんな非日常も悪くない。<br />「ねぇ、ウルフ。ウルフはもう、犬型には戻らないの?」<br />「そんなことも、ないみたい」<br /> ほら、とウルフが言うと同時に着ていたパジャマが魔法のようにするりと脱げ、ウルフは見慣れた銀色のもふもふの塊になった。<br />「わぁ、戻ったぁ!」<br /> やっぱり、このもふもふの姿が永遠に失われてしまうのは淋しい。あたしはウルフを再びぎゅぅと抱きしめて、もふもふの感触を存分に楽しんだ。</span></span><br /><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br /><br />
485

➀蛇に睨まれたピエロ

第3章 捕 獲 再開します。ですが、不定期となります。ゴメンナサイm(__)m「あら、沢口さん」 画廊の受付でそう言ったのは、契約社員の真野さんだった。「こんにちは、お久しぶりです」「わぁ、半年ぶりくらい?元気だった?」「はい、真野さんは?」「見ての通りよ」 気さくで明るい真野さんは、相変わらず品のいいお姉さんといった格好。今日も綺麗にお化粧した顔をちょっと傾けて、しばしあたしをじっと見た。 ん? なん... <span style="color:#00CC99">第3章 捕 獲 <br />再開します。ですが、不定期となります。ゴメンナサイm(__)m</span><br /><br /><span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br />「あら、沢口さん」<br /> 画廊の受付でそう言ったのは、契約社員の真野さんだった。<br />「こんにちは、お久しぶりです」<br />「わぁ、半年ぶりくらい?元気だった?」<br />「はい、真野さんは?」<br />「見ての通りよ」<br /> 気さくで明るい真野さんは、相変わらず品のいいお姉さんといった格好。今日も綺麗にお化粧した顔をちょっと傾けて、しばしあたしをじっと見た。<br /> ん? なんかヘンかな、今日のあたし。<br />「なんか…」<br /> は、はい。<br />「可愛くなったわね」<br /> え…。<br />「あ、ごめんなさい。前から可愛かったわよ。…でも」<br /> 真野さんがまたあたしをじっと見るから、ちょっと恥ずかしくなって俯く。<br />「ちょっと大人っぽくなった」<br /> そう言われたのが嬉しくて、あたしはつい告白してしまった。<br />「あ、実は今日で二十歳(はたち)になったんです」<br />「わぁ、まだ二十歳(はたち)ぃ~?羨ましいなぁ」<br /> そう言う真野さんだって、まだ27歳くらいのはずだ。それに女子力の高さは半端なくて、こっちが羨ましいくらい。<br /><br /> そのときちょうど画廊にお客様が入ってきたので、仕事の邪魔になってはと受付からいったん離れた。真野さんがにこやかに、品よくお客様を迎えている。<br /> お客様が画廊の中央に進み、絵を鑑賞し出したのを確認してから、あたしは小声で真野さんに訊いた。<br />「あの、祥子さんはいらっしゃいますか?」<br />「うん、ちょっと待ってね」<br /> 真野さんが内線電話をかけてくれる。しばらく小声で話していたけれど、やがて受話器を置くと言った。<br />「いまね、売り込みの画家さんが来てるの」<br />「あ、じゃあ、お邪魔ですね」<br /> 立ち寄ったことだけを伝えてもらって帰ろうと思っていると、真野さんが続けた。<br />「で、祥子さんとしては、その人にそろそろ帰ってもらいたいらしいの」<br />「そ、そうなんですか?」<br />「うん、売り込みと称してしょっちゅう来ては、忙しい祥子さんの邪魔をすることがあって。だから、アポ有のふりして事務所に行って。祥子さんと口裏合わせてあげて」<br /> え…できるかな?そういうの苦手だ。ボロが出ないようにしなきゃ。<br /><br /> 事務所のドアを軽くノックする。中から「どうぞ」という祥子さんの声が聞えたから、そっとドアを開ける。<br />「あら、沢口さん。よかったわ、待ってたのよ」<br /> いかにも事前に約束でもしていたかのように祥子さんがそう言って、あたしの顔をちょっと悪戯っ子の表情で見るから、少しだけ緊張がほぐれた。<br />「すみません。お、遅くなりましたか?」<br /> ぎこちないながらも話を合わせようと、そう言ったあたしをソファに腰掛けていた男の人がじろりと見た。その視線を感じて、またちょっと緊張感が戻ってくる。<br />「あ、紹介するわね。彼女は沢口菜乃果さん、以前ここでアルバイトしてもらったことがあるの。沢口さん、こちらは売り出し中の画家、外岡譲二(とのおかじょうじ)さんよ」<br />「はじめまして」<br /> と頭を下げたあたしを興味なさそうにちらと一瞥(いちべつ)すると、外岡という人は卑屈な笑みを浮かべて祥子さんに言った。<br />「売り出し中じゃなくて、一向に売れない画家の間違いじゃないのか?祥子」<br /> 険のある物言いに祥子さんの笑顔が微かに歪んだけれど、気を取り直したように彼女はあたしに言った。<br />「コーヒーでいいかしら?」<br /> そう言ってコーヒーメーカーの方へ行こうとする祥子さんを、あたしは慌てて止めた。<br />「あ、あたしがやります」<br />「いいのよ、もうアルバイトじゃないんだし。今日はお客様なんだから」<br /> そう言って、祥子さんが外岡さんをちらりと見る。その視線に暗にそろそろ帰ってくれないかと言う意味が籠っていることを感じているはずなのに、外岡と言う人は涼しい顔で無視を決め込んでいる。 <br /> なんだかあたしの方が居たたまれなくなって、つい言ってしまった。<br />「あ、あの。あたしお邪魔みたいで…。その、有さんと、氷川先生とこれから会う約束なので…コ、コーヒーはやっぱりいいです。ちょ、ちょっとご挨拶に来ただけで、その…すぐにお暇(いとま)しますから」<br /> そう言った瞬間、いままであたしにまったく興味を示さなかった外岡と言う人が、いきなり強い視線を向けてきた。<br /><br />「有?氷川有のことか?」<br /> この人は、有さんを知っているの?<br /> 凝視するような視線と、詰問するような口調がちょっと怖い。<br /> なぜだか祥子さんが、ちょっと慌てたように言う。<br />「あ、そうよ。彼女、有の紹介で、ここでアルバイトしてたから」<br /><br /> え…? 有の紹介? 惺ではなくて?<br /> 居心地の悪いこの状況と、初めて知らされた事実にあたしは混乱しはじめていた。<br /><br />「ふうん」<br /> 外岡と言う人は、今度は舐めるようにあたしを上から下までじろりと見た。その粘っこい視線が、たまらなく気持ち悪い。<br />「あんた、氷川有とどういう関係だ?」<br /> 祥子さんがますます慌てて、でもそれを隠すかのように引き攣った笑顔をつくった。<br />「そんなの、外岡君に関係ないでしょ。ほら、あたしは彼女と話があるのよ」<br /> ふん、と祥子さんの言葉を無視して、外岡さんはさらにあたしに訊いてくる。<br />「もしかして、氷川 有の新しい女か?」<br />「…え」<br /> 新しい女…?<br /> どう答えたらいいのか不安になって、あたしは祥子さんの顔を見た。その顔には明らかに、「正直に答えなくていい」と書いてある。<br /><br /> そのとき事務所の電話が鳴った。<br /> 祥子さんは外岡さんとあたしの方を何度か振り返りながら、電話のあるデスクの方へ歩いて行く。<br /> 祥子さんが受話器を取ると、外岡さんは一層あからさまにじろじろとあたしを見ながら言った。<br />「ふん、似てるな」<br /> 似てる?<br />「氷川有が、昔ぞっこんだった女に」<br /> え…有さんが、昔ぞっこんだった、ひと?<br /> あたしの表情は、明らかに固まっていたと思う。それを確認するように見据えて、外岡さんは続けた。<br />「身代わりってことか」<br /> 身代わり? そのひとの?<br /> あたしの表情は、さらに青ざめたに違いない。外岡さんはいかにも楽しそうに舌舐めずりしてから、蛇のように狡猾な眼で言った。<br />「あまり信用しない方がいい、あんな男。本心は絶対に見せない、冷血漢だ。お前だけだなんて甘い言葉に騙されて抱かれたりしたら、とんだピエロを演じることになるぞ」<br /> ピエロ…。<br /> 悪意のあるその言い方に、頭から冷水を浴びせかけられたような気がした。<br /><br />「ちょっと、外岡君。彼女と何話していたの?」<br /> 電話を終えて戻って来た祥子さんが、青ざめているであろうあたしの顔を心配げに覗き込んだ。<br />「別に。氷川有について、ちょっと有益な情報を教えてやっただけさ。なぁ、お嬢ちゃん?」<br /> そう言って、外岡さんはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。途端に、祥子さんの表情も険しくなった。外岡さんは、それをさらに面白そうに一瞥すると立ち上がった。<br />「じゃあ、俺、そろそろ帰るわ」<br /> そして事務所の扉を開けて帰ろうとした外岡さんは、思い出したように振り返ると言った。<br />「ああ、そうだ。氷川有に、俺がよろしく言っていたと伝えてくれよ。またいつか昔話でもしようぜって、言っておいてくれ。お嬢ちゃん、よぉ」<br /><br /></span></span><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /><br /><br /><br /><br /><br /></a>
  • Date : 2015-05-10 (Sun)
  • Category : アイス
487

いつか王路さまが〈一〉

 別に、夢見ていたわけじゃない。 いつか王子様が…なんて。 きっとこの世界のどこかに運命の唯一(つがい)が…なんて。 だけど、あたしだって人並みに、恋に恋する年頃を過ぎて。 処女をこじらせたまんま、本日めでたくもなく22歳になった。  出会いがないのは、この職業のせいかとも思う。 大学2年のときに、たまたま応募した童話が最優秀新人賞をとり、期待の新星とか騒がれてデビュー。大学を卒業しても、他の同級生た... <span style="font-size: medium;"><span style="font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3';"><br /> 別に、夢見ていたわけじゃない。<br /> いつか王子様が…なんて。 <br />きっとこの世界のどこかに運命の唯一(つがい)が…なんて。<br /> だけど、あたしだって人並みに、恋に恋する年頃を過ぎて。<br /> 処女をこじらせたまんま、本日めでたくもなく22歳になった。<br /> <br /> 出会いがないのは、この職業のせいかとも思う。<br /> 大学2年のときに、たまたま応募した童話が最優秀新人賞をとり、期待の新星とか騒がれてデビュー。大学を卒業しても、他の同級生たちのように就職することもなく、童話作家として在宅で仕事を続けている。いまは結構ほそぼそと、才能なんて幻だったのかもしれないなぁって思いながら。<br /><br /> 姫野 柚唯(ひめのゆい)、それがあたしの本名だ。<br />ペンネームは、うらら。「うららかな春のように、心がぽかぽかになる物語」が処女作の帯についたキャッチフレーズだったから。なんてわかりやすい、単純な、人畜無害な。<br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br />    <br /> 大学を卒業して本格的に作家活動にいそしむために、あたしは海辺の古い一軒家を購入した。バカみたいに安い値段で売られていたその古家は、1階だけの平屋だったけれど、天窓つきの屋根裏部屋があった。背が決して高くはないあたしでも少し屈まなければならない天井の低い4畳半ほどの空間だけど、これが人生初の家購入の決め手になった。<br /> 下見に訪れたときに何の気なしにそこに寝そべってみたら、それまでどうしてもまとまってくれなかった新作のストーリーがするすると、絡まった糸が突然ほどけるみたいにいい感じに繋がったのだ。<br />なんだか自分のために用意された、運命の空間のような気がした…そのときは。<br /><br /><br /> 今朝もあたしは、早起きして海辺を散歩する。<br /> モノを書く人種は、夜型が多いと思われがちだけど、あたしは真逆の朝型人間だ。6時には起きて1時間ほど時間をかけて散歩をしながら、いま書いている作品、これから書こうと思っている新作の構想を練る。<br /> 身体を動かすと脳も活性化すると誰かが言っていたけれど、その意見に100%賛成派だ。ただ、悲しいかな。才能までは活性化しないらしい。<br /> 早くもブチ当たりはじめていた限界という壁に気づかないふりをしながら、あたしはいつまで、どこまで歩き続けて行けるのだろうかと漠然とした不安の中に居た。<br /><br /><br /> 海沿いの道を歩いて行くと、こんもりとした小さな森に出る。<br /> いつもはそこが引き返し地点なのに、その日は考え事をしていたせいか、森の中へ足を踏み入れていた。鬱蒼とした樹々に5月の陽光は遮られ、少し低くなった大気にはっと我に返った。<br />「やだ、森の中まで来ちゃった」<br /> 誰に言い訳するでもなくそう言って、誰に見せるわけでもない照れ笑いを一つ浮かべて、来た道を引き返そうとしたそのときだった。<br /><br /> きゅ~ぅぃ? きゅあんきゅん、きゅ~ぁっ。<br /><br />「な、なに?仔犬?」<br /> 足元の茂みががさごそと動いて、すぐにその声の主が眼の前に飛び出してきた。<br /> 小さな小さな、銀色の毛の塊(かたまり)。ちょこまかと4本の足を懸命に動かして、すぐ傍まで寄ってきた仔犬に、あたしは思わず目を細めてしゃがみこんだ。<br />「どうしたの、お前。迷子?それとも野良犬?」<br /> きゅぅ~ぃっ、と可愛く啼いて首を傾げた仕草に、思わず胸がキュンとなる。マズイ、ほだされてしまいそうだ。<br /> 手を伸ばして頭を撫でると、大人しくお座りをしてしっぽで地面を嬉しそうに叩く。あたしはとうとう、その小さな銀の塊を抱き上げて、顔をよく見ようと覗き込んだ。<br /> 不思議だ。犬に限らず生き物は、幼い頃はどこもかしこもまあるく出来ているものだ。丸いというのは無条件に可愛らしいという印象を与え、母性と庇護欲を刺激する。<br /> なのにこの仔犬は、確かに身体つきは子供らしく丸いが、鼻がちょっと尖って前に突き出していて、眼も心なしか吊り上がり気味だ。<br />「なんだか犬というよりは、狼の子供みたいだね、お前。…だけど、まさかね」<br /> 狼の子供なんて実際に見たことはないが、こんなところに狼が生息していると訊いたことはない。<br /> あたしは、抱き上げていた仔犬を地面に下ろすと言った。<br />「じゃあね、元気でね」<br /> 地面に下ろされた仔犬が、きょとんとした顔であたしを見上げる。その顔もたまらなく可愛い。<br />「ごめんね、犬飼ったことないの。あたしなんかより、もっといい人に拾ってもらいな」<br /> そう言って歩き出したあたしの後ろから、小さな銀の塊がちょこまかとついてくる。<br />「だから、あたしは飼えないんだったら」<br /> 自分独りの人生だって覚束(おぼつか)ない22歳、仔犬とはいえ一つの命に責任なんて持てない、そんな気がした。<br /> 少し早足になってもついてくる仔犬を振り切るように、あたしは次第に駆け足になっていく。早朝からのジョギングは結構キツくて、森から海沿いの道へ出たあたしは肩で息をしながら前屈みになって立ち止まった。<br /><br /> ぜぃぜぃぜぃぜぃ、はぁはぁはぁ。<br /> きゅぃん、きゃん、きゃん、きゅ~ぃっ。<br /><br /> …え。<br /><br /><br /><br />✵ ✵ ✵<br /><br /> がつがつがつがつがつがつがつ。<br /> ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ。<br /> <br /> どれだけお腹が空ていたんだろう、仔犬が一心不乱にツナ缶(ちなみにノンオイル)を貪り食い、牛乳を爆飲している。<br /> 犬には犬用のミルクを与えた方がいいと訊いたことがあるが、ペットショップはまだ開店前の時間だし非常事態だ。<br /> ツナ缶一個をぺろりと平らげ、まだもの欲しそうにあたしを見上げる仔犬を見ながら、どうしたものかと考える。<br />「ま、取りあえず、動物病院だよね。なにか病気があると困るし。それからペットショップで、キミの当面の食糧?」<br /> 当面の、と言った言葉に、我ながらまだ飼うことへの迷いがあるんだけれど…。<br /> そうしてあたしは、いつもの朝食、ブラックコーヒーと温野菜、トーストをキッチンの小さなテーブルに並べた。<br /> コーヒーを一口飲んで、トーストをかりりと齧る。<br />「わぁふん」<br /> それを見た仔犬が、あたしの脚に両前足をついて半立ちになった。<br />「え、なに?欲しいの?」<br /> 試しにトーストをちょっと千切って差し出してみると、ぱく、とひと口で食べた。<br />「マーガリンがついてるからね、おいしい?」<br /> 仔犬は尻尾を懸命に振りながら、キラキラした期待に満ちた眼であたしを見上げてくる。<br />「え~、でも。これ、あたしの朝食なんだけど」<br /> もう一切れ、さらに一切れと、結局トーストはすべて仔犬のお腹に収まってしまった。<br />「もう、しょうがないなぁ」<br /> あたしはトーストをもう一枚自分用に焼いて、2杯目のコーヒーをカップに注ぐ。<br /> <br /> さすがにお腹いっぱいになったのか、仔犬はあたしの小さな古いお城を探索しはじめた。<br /> カフェテーブルとコンパクトな椅子2脚をやっと置けるスペースしかないキッチンから、居間兼仕事部屋にしている10畳の和室へ、きょろきょろと見回しながら入っていく。<br /> この家は古いけれど、昔の造りが功を奏して、10畳といっても現代のマンションなどよりは広い。<br />畳の上に割に上質のふかふかな楕円のラグを敷いて、二人掛けのソファとローテーブルを置いた一角が居間、のつもり。反対の壁際に、本棚とコンピュータを置いた机を配したスペースが仕事の空間だ。<br /> そしてこの家には、なんと縁側がある。その縁側続きにもう一部屋8畳の和室があって、そこはクローゼットとベッドを置いた寝室になっている。<br /> 縁側の先は、小さいけれどブロック塀で囲まれた庭だ。特に手入れもしていないから、前々からあった木蓮の樹と草花が勝手に生えている。<br /> 縁側の先には、屋根裏部屋へ続く階段がある。急勾配の階段の存在を思い出して、あたしは慌てて仔犬の後を追った。<br /><br />「あ、こら。危ない」<br /> 急勾配の階段に前足を掛けている仔犬を抱き上げると、あたしはゆっくりと屋根裏へ昇った。<br /> ときどき寝転がりにくるから、敷きっぱなしのマットレスとクッションが置いてある屋根裏部屋を、仔犬は興味深そうに探索する。<br /> 低い位置にある天窓の淵に両前足を掛けて屋外を覗いたり、クッションの上でジャンプしたり、隅に置いてある重ねた本に乗って崩したりしている。<br />「ふふ、気に入った?ここ、いいでしょ?秘密基地みたいで」<br /> そう言いながら、あたしは敷きっぱなしのマットレスの上に寝転がった。仔犬も真似するように傍らへすり寄ってくる。<br /> もふもふのやわらかさと、自分よりちょっと高い体温を感じながら、初めて自分が泣くことも忘れてしまったほど孤独だったことに気づいた。</span></span><br /><br /><a href="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=357034555" target="_blank"><img src="http://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=357034555&size=88" width="88" height="31" alt="" /></a><br /><br />
486

いつか王路さまが

長編を書き続けていると、もんもんとするときがあって…発作的に書いた短編です。5話くらいで完結予定(*´ω`*) 〈あらすじ〉 独り暮らしの童話作家・ユイは、ある日散歩していた海辺で、仔犬を拾う。 獣医さん曰く「これは大型犬種だね。大型犬は1年で12歳、2年目からは7歳ずつ年を取るんだ」。 へぇ。 たいして深く考えずに、ユイはその犬にウルフと名づけて飼いはじめて…シマッタ。※初めての〈もふけもモノ〉ですが、典型的... <span style="color:#00CC99">長編を書き続けていると、もんもんとするときがあって…<br />発作的に書いた短編です。<br />5話くらいで完結予定(*´ω`*)</span><br /><br /> 〈あらすじ〉<br /><br /> 独り暮らしの童話作家・ユイは、ある日散歩していた海辺で、仔犬を拾う。<br /> 獣医さん曰く「これは大型犬種だね。大型犬は1年で12歳、2年目からは7歳ずつ年を取るんだ」。<br /> へぇ。<br /> たいして深く考えずに、ユイはその犬にウルフと名づけて飼いはじめて…シマッタ。<br /><br />※初めての〈もふけもモノ〉ですが、典型的なものじゃない気がするので、最初にごめんなさいと言っておきます(*´Д`)<br /><br><br /></br><br /><a href="http://otonaasabi.blog.fc2.com/blog-entry-487.html" target="_blank" title="〈一〉">〈一〉</a>  <a href="http://otonaasabi.blog.fc2.com/blog-entry-489.html" target="_blank" title="〈二〉">〈二〉</a> <a href="http://otonaasabi.blog.fc2.com/blog-entry-490.html" target="_blank" title="〈三〉">〈三〉</a> <a href="http://otonaasabi.blog.fc2.com/blog-entry-492.html" target="_blank" title="〈四〉">〈四〉</a> <a href="http://otonaasabi.blog.fc2.com/blog-entry-494.html" target="_blank" title="〈五〉">〈五〉</a>
    Return to Pagetop
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。